自動車教習おかわり列伝-5日目「ヒヨ夫とヒヨ美」
何歳になっても試験は大嫌いだが、なかでも運転免許の試験となれば大学の受験より緊張する。
これを正直に打ち明けたところで誰もが「そんなアホな」と呆れて笑うのだが、わたしはマジメだ。
運転免許の試験に落ち続けた者にしか味わえない地獄がある。それは“落ちた”という一言では表せられない、多層的な地獄なのである。
4年前、教習所にあえて通えわず、警察署で一発免許に挑戦していた時は本当につらかった。
まず、試験の予約すら簡単に取らせてもらえない。いちばん早くて一ヶ月先の予約、しかも平日なので、会社に勤めていると有給休暇を申請せねばならない。
警察署では、試験の関門が4つも待ち構えている。
仮免学科、仮免実技、本免学科、本免実技。
学科に受かったら一ヶ月待って、実技に受かったら一ヶ月待って、という具合でカタツムリのごとくノロノロと進んでいく。
なにより試験官が怖い。現役の警察官である。嘘か真か知らぬ存ぜぬが、聞くところによると、刑事課などでブイブイいわせてた警察官が左遷されて流れ着く離れ小島ではないかとのこと。
要はそういう噂がささやかれるほど、ヤ〜な感じなのである。
けど、警察官のヤ〜な感じにも理由があると知った。
このご時世に、お金をケチって警察署で一発免許を取ろうとする人間の3分の2は、わたしを含め、どうしようもねえやつらなのだ。偏見だ。
例えば、わたしのように教習所を中退したマヌケ、高速道路を時速200kmでかっ飛ばして免許を取り上げられた狂人、田んぼという名の私道でトラクターを乗り回していた老兵、ろくに調べないまま夢と希望を持って挑んでくる清貧の僧が揃い踏み。
全員、思惑は似たようなもんだ。
「さんざ車なんぞ運転してきたんやから、余裕やろ」
なめ腐ったバカ野郎どもに引導を渡すのが、警察の役目である。免許なんてやるわけねェだろ、おととい来やがれ。説明のときからもうそういう雰囲気がビンビンに伝わってくる。合格率は脅威の1割以下である。
忘れもしない。
わたしは一度目の試験に、エンジンのかけ方がわからなくて、落ちた。
プリウスのエンジンって、ボタンなの。キー回さないの。知らなかったの。
「この車は……ダメですね……」
手遅れの患者を眺める目をしたわたしのこと、試験官、ぴくりとも笑わなかった。ここには人権などないことを知った。
落ちたらまた予約を取りなおすのだが、前述のとおり、再試験は一ヶ月後である。果てしなく遠い。その間に腕がなまってはいけないので、練習する場合はもちろん自費である。
半年以内に4つの試験に合格しなければ、すべての合格実績が取り消され、また最初の仮免学科からやり直しとなる。
落第してしまった情けなさ、貴重な有給休暇、ひねり出した時間、数千円のお金が、一気に消し飛ぶときのショックったら……もう……。
わたしは6度目の受験で挫折した。
全国に数ある試験コースの中でも、東京の品川の路上というのは別格でして。その難しさったら、スーファミでいう『魔界村』に近いの。運ゲーを越えてもはや死にゲー。
警察に課される試験が死にゲー。
速度超過のタクシーが客を取るために背後から突っ込み、四方八方を信号無視のリーマンが駆け抜け、倖田組のステッカーを貼った二輪から煽られるなど、初見で即死の事態に幾度も見舞われた。
大井競馬場から競走馬が逃走し、試験コースに馬がたたずんでいた日も、わたしはやっぱり試験に落ちた。
耐えられずに試験車の後部座席で号泣していたら、比較的優しかった試験官が困ったように微笑んだ。励ましてくれるかと思った。
「他の受験者に迷惑だから、ここで降りてくれるかい」
ここから先は
岸田奈美のキナリ★マガジン
新作を月4本+過去作400本以上が読み放題。岸田家の収入の9割を占める、生きてゆくための恥さらしマガジン。購読してくださる皆さんは遠い親戚…
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。