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いきなり転ぶからなんとかなる(もうあかんわ日記)

毎日だいたい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
イラストはaynさんが描いてくれました。

予想をまったくしていない、不意打ちだったからこそ、どさくさで耐えられる痛みとか怖さってあるやん。

「じゃ、今からわざとズザザーッて砂利の上をスライディングして転んでください」って言われると、めちゃくちゃ怖いし、泣いちゃうくらい痛い。

あれはいきなり転ぶから、なんかまあ「やっちまったこと」として、我慢できる。

歯医者も

「痛かったら言ってくださいね」

っていう前置きが、恐怖を爆増させとる。

ズキッとくるかな、くるかな、いつだろ、まだかな、と痛みを予想して待っている時間は冷や汗かく。わたしはいつも歯医者で背中がべちょべちょになる。嫌すぎる。

一度、経験してた痛みなら、なおさら予想できるから怖い。心の準備期間が長ければ長いほど、しんどい気がする。

怪我であっても、病気であっても。


入院中の母がいま、まさにそれでしんどいらしい。

来週の31日くらいに見事退院をする予定なので、身体についている管を抜いたり、あらゆる糸を抜いたりしているのだが、なかでも一番抜くのが痛い管というのがあるらしい。

「12年前に入院したときは、不意打ちやったからビックリが勝って、耐えれてん。せやけどあの痛みがわかってるから、嫌で嫌で」

どれくらい痛いかと言うと、死ぬほど痛いそうだ。電話の向こうで、医師らしき「死ぬわけないでしょ」という落ち着いた声が聞こえてきた。まあ、死なんために、入れてるやつやしな。

母はのびやかに悲鳴をあげて、管をズルンッと抜いたそうだ。


「退院は嬉しいねんけど、怖いねん」

母はまだなにかに怯えてるらしい。

「なにが怖いん」

「手術で胸を切って、糸で閉じてるやろ」

「うん」

「なんかの拍子に力入れたら、それがパカッと開いてしまいそうで、怖いねん」

「そんなことあるん!?」

「ないと思うけど」

「も、もしパカッとなったら、どうしたらええの?」

「ええ……デロデロンッて心臓とか外に出てくるんかなあ」

「落ちひんように、両手で受けたらええんかな」

「あんたお裁縫できひんから、縫うのもなあ」

「素人が縫ったらあかんやろ!救急車や、救急車」

そんな、調理前の魚の内蔵を抜くような感じで想像していいんだろうか。子ヤギたちを丸呑みしたオオカミの腹に石つめて縫うような感じで想像していいんだろうか。

これもすぐに医師が呆れて「あるわけないでしょ。とんでもない事故とかで、よっぽどの圧力かけない限りは」と補足した。

なんだなんだ、よかったよかった。

でも、母にとっては、0.0001%のほぼありえない可能性も、おそろしいらしい。それはものすごいしんどい手術を経験してしまったからだ。

もしお風呂に入って、車を運転して、重い荷物を持ち上げて、胸がカパッと開いてしまったら。

そういう恐怖が、ずっと頭の片隅をかすめていく。これは、病気になった人にしかわからない恐怖かもしれない。病気と戦い終えてもなお、再発と向き合って生きていく。

医師はビビりまくる母に、しびれをきらして言ったそうだ。

「あのねえ、普通に生きていたら、そんなことにはなりませんから」

まぎれもなく本当だろう。

でも母は、普通じゃない最悪の状況をいつも想像してしまう。

これは人間に備わってる防衛本能だと思う。

わたしも自分の意見らしきものをツイッターで投稿したとき、100人は「ええやん!」的な反応だったとする。ええやん。

でも、1人でも「こんなんアカンわ」的な反応があると、100人のええやんがかき消されるくらい、動揺してしまう。

すべての人からワッショイされるわけではないので、気にしないようにしているけど、どうしてもふとした時にチラッチラッと、ネガティブな意見が顔を出す。勢いを殺し、足を引っ張る。

1%でも不安や危険がある限り、わたしたちは、己を守って生きるために、注意を払おうとするのだ。母もいま、そういう状態なんだと思う。


だけど、今日はまた、なんか様子がおかしかった。

母が電話で、ぽつりとつぶやいた。

「もうわたし、豚さんを食べられへんかもしれへん」

「急になんなん?」

「わたしの人工弁、豚さんのやんか」

感染性心内膜炎なので、心臓の弁がばい菌でズッタズタになってしまった母は、それを全部取ってポイしたあと、人工弁に付け替えていた。その人工弁は、豚さんの弁が使われている。

「せやから豚さんには並々ならない感謝の心があるんやけど、さっきテレビで養豚場のドキュメンタリーやってて……なんか、よお食べられへんくなってもうた」

聞くところによると病院でも豚カツや生姜焼きが出るそうだが、ブヒブヒ元気な豚さんの顔と、自分の心臓が頭に浮かんで、どうにも箸が進まんと。

知らんがな。

まあな、食べる、食べへんは自由やから、なんも言えんから好きにしたらええけども。

せやけどな、今日に限ったちょっとタイミングが悪かった。

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名店「瓢喜」さんから、母が退院したらお祝いにと、出汁しゃぶしゃぶセットが届いてしまったのだ。

実は三年前、赤坂の店舗に取材で伺ったことがある。全個室のただならぬ空間で、白ネギたっぷりの出汁に浮かんだお肉を、おいしそうにすする人をひたすら撮影していた。わたしは一滴も食べられず、悔しくて大地を力の限り踏みつけた。

「あのさ、実は、しゃぶしゃぶが届いてて」

「豚さんやん……」

「そう。でも、瓢喜のしゃぶしゃぶやねん。知ってる?すごいねんで、豚肉でネギくるーんてやって、出汁ごといったら、もうなんぼでも入るねん」

「……」

母はしばらく、電話口で黙った。

「そんだけ薄いお肉やったら、豚さんじゃないかもしれへんから、食べてみるわ」

豚さんじゃないことは、ないんやで。


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いろいろあって、この春は、ドキュメンタリーの取材班が入ってくれている。ばあちゃんは、よその人の前ではしゃきっとして、忘れかけていた記憶もバックアップデータがダウンロードされるから、これはこれで便利だ。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。