祖父のアルゴリズム葬儀(もうあかんわ日記)
毎日21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
今日はお昼に「みんなのお金で、3月21日にでっかい新聞広告を出したかったわけ」という大切なnoteを書いたので、そちらも読んでくれると嬉しいです。
父方のじいちゃんの葬儀があった。
母は入院中で、母方のばあちゃんは足が悪くて、参加ができなかった。わが家代表として赴いたのは、わたしと弟の二人だけだ。
直前まで喪服が見つからなかったけど、なんとかそれなりに黒くてちゃんとした服に身を着て、どこに出しても恥ずかしい姉弟が、とりあえずは恥ずかしくない身なりで出席することができた。
出席した親族は、あわせて10人。
岸田家はなんというか、ものすごく不思議なつながりで、基本的には全員が優しく、一家庭ずつ団結しているのだが、家庭の枠を越えると途端に、よそよそしくなる。いとこ同士はほぼ喋らない。
よく、全然盛り上がらない宴席のことを「お通夜かよ!」と言ったりするけど、リアルお通夜であった。黙って飯を食い、バヤリースの瓶を一人であけてグラスに注ぐ。
沈黙に耐えられずに話しかけてみるが
「いま、なにしてんの?」
「……会社員」
「そうなんや!わたしは会社辞めてん!」
「ふーん」
「元気に仕事してる?」
「うん」
「タ、タイムカードとか押すの大変やんな!」
「いや」
「そっか」
「……(カチャ、カチャ)」
「……(ズズッ、ズズ)」
何度でも言うが、誰も意地悪な人間などいない。この空気にはいろいろな自然界のしがらみがあるがゆえに語ろうとすると1万字を越えるので、割愛する。
さて。
こういうご時世にみんなで集まって、葬儀を出すって、どんな意味があるんだろう。
父の葬儀のときは、あまりにも突然すぎて、ずっと泣いていたからそんなことを考えるヒマはなかった。
じいちゃんは寡黙な人で、こういう集まりはどちらかというと隅でビールを飲むだけできっと好きではなかった。じいちゃんと血の繋がった息子も、愛した妻も、先立っている。
ここにいるのは、じいちゃんと数年単位で会っていない親戚がほとんどだ。
死んだじいちゃんがどう思ってるのかはわからないけど、葬儀はまちがいなく、残されて生きる人のためにあるのだと思った。
「ありがとうね」「ごめんね」
言いきれなかった気持ちを、ちゃんと伝える。これは故人のためではなく、きっと自分の未練や罪悪感をなくすため。
身体がなくなって、軽い灰になってしまう喪失感と折り合いをつける。そうすれば、これからは仏壇に祈ることができる。
葬儀で親戚や疎遠だった人たちと集まっておけば、なにかあった時に力になってくれる。
そういうわけで、葬儀というのは、悲しみや愛情をできる限り見える化することで、あっちとこっちでお別れという線を引き、残された人たちが生きていくための儀式なんだろう。故人のためと言いつつ、たぶん、故人のためではない。
だから、お念仏とか、お焼香とか、手をあわせるとか、花を入れるとか、そういうのが大切なのかも。
前にnoteで書いたとおり、わたしはじいちゃんの死について、悲しみがあまりない。ずっと入院しての大往生なので、どちらかというと「ようやくあっちで家族と暮らせるね。ずっと待ってたパパも喜ぶわ」という穏やかな喜びの方が強い。
わたしが見える化すべきは、じいちゃんの明るい旅路への祈りだ。
たぶん、心の底で自然とそう思っちゃってたからだと思うけど、気がついたらじいちゃんの葬儀にあたって、おもしろいところばかりが目についてしまった。
棺があけられ、お花やら、冥土に持っていくじいちゃんの私物がたくさん詰められていく。
じいちゃんの面倒を一番見ていた伯母が「お義父さん、これ好きやったやろ」と、しんみりして、ぽたぽた焼きを詰めまくっていた。
これからぽたぽた焼かれるじいちゃんが、ぽたぽた焼きで顔のまわりを埋められている。「ぐうっ」と声が出かかったが、大ひんしゅくになるのでこらえた。
