僕らはお揃いの服を着た、別々の呼吸、違う生き物
title…BUMP OF CHICKEN『アリア』
行動援護従事者(おもに自閉スペクトラム症の人への支援)の資格をとるための研修を、ぜんぶ受け終わりました!
なぜ受けたのか、複雑なようなそうでもないような前置きはこちら。
まるっきりの初心者なのに、早とちりして上級者のための研修を受けてしまったのだが。
結論をいえば、全人類に受けてほしい研修だった。
他者と生きてゆくために大切な智慧と希望を、自閉スペクトラム症の人たちが身を挺して教えてくれたような気がしたのだ。
研修の最終日、たくさんの映像や手記をみた。
重い障害のある人が暮らす福祉施設での、実際の記録だ。大声をあげながら自分を傷つけてしまうような、生々しい姿も映し出されている。
女性の職員ふたりの髪を引っ張ったり噛みついたりしてしまう、強度行動障害のある人もいた。
これは……警察とか、弁護士が動いてしまうのでは?
ヒヤヒヤした。
職員の身を守ることの大切さや、危険を感じたときの対応方法などは、もちろん真っ当な説明があったけど。
その後に、授業とは別で、偶然にも聞かせてもらうことができた彼女たちの会話の衝撃が忘れられない。
『こんな痛みはね、別にいいんですよ。仕事ですから。それより外へ散歩しに行く前に、ウチらにやってくれてよかった』
『そうそう。暴れちゃうぐらい不快なことがあったってことが、いまわかりましたし。黙って抱え込まれちゃうとわかんないままだから、そっちの方がずっと困る』
『なにが理由だったんでしょうねえ……』
彼女たちは顔を見合わせ、ぐちゃぐちゃに乱れた髪の毛を直そうともせず、ウーンと考えこんだ。
その壮絶な光景と、彼女たちが見つめている本質に、深い尊敬の気持ちが身体の奥底からわきあがってきた。
わたしが言葉を失っている間にも、
『“あとでドライブに行きましょう”って伝えたときの、“あとで”の意味がわからなくて不安になったのかな』
『今日は水道の修理業者さんが出入りして、ドアが開けっ放しだったから。いつもと違うのが気になったのかも』
状況を振り返りながら、不安や混乱を起こすきっかけを、彼女たちはあぶり出し続けている。
髪を引っ張ったり、噛みついたりするのを、無理に止めさせることはあまり考えていない。そんなことは最初から、気にも留めていない。
彼女たちがひたすらに考えているのは、そんな行動を起こしてしまうようになった理由だけだった。
誰かを傷つけたくて、生きてる人なんていない。傷つけてしまうことを、悲しまない人なんていない。
『大声で暴れちゃうのは、そうはなりたくないっていう願いでしょう』
彼女たちは、そう信じて疑わないかのように。
人に対する尊敬という光が、煌々と放たれていると思えた。光はそっと、悲しみに寄り添っていく。
そういう光に、まったく別の場所で包まれたことが、わたしにもあった。
昨年の冬。
吐く息も言葉も吸い込まれるほど雪の積もる北海道の牧場で、わたしは一頭の馬と対峙していた。
尊敬する編集者に「勉強になるから」と諭され、わけもわからず飛んできたら、そうなっていた。
「それじゃあ、手綱を引いて牧場を一周してみましょう」
間近で見る馬は、想像より大きくて、堂々としていた。
雪の下に生える草を、はむはむし続けているのはかわいい。
かわいいなあ、とニンマリしつつ手綱を引いた。
……動かない。
「えっ?」
のんびりしていて気づかないのかしらと思い、何度か手綱を強めに引いてみたが、まったく動かない。
反抗しているのとはちょっと違う。なんて言うか、最初からわたしが存在してないかのようにドッシリ構え、草をはむはむしているのだ。
「おーい、こっちやで!」
視界に入るため、草の生えてるあたりにグイッと割り込んでみる。真っ黒の真珠みたいな目は、まるでわたしを捉えない。
動かない。
気まずい。
とても寒い。
