咳が止まらんのが辛すぎる
咳が止まらんってのは、こんなにつらいのか。
かれこれ3週間近く、咳が出ている。
コンコンとかじゃない。
ゥゲホッ!ゲホゲホゲホェゲホッ!ボウォエ!
砂漠で縄張りを荒らされた野犬のごとし。
思えば、あまり咳き込むことのない人生だった。
咳について、知らないことがたくさんある。
まず、咳というのは、夜になると増えること。
「ああ……咳って夜に出るんよね」
母が言うそれは、
「夜に笛を吹くと、ヘビが出るんよね」
と同じようなメイドイン昭和の迷信だと思っていた。違った。本当に咳は夜に出る。人体の不思議。
わたしは毎晩、咳をしながら寝床に入り、はげしい咳が止まった一瞬をついて寝る。30秒あれば入眠できるのは特技である。医者に「それは気絶です」と言われたこともあるけど、聞かなかったことにする。
そして、
「ゲホッ!ゴホッ!オホオホオホウゲェェェェ」
深夜、自分の咳で起きる。
わたしの腹の上で寝る犬の梅吉が、ピギャーと飛び起きた。せっかく寝てたのに申し訳なかったが、これが3日も続くと、梅吉も
「なんやねん、またか」
横目で見て、速やかに二度寝するようになった。
さみしい。
30分ぐらいはずっと、咳込み続ける。
最近は、横になってるより、縦になってる方が、呼吸が楽だと気がついた。ベッドに鎮座し、家族を起こさないよう、静かにしている。嵐の通過を待つ。
ひまつぶしにスマホを見るのも疲れて、ねむたい、ねむたい、と思いながら、窓の外を凝視する。明け方に白んでいく六甲の山々がきれいで憎らしい。なぜか脳裏に正岡子規が浮かぶ。
俳句のひとつでも書けりゃな、と思うけど、書けないし、気力もない。
みぞおちのあたりがミゾミゾし始めて、
「あっ、咳、出そう」
と思ったら、一息で大きく酸素を吸う。カービィになる。この、カービィができないと、かなりつらい。咳で溺れて死ぬんちゃうかと苦しい。
咳って、けっこう、体力つかう。
しんどい人が咳をするんだと思ってた。
咳をするとしんどいのだ。
知らなかった。
父から伝家の宝刀のごとく受け継いだ、脂質異常症を診てもらってる病院へ行くと、
「うーん、熱も鼻水もないけど、ちょっと喉が赤いなあ。かぜ薬出しとくから、効かなかったら呼吸器科に行きなさい」
これがもう、効かないったら効かない。
咳もひどくなる一方なので、翌日にすぐ、呼吸器科へ駆け込んだ。
「咳が出てるんで、そちらでお待ちください」
完全防護服の看護師さんに誘われた時点で何事かと思ったら、感染症をうたがわれ、個室へ隔離された。
個室には咳が充満していた。
ああ、この人たちもみんな、咳でつらいんだなあ……と仲間意識が芽生えたが、ベンチに倒れ込んでいる彼らが、右から順に、
コロナ、インフルエンザ、マイコプラズマ、溶連菌
検査結果が告げられていくと同時に、突如として個室は蠱毒となり、わたしは震え上がった。
違うんです。わたし、違うんです。
出してください。お願いします。
ただの咳なんです。
目で訴えたが、どうにもならないので、待ってる間、呼吸を押し殺した。がんばれわたしの免疫力、もう少しだ、あとでヤクルト1000をあげるからな。
診断の順番がまわってきた。
先生がわたしを見るなり、
「その咳が三週間も続いてるの?つらいでしょ!」
「ほんと、咳だけなのにしんどくて……」
「咳って一回するだけで、4キロカロリーぐらい使うんだよ」
とつぜんの豆知識ならぬ豆知咳に、びっくらこいた。
あれ、そういえば!
わたしったら、2キロ弱、痩せてる!
「温泉のせいだと思ってました」
「温泉行ってたの?咳の療養?」
「いえ、桜島で咳をしながら温泉を掘っていました」
先生は怪訝そうな顔をしていた。
「昭和の頃は咳ダイエットとかあったらしいよ」
大馬鹿者の発想じゃねえか。
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