双翼の忘れ形見〜ネットにあいつが絡まった〜(もうあかんわ日記)
毎日だいだい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
イラストはaynさんが描いてくれました。
一週間に二日は、ひたすら寝る日がある。いつも過集中気味なので、そうでもしないと岸田の前頭葉はさらにポンコツになってしまう。
お茶を飲むため、朝にちょっとだけ起きたとき「今日は日記で書くネタなさそうだなあ」と思ったのを覚えている。
まあずっと書いてりゃそういうこともあるでしょう。眠気と怠惰には勝てず、いさぎよく二度寝、三度寝を決めこんだ。
リビングのインターフォンが鳴ったのは、それから五時間後のこと。
ずっとテレビで意味もなく日経平均株価の番組を見続けていたばあちゃんが「よっこらせ」と立ち上がり、玄関へ向かった。
たぶん宅配便だろうと思い、わたしはまた眠ろうとした。そしたら、玄関からばあちゃんがドタバタと戻ってきた。
「奈美ちゃん!奈美ちゃん!ちょっと来てや」
「なに……?」
「おばあちゃんじゃあかんわ、きて」
「えー、荷物やったらそこ置いといてよ」
ばあちゃんは宅配で重めの段ボールが届くと、こうやって慌ててわたしを呼びにくる。面倒くさいのでできるだけ寝床から動きたくなかった。
「ええからはよ来て!ばあちゃんどないしたらええかわからんわ、あかんわ!」
「もう、なんやねん」
うちのインターフォンにはカメラがついているので、一体どんなあかん荷物が運ばれてきたのかと、ひと目見るためにボタンを押した。
「あ、これはあかんわ」
ご近所さんだった。
たぶん、こう、どの国でも伝わる“トラブルが起こったあと”のポーズをしていた。画面から悲鳴が聞こえてきそうだ。
ご近所づきあいがものすごく活発なマンションでもない。これが「ちょっと五目豆を煮すぎちゃって」とかなら心も晴れやかだけど、そんな付き合いがあったこともない。ってか、そんな付き合いがある街って実在すんの?空想上の街ではなく?ゾゾタウン?
ご近所さんから、クレームや。これは。
わたしは直感した。身に覚えはないが、身に覚えがないことに身に覚えがありすぎる。
玄関に走り、ドアを開けた。
「わあ、奈美ちゃん!……ご、ごめんなさいね、寝てるときに」
優しくてお上品なご近所さんはわたしを見て、申し訳なさそうに言った。
後頭部の髪の毛が東尋坊かと思うほど絶壁に切り立ち、よれよれのパジャマを着て、あまりもんのメガネをかけていた。わたしはどこからどう見ても紛れもなく、いまこの瞬間まで爆睡していた人だ。世界は16時を過ぎているというのに。
「あの、すみません、ごめんなさい」
反射的にわたしは謝る。中学生のときバイトしていた有馬温泉の旅館で、なにが良いとか悪いとか考えるな、とりあえず相手がひるむほどの勢いで謝ってうやむやにしろと教えられた。
「え? あ、あのね、こんなことわたしが言うのもお節介かもしれないんだけど、もし気づいてなかったらお伝えしておこうと思って」
あれ。クレームじゃないのか。
「ハトがね、いるの。知ってた?」
「ハトが?」
「ここに」
ご近所さんがわたしのすぐ左を指さした。そこは我が家のベランダだ。
あ、知りませんでしたね。
「えっ、なに!?どうして?」
「ネットにひっかかってるみたい、うちの主人が見つけたんだけど」
以前、鳩との死闘を繰り広げたことを書いたけど、そのときにハトよけネットを物干し竿でDIYしたのだ。すると鳩がよってこなくなったので、完全に油断してた。
このハトは気づかず「たでーまー」とのん気に帰宅するつもりでベランダに突撃し、ネットに絡めとられたということだ。
バカ!ハトの大バカ!大和田獏!
