伝説のワンメーターガール(姉のはなむけ日記/第18話)
弟がグループホームへ本入居する、前日。
今までは二泊三日、三泊四日と、少しずつグループホームへ泊まる日を増やしていたけど、これからは平日の間、ずっと泊まることになる。
「泊まる」から「暮らす」へ、変わるのだ。
土日はこれまで通り、神戸の実家で母とわたしと弟と犬の梅吉がそろうので、そこまで大げさな旅立ちではないのだが。
どうしてだか焦って、今のうちしかできない(ような気がするが、実際はそんなこともない)ことを、片っぱしから探した。
弟と三宮の町へ繰り出し、やたらと忙しい一日がはじまる。
まずは、パスポートを申請しに行った。
母は「あんた、いまパスポートなんか取っても、海外に行けるご時世やないんやし……」と困惑していた。
今までみたいに、平日、わたしと弟は自由に出歩けなくなる。日曜も車で送っていくし、疲れてるかもしれない。
そうなると、役所に行きづらくなる。
人間は!自立すると!役所に!行くのが面倒になるのだ!
わたしは知っている。印鑑証明の書類がいつまでも揃わず、死んだ目をして何度も役所に行ったから、知っている。
弟のパスポートを、今のうちに取っておかなければ。冷静に考えると脈絡がなさすぎるが、思い込みというのは恐ろしい。
「海外へご出発の予定はいつですか?」
受付のお兄さんから聞かれ「わからないんです、それが」と正直に答えると、一瞬、黙られた。みんなは大体、予定が決まったら発行するそうだ。
「……まあ、今は空いていますし、ね」
パスポートの受付センターは、ガラガラだった。
パスポートに印刷する署名は、弟が自分で書いた。
一文字、一画を。初めて訪れた町の曲がり角を、ひとつずつ確かめて歩くように、ゆっくり、ゆっくり、書いていく。
「あっ、すみません。そっちじゃないんですよ」
本当は点線の上の広いスペースに書かなければいけないのだが、弟は下の狭いスペースに書いていた。なんでまた、そんなところに。狭い方が落ち着くタイプかい。
この場合の「すみません」は、社交辞令である。
紙はたくさんあるし、後ろに誰も並んでいないから、書き直しになったところで困る人はいない。もちろん受付のお兄さんも悪くない。誰も悪くないのだが、そっちじゃないんです、とだけストレートに伝えると、なんだかキツイ印象がある。
だから、すみません、をつけるのだ。
さえぎってすみません。わかりづらくてすみません。せっかく書いてくださったのを使えなくてすみません。なんかね、ええ、すみませんね、本当。
すみませんには、いろんな意味が含まれている。言う方も、言われた方も、頭のなかでそれぞれに都合のよい、ふわっとした意味を補完しておく。
わたしたちは、地球上で一番、謝っている存在かもしれない。
弟には、その社交辞令が通じない。
ペンをいったん置いて、深々と頭をさげた。
「ごめんなさい」
そしてもう一度、新しい紙に名前を書きはじめた。
「ごめんなさいね」
曲がり角を曲がるたび、何度か言う。できるだけかしこまって、申し訳なさそうに。受付のお兄さんも、ちょっと困惑していた。
なぜ言われたのか、それは本当に妥当なのかを、弟はあまり気にしていないのかもしれない。
すみませんと言われたら、ごめんなさいと言う。ごめんなさいと言われたら、ありがとうと言う。こんにちはと言われたら、こんにちはと言う。
弟にとってそれは、太陽が東からのぼるくらい、自然なことで。
意味がなくても、必要がなくても、嫌味であっても。
相手の気持ちにまず寄り添う、同じ気持ちになろうとする、というところの能力でいうと、岸田家の中でも一番うまいような。たまげた。
わたしはいつも、道行く人から八つ当たりのようになにか言われると
「キーッ!そっちだって、言えたもんちゃうやろがい!やったんどコラ!」
と瞬間湯沸かし器を押す猿のように怒るので、恥ずかしくなってくる。
たっぷり時間をかけて、岸田良太、という署名ができあがった。岸の山が、家族で昔、見物に出かけた大山くらいあって頼もしい。それでいて、良太の上のチョボ点は、控えめに離れている。名は体を表す。わが弟は、大胆さと謙虚さをあわせもっている。
「ええやん、ばっちり」
わたしが言う。
「はい、こちらで完ぺきです」
受付のお兄さんも言う。
名前を書くだけで、こんなに褒められるのは、いいよね。
わたしは最近、いつ自分の名前を書いただろう。サインはしてるけど、あれは崩した平仮名だし。
大金をクレジットカードで払うときぐらいしか、ないんじゃないか。あれはなんというか、わびしい贖罪のようにも思える。ズシンとくる金額も、汚い字も、あんまり見たくないな。