ニンマリしている場合ではなくなった。このままだと凍え死ぬ。なにより順番を待ってる人たちもいるのに、突っ立ってるのが恥ずかしい。
「あっちにはめっちゃ美味しい草があるで!おいで!」
大げさに指をさし、新しい草を見せびらかしても。
「お願いします……動いてください……」
平身低頭して拝み倒し、たてがみを撫でても。
まるで相手にしてくれない。
馬に無視され、泣きたくなる。
最終的に、酔っ払ったタコのごとく四肢をくねらせ、尻を振り、天を見上げながら陽気なダンスをしてみたが。
「はい、そこまで!」
無情にも時間が過ぎ去り、牧場主の温情により哀しいダンスは終わりを告げたのであった。圧倒的な無力感で、わたしはしばらく立ち尽くしていた。
最初から最後まで、馬はわたしに一瞥すらくれなかった。
牧場のそばの小屋で昼食をとりながら、絶望に打ちひしがれていると、牧場主が言った。
「馬はね、人間をよく見てるんです。なぜだかわかりますか?」
意気消沈していたわたしは、無言で首を横に振る。
「馬は草食で、鋭い牙も爪もない。一頭では生き残れないから、群れで暮らします。自然界では弱い存在です」
「……はあ」
手綱を引っ張られても微動だにしなかった馬に、弱いという言葉は似合わない気がした。
「ですが、弱い存在ゆえに、他者とともに生きる強さを持っている」
強さ。
そうだ、強さの方がずっと似合う。
「馬はミラー細胞がものすごく活発だと言われてます」
「ミラー細胞?」
「相手の行動を見て、鏡に写すみたいに自分の脳内でマネし、同じ感情を呼び起こす反応をします。つまり……」
彼女は、窓の外の牧場へ視線を写した。
「“共振”の能力です」
言葉を使わない馬たちは、群れで生きるため、他の馬の感情を読み取っている。共振、共感、共生……。
「馬には、岸田さんがどう映っていたんでしょうね」
そのとき、見透かされたような気持ちになった。
かわいいと褒めながら、わたしは馬を見下していた。言うことを聞かせようと思って、割り込んだ。もたもたするのが恥ずかしくて、引っ張った。
寄り添ったつもりの行動には、わたしの勝手な都合が潜んでいた。
馬は、読み取っていたのだ。
「生き物はそれぞれ、感じている世界がまるで違います。世界が違えば、道理も文法も違う。岸田さんの文法で、馬を支配することはできません」
そうだ。
本当にそのとおりだ。
顔のあたりが熱くなる。
けれど、その文法とやらがわからなくて途方に暮れる。わたしの死にかけたにぶい細胞は、馬を見ただけで共振してくれない。
「自分とは違う文法をわかるためには、どうしたら……?」
「わかることはできなくても、なんとなく感じることはできますよ」
牧場の主は、なにかワクワクするものの到来を待ち受けるかのようだった。
翌日。
わたしはふたたび、馬と対峙していた。
話しかけることも、手綱を引っ張ることもしなかった。なんの自信もなかったけど、とにかくそばで棒立ちしていた。
馬を見た。
とにかく見た。
馬も、わたしを見ていた。
どうして草をはむんだろう。どうして歩かないんだろう。次から次へと頭に疑問が浮かぶ。あかん、あかん。邪念を打ち消したくて、呼吸のたびに上下する馬の鼻を凝視していた。
何分経っただろうか。
寒さで指先の感覚が失くなったころだったと思う。
「あ……」
歩いた。
馬が、歩いてくれた。
鼻先をわたしの肩あたりに委ねるようにして、一歩ずつ、ゆっくりと。
牧場の端にぶつかりそうになった。綱を引っ張ろうかと迷ったけど、その前に、スッと馬は進路を変えた。
不思議な感覚だった。
馬が曲がってくれたというより、わたしが馬についていったような。馬の意思と、わたしの意思が、溶け合ったような。ひとつの壮大な生き物の闊歩。
一周を終えたわたしたちを、牧場の主はあたたかく迎えてくれた。
「岸田さん、馬と同じ速さで深呼吸してましたね」
「……ほんまですか?」
