汚水を得た魚のように(漏水ビチョビチョ日記|完結)
年末の深夜に天井が落っこちて、汚水がなだれこんできた人間の記録、これでおしまい!
果たして補償は、いかほどか……?
漏水から、1ヶ月が経った。
住居も変わり、年も変わり。まだ怒涛に揉まれる昼下がり。
『保険会社です。損害金の査定が終わりましたので、ご報告します』
きた、きた、きたー!
ビッチャビチャの部屋で、瞬く間にお亡くなりになってしまった家具たちのことを思い出す。総額で100万円は超えていた。
『鑑定人が調査させてもらいました結果……』
ごくり……。
『完全に壊れてしまった家電や、錆びた家具は、100%お支払いします』
お、おおおおっ!
『机や本棚などは、購入から1年経っているので50%です』
ひいいいいい!
『壊れてない炊飯器やお鍋は、30%しかお支払いできません』
どえええええ??????
「な、なんで?炊飯器も汚水で濡れましたけれども?」
しかも、お鍋にいたっては、
黄色くてとても臭い汚水、モロに受けてますけれども。管理会社のお兄さんが、置いたんですけれども。
「とりあえずこれで受けてください!」
つって、ホイサと渡されて、置いちゃったんですけれども。
そこんとこ、どうなんでしょうか。
『洗えば、お使いいただけますので』
「なるほどー」
ほな、炊いたろか?
米、炊いたろか?
ごっつい角煮、炊いたろか?
ご馳走をお見舞いしたろか!!!!!!!
食べていただけますよね?
洗えば、食べていただけるんですよね?
ねえ?????????
シェフ大泉みてえに「コメ食わねえか」つって、炊飯器を抱きかかえながら、保険会社に突撃しようかと思った。シェフ岸田奈美。
泣きたかったが、保険の鑑定というのは、そういうもんらしい。
ところが。
数日後の最終検討で、この金額はくつがえることになる。
炊飯器もお鍋も、一転、100%で支払ってもらえることになった。すっかり諦めていたので、寝耳に汚水のような話にバンザイ。
どうして。シェフも訪問してないのに。
『岸田さまが損害物のリストに記入してくださったコメントを鑑定人に伝えたところ、使用不可という判断に変わりましたので』
コメント……?
ああ、あれか!!!!!!
壊れた品々をリストにして、保険会社に送っていたのだ。
この時、備考にコメントを書いていた。
なぜかというと。選び抜いて買ったもの、贈られてびっくりしたもの、それはそれは愛着にまみれたものたちが、汚水にまみれているのを確認していく作業が、つらすぎて。
衝動的に、お気持ちを表明したのであった。
これで食事なんてできるわけないだろ!バカッ!
と。くらえお気持ち表明。
それは自分に言い聞かせるためでもあった。もう諦めるのよ、わたし。さながら臨終を告げて回るかのごとく。
お気持ち表明してて、よかった〜〜〜〜!
この安堵をさっそく、noteで書こう。
ずっとノートパソコンをだったが、やっと新しい机が部屋に入ったので、デスクトップをつかえる。
電源を入れる。
『接続機器が認識できません』
あら?
ハードディスクドライブが認識されない。撮りっぱなしの写真や動画のデータは、ここに全部放り込んであるのに。数千枚、容量にして1TB以上。
何度、ケーブルを抜き差ししても、認識できない。
ゾッ。背筋が凍る。まあまあまあ。
製造元の大手メーカーに、修理を依頼した。
『くわしい調査をこれから行いますが、ざっと見た感じでは、水濡れによる故障かと思われます』
「濡れる前に救出できたと思ってたのに……」
『基盤を分解しないとわかりませんが、修理は12万円ほどかかるかと』
「じゅ……」
12万円!?!?!!
身代金じゃん。もうそれは身代金じゃん。かわいいデータがほしくばわかってるよなってやつじゃん。これが、大データ時代。
バックアップをとってないわたしが、愚かだった。
保険会社からも、
『中身のデータには値段がつけられませんので……せいぜい、機器代金の1万5000円の補償になります』
そりゃ、ま、そうである。
今度こそ諦めたが、ここで、マンションのオーナーさんが登場。
『修理代金は、うちからお支払いします。引っ越し代はもちろん、補償しきれなかった家具代は敷礼金を全額お返ししますので!』
オーナーさんが、補填してくれることになった。
正直、とてもありがたかった。
漏水の原因は、今のところ、誰が悪いわけでもなさそうなので。オーナーさんもこれから大変だろうに、ここまでしてくれるのには、頭が下がる。
破損はまぬがれたが、新居に入らないので捨てる予定だったソファやカウンターたちは、オーナーさんが全部引き取ってくれた。一緒に相談し、京都の外国人留学生たちに寄付することになった。すごく喜ばれるらしい。
別れ際、オーナーさんは、
『ここは家族から代々受け継いだ大切な土地なので……これからも、なんとか、守っていきます。このたびはご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。いつか岸田さんの読者として、お会いできることを願っています』
と言ってくれた。
フリーランスで、収入も不定で、奨学金を返していて、家族全員に障害があって保証能力が低いわたしは最初、京都のほとんどの物件で審査がおりなかった。
オーナーさんだけが、迎え入れてくれたのだ。
あとから『実は岸田さんの読者なんです』と打ち明けられ、教えられたおいしいケーキ屋に行ったら、オーナーさんのツケでケーキを食べさせてもらった。
漏水は大変だったけど、たくさん書くことができたので。
きれいになったあの部屋には、また、いい人が引っ越してほしいな、と思う。
あれから、いろいろあった。
1.部屋をつくってくれるその人は
わたしがエッセイを書いたり、本を読んだりする部屋がいる。
部屋が整わねばどうにもならんので、どうしようかと悩んでいたら。
ある人が、作ってくれることになった。
亡くなった父の右腕として、働いていた人である。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。