パスポートの写真は、すぐ近くの写真館で撮ることになった。
ビルの中の小さな写真館で、他にはお客さんがいないけど、レジでおばさんがなにやら忙しそうに勘定をしていた。
「写真を撮りたいんですけ……」
「はい、パスポートですね。あちらへ座ってください」
手早かった。なにもかもが。
「あれっ、あなたじゃないの?」
弟がぎくしゃくと椅子の方へ歩いてゆくのを見て、少しだけ、急流が止まったようだった。
弟は、カメラやスマホを向けると、いつも素っ頓狂な顔をする。くちびるを鳥みたいに突き出したり、ヒョットコのようにねじったりする。そしてヘリウムより笑いの沸点が低い母が、ヘリウムのような声で笑い転げる。
ただ、今回は、空気を読んで、ニコッと笑った。
「えっとね、笑っちゃだめなんですよ」
カメラマンのおじいさんから言われた。空気を読むのは難しい。弟はキュッと唇を結んだ。
「目はそらさないで、こっちを見て」
弟がレンズを見る。すると、なぜか口がスコーンと開いた。
「口は閉じて」
口を閉じた。すると今度は、目を閉じる。
「目は開けて」
目を開ける。口も開いた。
「口を閉じて、目は開けて、こっちを見て、笑わないで」
赤上げて。白下げて。赤下げないで、白上げる。
子どもの頃、ばあちゃんちの近くのゲームセンターにあった、ドラえもんの旗揚げゲームの音声が延々と頭の中をループする。
口を閉じて、目を開けて、こっちを見て、笑ってない奇跡の一瞬をとらえた写真ができあがった。額に三本の線が入っているが、堅実な印象ということにする。
この写真を書類に貼りつけて、パスポートの申請が終わった。
「ぼくと、ママと、なみちゃんで、あわい、いきます」
「あわい?淡路島?」
「あわい、うみ」
海。ハワイか。ハワイが外国であること、外国へ行くにはパスポートがいること、母がハワイに行きたくて行きたくてしゃーないことを、ちゃんとわかっていた。どこでわかったんだ。
ハワイだって行くし、もしきみが、なにもかも嫌になったら、地球儀を持ってきて、好きな国を指さしたら、あとのことは何も気にせず、そこへ行こう。こんなご時世だけど。目を見張るほどの円安だけど。
パスポートというのは、そういうためにある。どこへでも行ける。
パスポートの申請が終わって、次は靴を買いに行った。
弟の足はちょっとあまり見ない形をしている。縦はかなり短いのに、横がかなり広い。そして広大な大地を愛してやまない超弩級の扁平足。
わたしは弟が裸足でペタペタ歩いてるのを見るたび、味噌かつ矢場とんの「わらじとんかつ」がいつも食べたくなる。
なかなか合う靴がないので、プロが機械でサイズを計測して相談に乗ってくれるお店へ行ってみた。
靴と足のことならなんでもお任せあれ、といった具合の店員さんが、親切にしてくれた。弟の足は23cmの5Eというサイズになるらしい。
「そんなミッキーマウスが履くような靴って売ってるんでしょうか……?」
不安になったが、ちゃんとあった。
真っ黒で、紐がついてるけど、目立たないファスナーでかんたんに脱ぎ履きできるスニーカー。見た目も悪くない。
弟が気にいったので、履いて帰ることにした。
小学生のとき、流行っていた厚底サンダルを、母へ説得に説得を重ね、やっとダイエーで買ってもらったとき、嬉しくて履いて帰ったのを覚えている。いつもは退屈な坂道も、何キロだって歩ける気がした。
弟よ、ズンズン歩いてゆけ。わたしの知らない町を、わたしの知らない感情で。どこまでも。
夜になって、いったん家へ帰った。
お茶だけ飲んで、母をつれ、もう一度外へ出る。野菜や果物を買うついでに、なにか食べに行こうということになった。
小雨が降っていたので、アプリでタクシーを呼んだ。小柄で、ぶすっとしたおじいさんが運転するタクシーが来た。
「後ろ、トランクを開けてくれますか」
わたしが言う。母はタクシーに車いすを横づけして、内側の手すりを掴んで、腰を浮かせてヌルッと車内にすべりこむ。自分で動かない足を抱えて、完全に乗車すると、わたしが車いすだけを押して動かした。
わたしがたたんでいる様子を見て、さっきまでぶすっとして棒立ちだった運転手さんが、突然、いそいそと手伝ってくれた。
目的地をつげると「お出かけですか、いいですね」「お天気がちょっと心配ですね」と、それっぽい話もしてくれる。
人見知りなだけかしら。
そう思っていたら、運転手さんが話を続けてくれた。
「実はね、もう車いすの人なんて、二度と乗せへんわって思っとったんですよ」
わたしと母は、顔を見合わせた。弟は口を開けて寝ている。5秒で寝る。話がどう転ぶかがわからず、不穏な空気が後部座席に立ち込める。
「前に乗せたんですか?」
