タンスが倒れてきたので話は終わらない
『人と防災未来センター』でズーンと沈んだ気持ちを抱えたまま、やや猫背で神戸の街をさまよった。(前置きの話)
母とわたしと弟は、横並びではなく、少しずつ間を開けて縦に並んで歩いた。二十連勤目のひょっこりひょうたん島の面々のような様相だった。
せっかく家族そろっての休日だから、買い物でもしてくかと。無理やり思いついて、服屋に入った。縦に並んで。続々と。
神戸元町の服屋で弟のシャツを選んでいると、母と同じぐらいの年の女性店員さんが、話しかけてくれた。
「ええ天気でよかったですねえ」
「はあ、実はさっき、震災の資料館に行ってきて……」
こうこうこういう理由でと説明すると、店員さんは感心したように「はあー、うん、うん」と相槌を打ってくれた。
「ウチとこも、家がしっちゃかめっちゃかになって」
「ねえ」
店員さんと母が、ふたりで話しだした。
「それでも、まだ寝とったからよかったでしょ。会社のほうが、一階がグシャーッて潰れてしもたから、昼やったと思ったらゾッとしましたわ」
「阪神高速もねえ、グワーッと倒れて」
「そうそう。テレビ見ても信じられへんかった」
「うちの夫、もうちょっと遅かったら、通勤であそこにおったんですよ」
「うわわわわわ」
当時3歳で記憶のない神戸市民であるわたしは、ここでも何を話したらいいかわからず、場に発生した悲しい記憶を、ただ受け止めようと思った。
「阪神・淡路大震災といえばね」
話を続けるなり、母がわたしをチラッと見て、
「これ、今まで話したことないんですけど」
なんだ、なんだ。
えっ、怖い。何が始まるんや。もしかして、ものすごい悲しくて、ものすごい傷ついた話なんちゃうか。だって震災やもん。そうに決まってる。
母が、ぽつ、ぽつ、と話し出した。
「わたしと夫と奈美は、和室で布団しいて、三人で寝てたんです。そしたら、ドーン!って揺れて」
息を飲むしかない。
「もう、わたしはなにが起こったかもわからなくて、動けなくて」
「はい、はい」
「和室のタンスがね、ぐらぐら揺れて、アッ!倒れてくる!って思った時にはもう遅くて」
「うわあ……」
「そしたら、夫がね、ガバーッ!って飛び起きて、わたしと奈美の上に覆いかぶさってくれたんです。それで助かりました」
そうやったん?
「パパ……」
父が咄嗟に発揮してくれた愛ある行動に、熱い気持ちが込み上げた。父は20年前に病気で亡くなってしまったから、よけいに熱い。
わたしがグスッと鼻をすすると、
「わたしね、前日までものごっつい夫婦喧嘩してたんですよ」
うん?
「そこまで深刻な喧嘩やないですけど。なんかこう、あるやないですか、腹たつことがチリのように積もる時期って!」
「ある、ある!」
店員さんが熱く呼応する。
「ガバーッてなった夫を見たら、この人ったら勝手に見えるけど、いざという時には家族を守ってくれるんやってビックリして」
「うん、うん」
「わりといろいろ許せるようになって、夫婦喧嘩もほぼしなくなったという……」
パパ?
思ってた着地点と違う。涙か鼻水となることを待ち構えていたわたしの顔面の水分が蒸発する。
「わかるわあー!わかるわあー!」
店員さんは首がもげ飛ぶほど頷いている。神戸元町の服屋の温度が急上昇。井戸端ディスコ開幕。
「なにしとっても、あっ、いざという時にはうちの味方でおってくれるんやわって思えたんですよねえ」
「そういう夫婦、あの時めっちゃ多かったですよ」
「あっ、やっぱり!」
「うちのご近所は、慌てふためいて我先にと逃げていった夫の背中を、一生忘れへんからなと言うてた奥さんが最近になって熟年離婚してはりました」
「あんまりひどい状況とかやったらねえ、まず自分が助かるんが大切やけど」
「ほんのちょっとだけ揺れた地域やったって」
「それは一生忘れへんわ」
やんややんやと話が盛り上がっていくにつれて、狭い店内にいた別のお客さんや店員さんも、話に加わってきた。
避難所の冷たいおにぎりがつらかったので、今でも家族にはホカホカのおにぎりを握って持たせるとか。片道6時間かけて大阪の義父母を迎えに行ったとか。
すごい。
阪神・淡路大震災という話題で、息を吐くみたいに思い出が四方八方からヌルヌルッと。
「そういえば」「わかるわかる」「うちもそうや」「大変やったなあ」「ようがんばったなあ」
悲しみで始まり、共感と労いで終わる、そんな言葉がすごいスピードで飛び交っていく。
わたしだけが、突っ立っていた。
「えっ、ごめん!さっきのなんの話?」
教訓を見失って迷子になってるわたしである。母と店員さんは顔を見合わせて、うーんと考え込んだ。
「……表面だけを見て結婚したら、あかんで」
震災の教訓ではない。
なんのこっちゃ!なんのこっちゃ!
混乱の舞を踊りながらも、わたしはあることに気がついた。この話は、きっと、忘れなさそうだ。覆いかぶさる父の姿は、脳の海馬のグラビアページにフルカラーで掲載されることだろう。
父がそうしなければ、弟も生まれんかったかもしれんな。いや、何を書いとんねん。やめよやめよ。
自然災害に立ち向かう時、完全に被害を防ぐことはできない。わたしたちはこれからもきっと何かを失い、何かに傷つけられる。
極限状態で、あとは心の持ちよう、みたいなギリの淵に立つことを想像するけど、わたしにはこの話がそばにある。気づいたこともあったんやでと。それが人間の強さやでと。
母たちはこの話をしようと思って、したんじゃない。この場では店員さんと震災の個人的な話をしていいのだと気づいて、口から滑り出てきた。
偶然、この服屋に来なかったら、話にもならなかった話なのだ。
生まれたてのオギャー!な話は着地点が決まってない。教訓も価値観も定まってない。
ただ、教訓や価値観の“見つけ方”だけは、教わった。教わってしまった。偶然にも。
「いざという時に、結婚相手がどういう行動をするのが正解かはわからんけど、アンタはそこをちゃんと見とくんやで!」
ちゃんと見て、考えを持っておくんやでという。命への美意識を持つ、ほんの手がかりというか。
数日経った今は、こんなことも考えている。
「いざという時に、わたしの動きも見られとるってことやもんな……」
ほんなら、シミュレーションしとこかな。これも防災の備えと呼んでもええのかな。
母たちに語ってもらえてよかった。目の前で“話されてしまった”話には、どんな話でも、凄みがある。
『クローズアップ現代』に出演して、ある取材VTRを見た。
神戸の小学校の先生が、震災で弟さんを亡くした時のことを、授業で子どもたちに話すというものだった。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。