「うわわわわ。こ、これ、死んでる……?」
ちょっとネットを触ると、ハトがもがくように翼を動かした。生きている。なにを考えているかわからない目でこちらを見ている。
「こういうのってどうしたら」
ご近所さんに相談しようと思って、後ろを振り返ったら。
いつの間にか、それなりに遠いところにいた。瞬間移動かな。
「ごめん、わたし、鳥だけは無理やねん。絶対に触れへん!」
わかる。近くで見たら、細い足の高麗人蔘っぽい模様とか、首の紫から緑色に変わるギラギラしたグラデーションとか、超怖い。怒ったら目の玉とか、ベビースターラーメン感覚でつつかれそう。
うちのマンションの管理事務所は「ハトはそっちでどうにかたのんます」スタンスなので、とりあえず、わらにもすがる思いでハトを駆除してくれる業者さんに連絡した。
「すみません、いま繁忙期なんで三日はかかりますね」
業者さんの繁忙期すなわちハトの繁忙期である。新生活にあわせて、フレッシュな気持ちでハトも飛び回っている。
三日もかけていたらこのハトは確実に死んでしまう。そのまま消えてなくなるわけでもないのだ。
いま、なんとかしないと。
消去法で作業員はわたししかいないので、わたしがからまったネットをハサミで切っていくことになった。
いるかな。起きて2分後にハトを救出したことがある人。ノーメイクどころか顔も洗ってない。眠くてフラフラするし、両目のピントもあわない。いま気づいたけど、両手の手袋がちぐはぐ。
この険しい顔、どっかで見たことあるなと思ったら。
博多のホテルで深夜にとつぜん起き上がって、とんこつラーメンを食べに行ったときの顔だった。寝起きで状況がわからず反射的に手と足を動かしていると、わたしはこういう解せぬ顔になるらしい。
バチン、バチン、とネットを切っていく。
もがく間にネットがずいぶん翼に食い込んでいたみたいで、だいぶ思いきり切らないと抜け出せそうになかった。
助けたら、これ、どでかい穴が開くんだろうな。そしたらまたハトがやってくるんだろうな。せっかく半日がかりでネットを張ったのに。
人命ならぬハト命には変えられないとはいえ、なんで、母がノイローゼ寸前になるまで迷惑をかけられまくったハトを救わねばならんのだ。
敵に塩を送り、ハトに豆を送る。この葛藤はハトのジレンマとしていつか道徳の教科書に載せてほしい。マイケル・サンデルなら講義にしている。
ハトを尻をところてんの要領で横から押し出し、なんとかネットから脱出させることができた。
バサッ、バサバサバサッ。
ハトが本気で羽ばたくと、結構パワーがあるし、音もすごい。
気がつけばご近所さんは「よかったあ」と言って、家のなかに引っ込んでいた。お礼を言う前に、ガチャッと鍵もかかった。どうかやすらかな夕方を過ごしてほしい。
「なあ、あのハト、首になんかついてる」
わたしの勇姿を応援していた母が言った。
ハトはまだ逃げていかず、ベランダの欄干に止まっていた。
よく見るとハトの首は、切りとったネットの網目にすっぽりはまっていた。苦しむほどキツくはないが、あのまま暮らすのは厄介だろう。
「どうしよう」
「……切るしかないんちゃう?」
「絶対に動くやろ!」
「手で押さえて」
「わたしがやるからって、簡単に言うよね!?」
「しゃあないがな。これが、これやさかいに」
座ったままの母が、車いすと、足を手で示す。せやな。
ビビって逃げまくるハトを、なんとか追いつめて、母とばあちゃんがあやしながら救出したのだった。
ハトはいろいろとあかん菌がついているらしいので、洗面所で手を念入りにジャバジャバしながら、ようやく覚めてきた頭の中で思った。
もうあかんわ。
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今日は本当にハトの救出しかエピソードがなく、なにをおまけにしたらいいかわからず途方にくれているので、誰の得にもならない救出劇の会話を書き起こしてみた。
母「奈美ちゃん、がんばって!ハトさんも」
奈美「大丈夫だよ、痛くないよ」
母「それ!それ(首に絡まったネットの端)を持ったって!そうそうそう!そうそうそうそう!」
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。