自動車教習おかわり列伝-3日目「盗んだPCで学び出す」
『運転免許は、もう特別な資格ではありません。誰もが取得する時代です。』
教科書の1ページ目に書いてた言葉を、指でなぞりなぞり、何度も読み返す。特別な資格ではない。その通りかもしれない。
教習を挫折し、失った時間とお金と自尊心から目をそむけ続けた愚か者にとっては、一等星のように輝く特別な資格なのだ。あのカード1枚に、どんだけ憧れてるか。
週末。
実家でカレーを食べながら、母と弟に報告する。
「昨日はな!見通しの悪い交差点の進み方、めっちゃ慎重で上手にできてん!」
「へえ……」
朗報にもかかわらず食卓は白けていく。わたしが喜べば喜ぶほど、老け込む母の遠い目は「そんなもんはな、得意になることちゃうねん」と静かに語りかけている。
最初は弟も「やるやん」と褒めてくれたが、どうやら褒め案件ではなさそうだと察するやいなや、無言でカレーをすくい取るのみ。空気読み検定1級か。
ああ、梅吉。
褒めてくれるのはお前だけや。
犬を抱きながら、わたしは嘆いた。一昔前のサラリーマンの孤独と似ている。
「梅吉よ。わたしが免許とれたら、日本一広いドッグランまでドライブしたるからな」
母がそっと梅吉を抱きあげ、回収していった。ちくしょう。今に見てろ。
教習所内のつくりもんの道路を走る“第一段階”の工程は、順調にこなしている。わたしの人生において“順調にこなしている“のは、慣れない奇跡である。
どんなに運転がうまくとも、きっかり19時間は乗らなければ、第二段階へ進めない。
あと、運転だけじゃなくて、10時間も座学(学科)も必要だ。
学科。正直これが一番、面倒だなあと頭を痛めていた。
3回目の入校でも運転は楽しいが、一度習った単純な授業をまた聞かされるのは苦痛オブ苦痛。わたしはもともと30分以上、静かに座ってられない猿である。
いやだな。いやだな。
うんざりしながら教習所の廊下を歩いていたら、貼り紙が目に入った。
『2023年より、学科はすべてオンライン受講が可能です』
なん……ですって……!?
そんなうまい話があるもんかと疑いながら、受付のお姉さんにたずねた。本当にうまい話だった。説明を聞きながら「へえ」「ふうん」「いま初めてコロナ禍に感謝しましたわ」とクールに振る舞ったが、内心では狂ったように飛び跳ねていた。
自宅から!
パソコンで!
学科の動画を!
見るだけ!
ヒャッホォ!!!!!
「あっ、ちょっと待ってください」
駆けていこうとするわたしを、お姉さんが呼び止める。
「動画を見ている間は、カメラで岸田さんのお顔が録画されます。AIが視線を感知して見張ってるので、居眠りやよそ見をすると自動で中断ですよ」
「えーっ。めっちゃハイテク!」
「AIの判定がOKでも、教官があとから録画を確認します。不適切な態度で受講していたら失格ですから、ご注意くださいね」
ハイテクなんだかローテクなんだか、微妙なラインである。
人の話を聞いてるとき、だいたい口がアホみたいに開いてるから、まじまじ見られるのはちょっと恥ずかしい。あくびとか、したらダメなんだろうなあ。
「ところで、不適切な態度ってどんな感じですか」
「マンガを読むとか、あくびをするとか」
やっぱり。
「あとジュースとお菓子もダメみたいです」
「ジュ、ジュースとお菓子も!?」
それは厳しい。いや、教室で授業を受けてると想像したら、当然か……。
オンライン会議が主流になってから独立したので、感覚がズレてきてんのが怖い。編集者の佐渡島さんなんか、打ち合わせのたびに素麺やら豆腐やらズルズルいってるもんな。パソコンの前では誰しもズルズルいくのが普通だと思ってたけど、やっぱあれ異常だよな。危ねえ。子孫に受け継ぐところだった。
「とにかく、目を離さず、真面目に受けていただいたら大丈夫です!」
オッケー、オッケー。
さっそく、最初の学科を受けてみた。
事前に収録された動画がはじまる。丸メガネをかけた、いかにも学科一筋30年という雰囲気の佐藤先生が、パッと映った。
『みなさん、鹿を見たことはありますか。』
5万回は見たことのある作風のイラストに切り替わる。
『奈良の鹿は、ちゃんと信号待ちをするんですよ。』
カメラ目線でほほ笑む佐藤先生にパッと戻る。
『つまり、信号無視をする愚か者は、鹿以下ということです。』
クセが……ある……!
無味かと思ったらクセがある!
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。