自動車教習おかわり列伝-9日目「交通奇譚お気持ちバトル」
セット教習、なるものに招集された。
セットっつーと抱き合わせ商法の類かと思いきや、教習生が三人一組で同乗する教習だ。一蓮托生の人間ハッピーセットである。
「教習生同士で、お互いの運転を見て、良いところと悪いところを観察しましょう」
教官に説明されたが、何度考えても、納得がいかん。
なんでそんなことせなあかんねん。教官ってのは、その良いとか悪いとかを言うためにおるんとちゃうのか。
さして興味もない相手の悪いところを、わざわざ言わねばならん苦痛ったらないわよ。
憂鬱なハッピーセットは、わたしと、大学生が二人。
ひとりは一回生の佐々木さんで、気の毒になるほど緊張していた。
もうひとりは三回生の田沼くん。こっちはやけに堂々と冷静で、聞けば京都大学の工学部だった。秀才あらわる。
ペラッペラのノートが一冊ずつ配られる。
「交代で運転するから、これに気づいたことを書くように」
後部座席から他人の運転をじっくる見ると、なるほど確かに、運転席の景色とはかなり違う。
どれどれ。
信号を無視して飛び出す老人。
コーナーをかすめていく二人乗り自転車。
衝突寸前の右側を軽やかに逆走する電動キックボード。
トラックの中で裸(ら)になって運転するあんちゃん。
助手席の教官が言う。
「自分では安全だと思っていても、実は危険な運転をしていることがあります。決して見逃さないように」
あの、教官、ちがいます。
危険な運転とかじゃなくて。
たぶん、治安が、終わってます。
仮免許のわたしらの方が、ヘタしたら安全です。
ヘタしたら安全という奇妙な言葉を生まれて初めて使ったかもしれない。ゆくゆくは、こんな無法地帯に解き放たれるのかと思うと寒気がする。
ノートの一行目には
「この街は危険であふれている」
と書いた。
ダイイングメッセージかしら。
ハンドルを握る佐々木さんは、観察されているせいで、かわいそうにガッチガチだった。時速60km制限の道で、30kmまでしか出せなかった。田舎のトラクターみたいになってた。
そのおかげで、工事現場で「じゃかあしいわダボォ殺すど!」と、一句詠むかのように吐き捨てるおじさんをゆっくり見物することができた。サファリパークの気分である。
佐々木さん。田沼くん。
うちらは、うちらだけは、安全運転でいこうね。
そう。生きるか死ぬかの交通魔界都市・京都で、わたしたちは今、最も安全を心がける良心ドライバーの同志なのである。
悪いところなんて、書けるわけないじゃん。
時代は令和だ。褒めて伸ばせ。ノートには称賛と労いの言葉を、いっぱいに綴った。
一時間後。
そこには、同志からボコボコにされる岸田奈美の姿があった!
待て待て待て。どうしてこうなった。教室に集まって、「自由に振り返りましょう」って教官から言われた直後は、穏便だったじゃないか。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。