
こちょこちょ(姉のはなむけ日記/第20話)
弟の電話は毎晩、続いていた。
「あのな、あのな、あのーな!」
からはじまり、興奮しているようなのだが、発音がはっきりしていないのでなにを言ってるのかがいまいちわからない。
「なんたらがもう、あかーんって、やねん!こらっ、やねん!」
なんのこっちゃわからないのだが、あかんことだけはわかる。岸田家はそれぞれ軽率にその三文字だけを口に出しがち。
中谷のとっつぁんに聞いたところ、同居人が四人ともそろったことで、お互いに緊張したり、行動を探ったり、いろいろあるそうだ。
「みなさんで食事をして、そのあとお茶をして、ゆったり過ごされてるんですけどね。合わないところをどう折り合いをつけていくかって感じで」
性格も育ちも違う人間が、集まって暮らすための壁が着々と。
弟の場合は、まわりのテンションにとても左右されやすい。フロアがアゲだとアゲになるし、サゲだとサゲになる。
そばで泣いたり、大きめの声を出したり、うろうろしたりする人がいると、弟が「あかーん!」を発する。ぷよぷよの連鎖コンボみたいなことが起きてる。「あかーん!」は「ばよえーん!」でもある。
石器時代からどこまでいっても、われらの悩みの九割は人間関係。
わたしと違い、深夜ではなく、早朝に弟の電話がかかってくる母は、げんなりしていた。
「二度寝するんやけど、いつも悪夢を見てしまうわ……」
来る日も来る日も「あかーん!」から始まる朝だったが、日を追うごとに、弟の話はアゲ感が足されていった。
「あのなー!いまなー、おちゃ!」
「お茶?ほしいの?」
「ううん」
「飲んでるの?」
「うん」
「住んでる人たちと?」
「あー、うん」
これは……うまくいきつつあるのかもしれない。
それからすぐだった。
グループホームへ、わたしがお邪魔することになったのは。
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