叔祖父が「これも入れといたろ、懐かしいやろ」と、じいちゃんの通信簿を六年分、入れた。見てもいいかたずねると、いいと言われたので、色あせたそれをぺらりと開いた。
成績が、絶望的に悪かった。
国語と算数が1と2で先生からは「お前はいったいなにを聞いてるんだ」を限りなく子ども向けに訳したコメントがそえられていたので「これ嬉、じいちゃん見たくもないんちゃうの!?」とさらに笑ってしまいそうになり、神妙な顔を全力で作った。
しんみりする者と、笑いをこらえる者がいるなかで、一人だけ異彩を放っている存在。それが、わたしの弟だ。
弟は参列しながら
「パパは?」
「おじちゃんは?」
と、何度も聞いてきた。
「どっちもずっと前に亡くなってるんだよ、お空にいるよ」
「おそら……ひこうき?」
「えっ」
「ひこうき、おきなわ?」
飛行機といえば、沖縄に行くと思っている弟は、目を輝かせた。
なるほど。天国のことをお空、というのは、弟にはわからないのだ。
空には飛行機がいて、その上には宇宙がある。どこにも死者は漂っていない。
「なんて言ったらいいかな。病気で、もうここにはいないねん」
「じゃ、びょういんか」
今度は、ずっと病院に入院している人になってしまった。
弟には、人の死がわからないらしい。じいちゃんのことも、病気で、ずっと眠ったまま喋れなくなってしまった人だと思っている。
お坊さんによるお経が続いていた。
「それではご家族の方、お焼香をお願いします」
一番左に座っている喪主の叔祖父が、立ち上がった。
しまった、と思った。
叔祖父の右に、弟が座っている。
順番的に、わたしよりも弟が先に行くことになる。順番を変わろうかと言いたくなったが、厳かな雰囲気でとても口に出せそうにない。
「お焼香は一回でお願いします」というアナウンスがあったが、弟はまず、お焼香というシステムさえよくわかっていないはずだ。
うっかりしていた。
どうしよう。どうやって伝えよう。
そうしていると、弟は、すっくと立った。
ぎこちなくも、堂々とした動きで、喪主側に一礼、孫側に一礼し、お焼香の前に立った。むっくむくの手で香木を掴んで、火種にくべ、数珠を持って手をあわせる。
一度も、教えたことがないのに。
弟は、ただ、じっくり見ていたのだ。自分より先にお焼香をした叔祖父のことを。
大人でも「自分がよく知らないマナーが必要な場所」に連れ出されると、ビビる。わたしは千利休的な茶会に急遽呼ばれたとき、すくみあがって失敗し、自己嫌悪に陥ってしまった。大人にとってマナーとは、それくらい緊張するものだ。
でも弟は、しっかりと見て、おびえずに、見様見真似でやった。叔祖父は背中しか見えなかったから、お焼香は一回のところ、二回やってしまったけど、堂々とやっていたらなにも不自然ではないことに気づいた。
すげえ。
そのあとも弟は、
じいちゃんの棺をかついで霊柩車に納める役割にも抜擢され、
精進落しの料理も、小皿に醤油をとったり、汁物から先に食べたり、前にいる伯母を見ながらやっていた。前をチラチラ見ながら食べている。
お骨上げも、最初はパニックになるかもしれないから、やってもらう予定はなかったが、お箸を持って、落ちついてやってくれた。じいちゃんの首の骨は、弟が拾った。
とにかく、前の人にならう。アルゴリズム的葬儀で、弟は、弟なりに一生懸命、じいちゃんを送った。
喪主がいる限り、弟は大丈夫だ。でも、母とわたしが死んだら、弟が喪主になる。そうなったらアルゴリズム的葬儀ができないから、アルゴリズムのためにも、絶対に彼より先に死んでなるものかと思った。
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2.それって悟ってるんだよね
弟に、死という考え方を、ちゃんと伝えられなかった。それが心のこりだった。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。