24歳の弟は、字が書けない(はずだった、怪文書を読むまでは)
わたしの弟・岸田良太には、生まれつき知的障害がある。ダウン症だ。(詳しくは「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」に書いた)
言葉がうまく伝わらない、発音もわかりづらい、みんなと同じことができない、いつもぼーっとしている。
でも、だめなところばかりじゃない。
玄関に靴を脱ぎ散らかし、母からいつも「あんたはムカデか」とお叱りを受けるわたしに比べ、よっぽど弟の方がきれい好きで、しっかりしてる。
難しい言葉はわからんが「ありがとう」「こんにちは」だけはハッキリ言えるので、すれ違う近所の人たちに挨拶と愛想を振りまきまくる弟は、愛されている。
先日もこのわたしを差し置き、内緒でからあげクンをオマケしてもらっていた。
わたしと弟で同じふるまいをしても、わたしは「アホ」で片づけられ、弟は「お調子者」と呼ばれる。後者がちょっと得をしている気がする。
かれこれ24年間、弟はずっとそんな感じで、楽しそうに生きてる。
弟は字が書けない。
はずだった。
朝、母がこのようなものを発見するまでは。
おにぎりと怪文書である。
どちらも単体ならおかしくない単語のに、共演した瞬間、めちゃくちゃ不穏な響きがある。おにぎりと怪文書。そんなもんがあるのは、うちの家くらいだ。
「ママ ひろみ ポール ごはん ます」
ひろみは母の名前。つまりこれはたぶん、母に宛てられたもので。うちにポールはいないから。いたかな、ポール。脳裏にマッカートニーが浮かぶ。おらんやろ。
解読の結果、これは最近仕事が忙しくて朝ごはんを食べていない母を心配して「ボールみたいなごはん」を作ったから食べなさい、という弟の粋なアレだった。
母は爆泣きした。
爆泣きしている母をジト目で見ながら「これ、オカンが自分で作って書いたんちゃうの」と言ったら、まあまあな強さでどつかれた。
本当に、弟の粋なアレだった。
そんなことできたんか。
いつの間に、字なんて書けるようになったんや。
しかし弟の真意を知ったのは、もう少しあとになってから。
また我が家に怪文書があらわれた。
怪文書、このペースで出てくる家、ある?名探偵の家系か?
発見者の母の招集により、岸田家解読班が結成され、総出で解読にとりかかる。
「ゲーム ドラえもん のび太のひみつ道具博物館 3DS」
3DS(ゲーム機名)がひっくりかえってSD3になっていたけど、特徴のあるこれはすぐにわかった。ゲームソフトだ。
そのあとの「火 生 ゼード」というのが、わからない。
「11月5日って、良太の誕生日やんな……」
母がつぶやいて、わたしがハッとする。
「これ、『火 生 日』って、誕生日って書きたかったんちゃうの?」
誕が難しくて書けなかったから、火になったんか。たしかに火は人間を猿から成長させたファクターと考えれば、誕の意味を持つかもしれん。そんなわけあるかい。考えすぎておかしなっとるがな。
「じゃあゼードってなに?」
「ゼード、ゼード……ゼット?セール?セーブ?」
「あっ!」
母の頭でピコーン、と電球が光ったように見えた。
「プレゼントや!」
衝撃である。
これは弟が、自分の誕生日プレゼントにゲームを催促する怪文書だったのだ。
おもむろに和室の方を見やると、ふすまの影から弟が、解読班の様子をモジモジしながらうかがっていた。愉快犯のソレだ。見とったんなら、言わんかい。
間違いだらけとはいえ、24歳にしてとつぜん書の道に目覚めた弟に、岸田家は騒然だった。すごく嬉しかった。
「他の子たちみたいに勉強や仕事ができなくても、誰より優しく、明るく生きてくれたらそれでいい」と育てていた母も、これにはなんやかんやでウキウキしていた。
ただ、弟は、ものすごくめずらしい字の書き方をする。
頭のなかに「この字は、こういう発音と意味」「この字とこの字を組み合わせると、こういう単語になる」っていう、データベースがあるわけじゃない。
どういうことかってーと、ずっと、コピー&ペーストしてる。
「ドラえもんのゲームがほしい」と思っても、「ドラえもん」と書くことができない。おもちゃ屋のチラシを持ってきて、ドラえもんの絵を見つけ、その下にかかれている文字をドラえもんだろうと認識し、写して書く。
