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こちょこちょ(姉のはなむけ日記)

岸田 奈美

グループホーム入居を目指し、ダバダバと奮闘する姉と弟の記録。前回のお話はこちら。

始まりのお話はこちら。


弟の電話は毎晩、続いていた。

「あのな、あのな、あのーな!」

からはじまり、興奮しているようなのだが、発音がはっきりしていないのでなにを言ってるのかがいまいちわからない。

「なんたらがもう、あかーんって、やねん!こらっ、やねん!」

なんのこっちゃわからないのだが、あかんことだけはわかる。岸田家はそれぞれ軽率にその三文字だけを口に出しがち。

中谷のとっつぁんに聞いたところ、同居人が四人ともそろったことで、お互いに緊張したり、行動を探ったり、いろいろあるそうだ。

「みなさんで食事をして、そのあとお茶をして、ゆったり過ごされてるんですけどね。合わないところをどう折り合いをつけていくかって感じで」

性格も育ちも違う人間が、集まって暮らすための壁が着々と。

弟の場合は、まわりのテンションにとても左右されやすい。フロアがアゲだとアゲになるし、サゲだとサゲになる。

そばで泣いたり、大きめの声を出したり、うろうろしたりする人がいると、弟が「あかーん!」を発する。ぷよぷよの連鎖コンボみたいなことが起きてる。「あかーん!」は「ばよえーん!」でもある。

石器時代からどこまでいっても、われらの悩みの九割は人間関係。

わたしと違い、深夜ではなく、早朝に弟の電話がかかってくる母は、げんなりしていた。

「二度寝するんやけど、いつも悪夢を見てしまうわ……」

来る日も来る日も「あかーん!」から始まる朝だったが、日を追うごとに、弟の話はアゲ感が足されていった。

「あのなー!いまなー、おちゃ!」

「お茶?ほしいの?」

「ううん」

「飲んでるの?」

「うん」

「住んでる人たちと?」

「あー、うん」

これは……うまくいきつつあるのかもしれない。


それからすぐだった。

グループホームへ、わたしがお邪魔することになったのは。

一応、送迎車の輸送に必要な書類を書くためだったが、土曜の昼間なので、みんなそろっているというのだ。

どんなお仲間がいるんだろう。

心を踊らせながら、わたしはグループホームの玄関をくぐった。

「こんにちはー」

「おう!」

最初に出迎えてくれたのは弟だった。片手をヒョイとあげる。もう片手はジーンズのポケットへ。ちょっと得意げである。

会社員時代、新婚で中古分譲マンションを少々無理してローン購入した先輩んちに行ったとき、先輩もこんな感じだった。なんというか、粋がっていた。

「どうぞー、リビングへ」

向こうから、中谷のとっつぁんの声がした。リビングにつながる扉を開ける。

ソファの上に、中谷のとっつぁんが座っていた。

でも様子がおかしい。

黙って、手を組んだまま、こっちを見ている。そこだけ、宿敵の待つリングに上がる前のボクサーみたいな空気が流れている。

「中谷さん?」

返事はない。

扉に手をかけたまま、わたしは固まった。

見ているんじゃない。

睨んでいる。


ちょっとうつ向き気味に、下から上、つまりわたしの方を突き上げるように、全力で睨んでいる。

一旦、扉を閉じた。

息を吐く。息を吸う。

うん。

もう一度、扉を開ける。ちょっとだけ。隙間から、様子を伺う。

うん、うん。

あの人、中谷さんじゃねえな。


大混乱したまま、改めて扉を閉じた。

弟が住んでいるはずの家の、リビングに、ただならぬ雰囲気の知らないおじさんが鎮座している。鎮座ANGRINESS(怒)……ANGRINESS TIME(怒時間)……。

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岸田 奈美

しばらくは弟のグループホームの送迎車にかかる費用や持ってゆくお菓子に使います。毎月、家族で楽しく暮らすいろんなことに使わせてもらっているので、使いみちはよくnoteで紹介します。

岸田 奈美
小学館「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」ライツ社「もうあかんわ日記」発売中! キナリ★マガジンという有料定期購読noteで月4本エッセイを書くほか、役に立たないことを披露しています。 Official WEB→https://kishidanami.com/