気づかなかった。わたしは無我夢中で馬の鼻を見つめているうちに、いつの間にか、彼にあわせて、ゆっくりと呼吸していたのだ。
昨晩、布団の中で想像していたような嬉しさがないことにもビックリした。ようやく熱い感情がこみあげて「ウワァ〜〜〜ッ!」と喜びに手が震えたのは、新千歳空港から離陸した飛行機の中でのことだった。
あの時、わたしは、光に包まれていた。
一緒に生きようとしてくれている相手のことを静かに見つめ、その世界におそるおそる足を踏み入れ、そっと許されることの暖かさを味わった。
障害者への“サポート”を学ぶために研修を受けにきた、と思っていたけど、本当は違う。
サポートといえば聞こえはいいけど、「助けてあげる」とさしのべた手は、優しい支配関係を期待していなかったか。
助けるとか、改善させるとか、そんな薄っぺらいことより。
自閉スペクトラム症という、豊かな文法を持つ人たちの世界へ、そっと入っていくこと。
パニックになったり、誰かや何かを傷つけてしまう人の悲しみを味わうこと。
共振することで得られる、言葉にできない幸福をお互いに感じること。
そういう大切なことを、わたしは教えてもらうためにきたのだ。
先生は言った。
「自分だけで行動援護をしようとしてはだめです。あなたがたはチームですよ。チームで話しあい、力をあわせ、励ましあってください」
何度も、何度も言った。
言葉ではない方法で、世界の中へ入っていくというのは、それぐらい大変なことなのだ。膨大な情報に飲まれ、無力感に襲われ、疲れ果てる。
ひとりだけで抱え込めば、ダークサイドに引きずり込まれてしまう。
実際に、虐待や自殺、といった目を背けたくなるような現実を先生は知っていた。
自閉スペクトラム症の人たちに限った話ではなく、これは社会にたくさんいる“困っている人たち”すべてに言えることだと察したのは、わたしだけだろうか。
よく「距離をとる」とか「強い態度で出る」とかいうアドバイスを見るけど、一体どうして、自分だけで対応することが前提なんだろう。
怒鳴ってる人に、怒鳴るのをやめてもらえたらいいんだけども、どうやっても難しいときがある。怒鳴りたくて、怒鳴ってるわけじゃないから。その人の世界でしか感知できない、なにか屈強な理由があるから。
同じ世界の中枢まで潜って、怒鳴りたくなる理由を潰したり、怒鳴っても誰も困らない環境を作ったり、ということまで考えれば打つ手は広がる。
ひとりじゃできない。
わたしたちには、仲間が必要なのだ。己の弱さを知り、他者を信頼する賢者が持つ、共振という能力でつながる仲間が。
よかった。
わたしはまた、未来に待ち受ける絶望の闇を、ひとつ切り裂いた。大丈夫だ。この希望の光を持っていれば、わたしはきっと、大丈夫。
3日間の行動援護従事者養成研修が、教えてくれた。
当初の目的を忘れてはならない。
わたしはグループホームで暮らす弟と、弟が尊敬する友人を、WBCの強化試合観戦に招待するために、この資格を取ったのだ。
神戸から、大阪の京セラドームまで行脚しなければならぬ。
知的障害のある友人やご家族に「岸田奈美さんが一緒なら平気ね」と、安心してもらうために!
わたしは!
行動援護従事者になったのだ!
誇らしさを胸にたたえていると、ちょうどいいところに、グループホームの責任者・中谷のとっつぁんから電話がかかってきた。
「中谷さん!あのですね……」
わたしは高らかに、朗らかに、資格取得の宣言をしようとした。
「お姉さん、WBCの強化試合に行く件ですがね、チケットがまだ余ってると聞いて……」
「チケット?あっ、はい、ありますよ」
「ぼくもご一緒してもいいですか!野球がもう大好きで、大好きで……行動援護の資格もちゃんと持ってますから、良太くんたちの送迎も見守りも、しっかりやらせていただきます!よろしくお願いします!」
「……え?」
〜完〜
書籍「国道沿いで、だいじょうぶ100回」に収録した連作エッセイです。