彼の記憶に「誕生日」という言葉もないので、いつかもらったバースデーカードを引っ張り出し、そこに印刷されている文字を勘で選び、写して書く。
同じ理屈で、下記の写真を見せて「この生き物の名前は?」と聞いたら。
彼は口では「カニ」と答えられるが、書くのは「ウニ」である。またはアメリカかぶれたい気分ならば「Tako」。
弟は、字は書けるけど、言葉は書けない。
はずだった。
わたしがはじめて、書籍を出版することになるまでは。
装丁を担当してくださった祖父江慎さんが、読み終わった原稿をトントンと机に軽く落として揃えながら、ニコニコして言った。
「弟くんに、ページ番号を書いてもらいましょう」
びっくりした。
「弟は、字がそんなに上手じゃなくて……ちゃんと書けるかどうか」
「大丈夫。これは素敵な本になりますよお」
巨匠に大丈夫と言われれば、大丈夫にするしかない。祖父江さんと同じ事務所のデザイナー根本さんも頷いてくれた。
わたしは実家にいる母に電話して、オロオロと事情を説明し、弟に頼んでもらった。
弟は「ええっ、もう、しゃーないなあ」と言ったそうだ。巨匠がここにもいた。
爆裂に腹が立つ顔である。そんな顔したことないやろ。
ほんまに数字、書けるんか。
意味わかっとるんか。
ハラハラするわたしの心境などお構いなく、巨匠は、蚊が止まりそうなほどゆったりとした動きでペンをとり。
いや、近っ。紙と目の距離、近っ。
むくむくの手で、ゆっくり、ゆっくりと。
0から9までの番号を、順番に、ひとつずつ。
納得いくまで3回も書き直して。
か、書けた〜〜〜〜〜っ!ドヤ顔〜〜〜〜!
見てるこちらが手に汗を握るスローな進捗だったが、とにもかくにも、書けたのだ。これには母が泣き、わたしは笑ってしまった。
「ありがとう。これ、姉ちゃんが出版する本に使わせてもらうな」と言うと、出版がなにかわかってない弟は「おう、がんばってや」と言った。
そして、できあがった本がこちら。
※各自、葉加瀬太郎の演奏を脳内に流しながら見てください。
ほんまにページ番号に使われてる〜〜〜!
しかも……
おなじ番号でも、組み合わせがぜんぶ違う。(弟が書いた3パターンをすべて、バラバラに組み合わせて使ってくれた)
まるで、弟が一ページずつ、書いてくれたみたいだった。
不格好で、大きかったり小さかったりするその数字は、わたしのために書いてくれたものだ。それだけで意味がある。これは弟の言葉だ。
そして、奥付。
映画で言う、エンドロール的なあれ。
えっ。
「ノンブル文字 岸田良太」って載ってる。
ここでようやく、わたしが泣いた。
めちゃくちゃ、時間がかかったのだ。
ページ番号のことも予定になかったせいで、入稿の時期がめちゃくちゃおしたと聞いている。でも小学館さんは待ってくれた。素敵なアイデアです、と喜んでくれた。
弟、おまえ、奥付に名前載ってるぞ。見とるか。見とるな。やったな!
今日、帯文にあたたかい応援コメントを寄せてくださった、阿川佐和子さんと対談の機会をいただいた。
阿川さんが「本がめちゃくちゃ売れたら、印税でなにしたいですか?」とお茶目に聞いてくれた。
わたしは「神戸にいる母と弟のために、新しい家を借りて、いっしょに住みたいです。いまはわたしが出稼ぎに来ている状態なので」と答えた。
この本で、大好きな人の愛がいっぱいつまったこの本で、わたしは良太御殿を建てるのだ。決めた。売れてくれ。
いよいよ本日、9月23日発売です。
noteで読めるエッセイも、縦書きにする上でめっちゃ書き直し、最初と最後に書き下ろしもあります。あと、イラストはぜんぶ素人のわたしが描きました。手書きページ番号は、電子書籍版には掲載されません。
どうかひとつ、よろしくお願いします。
あと、以下にオマケとして、いつもキナリ★マガジンを読んでくださっている人限定で「弟から届いた最新の怪文書」を載せておきます。
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岸田奈美のキナリ★マガジン
新作を月4本+過去作400本以上が読み放題。岸田家の収入の9割を占める、生きてゆくための恥さらしマガジン。購読してくださる皆さんは遠い親戚…
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。