自動車教習おかわり列伝-2日目「異世界転生系教習生」
技能教習がはじまった。
朝になると、自然にパチリと目が開いた。あんなに学校へ行くのが億劫だったのに、大人になってから通う学校の楽しさったらないよ。
わたしを待っていたのは、快活そうな若い女性の教官だった。しかも茶髪のボブカット。びっくりした。
教習所の教官といえば、おとなしく見えてどこに怒りのスイッチがあるのかわからん、不気味で線の細いおじさんのイメージだった。
時代は変わったのだ。
「岸田奈美さんですね。コンタクト、つけてますか!」
「はいっ」
「ようし、今日からがんばりましょうね!」
さわやか。運転免許のない劣等感で錆びついていた心が、ウォッシャー液で洗われていくようだわ。
車の運転席に乗り込む。緊張してきた。
「座ってみて、どんな感じですかね」
「アクセルは踏めますが、ブレーキが踏めませんね」
まるでわたしの生き様のようである。足でペダルをふみふみ確かめながら、答えた。
椅子とミラーの調整をしてもらって、さあ出発だ。ハンドルを握る手が、ジトッと濡れはじめる。
「わーっ!」
アクセルを踏むと、動く。こんな鉄の塊が。すごい。
「岸田さん」
教官がニコッとほほ笑む。
「逆走してます」
「あっ」
動いたことに夢中で、思いっきり対向車線へ侵入していた。嫌な汗が全員から吹き出る。
「初めて運転すると、よくあるんですよ。わかんなくなりますよねえ」
「へへへ」
思わず笑ってしまったが、なにがヘヘへだ。恐ろしい。こんな鉄の塊を、人間が操作してるの、ありえない。ほれ見ろ、ちょっとでもハンドル切ったら、想像の何倍も動くんだぞ。あっぶねえ!
「じゃあアクセルは踏まずに、しばらく外周を走りましょ」
まだ右折も左折もできない新米教習車は、徐行でノロノロと走るのみ。それでも、カーブなんかはけっこう難しい。
道幅のどのあたりを走ってるのか、感覚がつかみづらい。左足のあたりがちょうど車の真ん中とアドバイスされたが、信じられない。真ん中はもっと真ん中にあるような気がする。
外周の1週目が終わるまで、黙っていた教官が、
「岸田さん」
口を開いた。
「めっちゃお上手です」
褒められた。
「そ、そうですかあ」
「最初はみんなもっとフラつくんです。位置取りもばっちりだし、すっごいスムーズに走れてますよ!」
弾むような声に、ガッチガチだったわたしの身体が、ちょっとずつほぐれていく。バブル時代の肩パッドかよと見間違うぐらい上がっていた両肩も、ゆるやかに落ちていく。
2週目のカーブにさしかかったとき、教官が「えっ」と声をもらした。
「なんかやっちゃいました?」
「目視確認もできてる……!」
パッ、パッ、パッ。左に曲がるときは、ドアミラー、ルームミラー、窓の順番で視線を移すのだ。
なんかやっちゃいました?という軽快なセリフが、息を吐くようにペロッと出た。まさかこの口から出る日が到来するなんて思わなかった。
「すごい!岸田さん、すごいです!」
「いやあ、全然ですよ、全然」
全然というか当然である。
なにを隠そう、このわたし。
教習所に通うのは、これで3度目。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。