「一人ね。お客さんのよりもっと大きくて、重いやつでしたけど」
「ああ……電動車いすかな」
母の車いすは手でこぐタイプで、カーボン製だから7kgくらい。これが電動になると、モーターやハンドルがつくので、軽くて30kg、重くて100kg越えもめずらしくない。
「介助の人が誰もいなくてね。自分だけサッサと車に乗り込んで、あとは知らん顔ですよ。こっちはたたみ方もわからへんし、重くてしゃあないし、トランクも閉まらへんしで」
運転手さんが、しわくちゃの顔で、めいっぱい渋そうにしているのがミラー越しに見える。
「汗だくで、腰おかしなりましたよ。なんとかトランクを紐でくくって乗せても『ありがとう』の一言もなくて、まあ、無愛想でしたわ。やってもろて当然って顔っちゅーかね。お金さえもらえたら乗せますよ。そりゃ。わしらはそういう仕事やから。せやけどね、あんなん、かなわんわ」
これを、車いすに乗っている母とわたしは、一体どんな顔をして聞けばいいんだろう。おじいさんの思い出の苦さがわかる分、困ってしまった。困った顔ができるだけミラーに映るように努めた。
「あなたがたみたいな車いすの人やったら、もう大歓迎ですわ」
ホッ。
お叱りタイムではないことがわかって、わたしと母は一気に肩の力を抜いた。弟は依然、口を開けて寝ていた。
「乗せてくださってありがとうございます」
母が言うと、おじいさんはちょっと恐縮して、はにかんだ。
母はこういう時、よくお礼を言う。
新神戸駅から新幹線にひとりで乗るとき、いつもスロープを出したり、押したりしてくれる駅員さんにも。コンビニで母を見つけると、顔を覚えて挨拶してくれる店員さんにも。
駅員さんは母が来るたび「誰が岸田さんのお手伝いをしようかって、取り合いになるんですよ」と笑うし、店員さんはある日、お弁当を作って、東京へ行く母に持たせてくれた。
わざとやってるんじゃなくて、母は人からなにかを受け取る才能があって、心から喜んで、息をするようにお礼を言うので、そういうところもまた、瞬間湯沸かし器を押す猿であるわたしは、すごいなと思っている。
でも、母はたまに、それを怒られる。
何年も前、障害者のある有識者が集まる会議で、母はたしなめられた。
「へりくだりすぎです。気持ちはわかりますが、障害者にだって人権はあります。社会に不備が多いから、障害のあるわたしたちは生きづらさを感じているです。その不平等を社会が補うのは当然のこと。助けてもらったら感謝も、申し訳なさも、障害者は感じなくていいんです。感謝されて当たり前だと思われてしまったら、ますます、障害者は生きづらくなってしまう」
こんな意見も続いた。
「障害者がいるから、仕事ができている人もいる。だからわたしは、ヘルパーさんや介護士さんには、断腸の思いでお礼を言いません。彼ら彼女らは善意でやってるわけじゃない。仕事を侮辱してはいけないんです」
およそこういうようなことを言われたとき、母はショックを受けていた。
相手が意地悪で言っているわけではなく、これまで“どうして生まれつきというだけで、こんなに不便があるの?”という辛い思いを抱え、まわりから厄介者扱いされて惨めさに怒りを覚え、権利のために社会と戦うと腹にくくった決意が見えるからこそ、ショックを受けていた。
これは、誇りと信念のぶつかりあいなのだ。
誇りも信念も、ポンッと即座に生成されるわけじゃない。何年も時間をかけて蓄積した、その人にしかわかりえない悲しみと怒りで作られる。
まあ、相手は言いすぎな気も、せんでもないけど。もうちょっとマイルドにどないかならんかとは、思うけど。
母や弟が、誰かに助けてもらう。嬉しくって、お礼を言う。相手も喜んでくれたら、それでささやかなハッピータイムが流れる。でも、そうした分、お礼を言わなかった人がつらく当たられてしまうのかもしれない。
愛想がいい人は、助けられる。
でも、愛想がよくない人は?愛想を良くしたくてもできない、ありがとうを伝えられない障害も、あるんじゃない?
「今度から車いすの人がおったら乗せますわ。よかったらまた呼んでください」
タクシーを降りるとき、おじいさんがそう言ってくれたことが、せめてもの救いだった。弟は寝ぼけながら、ぺこりんちょ、とお辞儀した。
京都のタクシー運転手の間で、噂になっている女がいる。
ここから先は
岸田奈美のキナリ★マガジン
新作を月4本+過去作400本以上が読み放題。岸田家の収入の9割を占める、生きてゆくための恥さらしマガジン。購読してくださる皆さんは遠い親戚…
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。