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読書感想文の宿題から逃げ続けたわたしが、おもしろい読書感想文で村上春樹さんのサインをもらうためにやったことを1.3万文字で説明する

※この記事の売上は「11月22・23日 キナリ読書フェス」で、書店さん、著者さん、出版社さんをメチャバリ盛り上げていく運営のために充てさせてもらいます。開催後も読めますが、単品購入できなくなります。

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※キナリ読書フェス「記念BOX」購入済の皆さんには、11月16日(月)中にメールで全文送ります。


※狂気の1万3000文字あります。無理せず、途中で読むの休憩してね。

わたしだけ一向に咲く気配のない朝顔の観察より、紙粘土でヨレヨレの貯金箱を作るより、気が狂う寸前まで同じ漢字を書き取るより。

夏休みの宿題では、群を抜いて読書感想文が嫌いだった。

断じてわたしがアホだったわけではない。かしこだった。(関西ではアホではなく賢い人のことを、かしこと呼ぶ。かしこカバンと呼ばれるものまである。もちろんわたしは持ってた)

かしこを自負するわたしが、書けないのだ。

本を読む。
おもしろかったという感想がわきあがる。
原稿用紙を広げる。
ペンを手に取る。

ここまでは順調。


「恩田陸の『夜のピクニック』を読みました。とてもおもしろかったです。」


〜 完 〜


ペンが止まる。お前!ペン!息しろ!しっかりしろって!あと原稿用紙2枚分もあるねんぞ!おい!


理由は単純明快。

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どんなにいい本を読んでも、「やばすぎ」「おもろい」「むり」「えげつな」くらいの感想しか浮かび上がってこない。仲間内のショートメールとデコログに支配されたわたしの頭は、語彙力の墓場と化している。

以前、インターネットに上がっているどこぞの誰かが書いた書評をそのまま丸コピして提出して先生にバレた崎山くんが、世界が割れるかと思うほどエライ目にあったのを知っていた。同時にわたしたちは、盗作という言葉を知った。

どないしよう。
書かなあかん。
でも、なにを書いたらええかわからん。
盗作したら先生に殺される。

そういう強迫観念にかられて書いた読書感想文は、内容なんて一文字も覚えていない。虚無だ。

というわけでわたしは、読書感想文が大嫌いだった。

それから10年以上。
本は好きだが感想は書かないというスタンスを貫いてきたのだけど、それが覆される出来事があった。

28歳にして、はじめて村上春樹さんの作品を読んだのだ。
文藝春秋から出版されている「猫を棄てる」というエッセイだった。

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読み終わったあと、しばらく心がぱんぱんの風船みたいになって、動けなくなった。

思ってることを言葉にしないと!救われたことを記さないと!著者にお礼を伝えないと!そんな衝動に突き動かされて書いた。

6時間、ぶっ通しで。徹夜して。
あんなに読書感想文が嫌いだったわたしが。

できあがったのは「風はいつか雨になるし、親は子どもに傷を託す ー 村上春樹「猫を棄てる」を読んで」だ。長年抱えてきた、わたしの呪いを晴らしてくれた作品だった。

ただ、ただ。わたしはわたしのために書いたけど、注ぎ込んだ熱量と愛が幸運なことに文藝春秋編集部の目に留まり。

後日、自宅にポストカードが送られてきた。

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(世界の均衡を揺るがす神器に近い代物なので直接お見せできないけど、青いところに村上さんの直筆サイン)

はじめに思ったのが「わたしの感謝の気持ちが……公式に……推しに届いた……」という圧倒的な多幸感で、つぎに思ったのが「村上春樹さんって、実在する人間だったんだ」という圧倒的に失礼な気づきで。

そして数日後、わたしの読書感想文は10万人に読まれていた。いい本が認知されるのに、一役買ったのだ。こんなにうれしいことはない。


なんでもっと早く、読書感想文を書かなかったんや!と思う。

いい本に出会うと、だれかと語り合いたくなる。だれかに教えたくなる。だけど、言葉にしないと、うまく伝わらない。

感想文を書けばそれができる。

自分の言葉でおもしろさが伝わったとき、仲間ができたような、使命を果たしたような、幸せな気持ちになれる。

そうして共有した本の中身は、きっとずっと、自分のなかに残り続ける。本と感想文を一緒に読み返すたび、成長を自覚していく。自分を好きになれる。

そしてなにより、感想文を通じて、届かないと思っていた思いが、ボトルメールみたいにだれかに届く。お互いの人生がそこで変わるかもしれない。


結論、読書感想文は、いいぞ。
書こうぞ。
自己肯定感、爆上がりやぞ。


ここからは、あの頃のわたしと、あなたに向けて書いていく。

「こうすれば読書感想文、うまく、楽しく、簡単に書けるよ」って。背中を押すつもりで、読書感想文の書き方を書いていく。

背中を押した先が、冒険のはじまる大草原なのか、急降下する清水の舞台なのかは、わからないけど。

※11月22日・23日に読書感想文のお祭りをやりますので、これを読んだらぜひそっちにも参加してください。賞品や賞金もあるし、全応募作品わたしが読みます。


まず最初に、なによりも伝えたいこと

「なにを書いたらええかわからん」は、感想文の原稿用紙を前にした人類の99.9%の総意だと思うのだけど。

あえて、言いたい。

なにを書いてもええ。

理由?
理由はな、大人だからだよ。

子どものときはいっぱい、目に見えない理由があった。
「コンクールで賞をとるため」とか「親や先生に褒められるため」とか。そういう読書感想文には、一定のルールや勝ちパターンみたいなものがある。そうして褒められている子どもたちを横目に「わたしはアカンわ」とふてくされていったはずだ。

しかし、もう俺たちゃ、いい大人なんだよ。

この、自分に興味のない人たちであふれ返り、目まぐるしいスピードであれこれが変わっていく地球上で大切なのって「よく知らん他人から褒められること」よりも「自分を自分で褒められること」なんじゃないの?

人生論を語れるほど人間を生きてないけど、これだけは確かなのが、自分で自分を喜ばせられる方法を知ってる人が幸せなのだよ!三木道三も言ってるから。(言ってない)

つまり、読書感想文も、書いてる自分を喜ばせるためにやった方が絶対にいいです。そういう意味で、自分が楽しければ、なにを書いてもええ。

短く早く書いた方が楽しいならそれでいいし、ダラダラ長く書いてもいいし、感情とか抜きにして箇条書きでメモとるとスッキリするならそれもいいし、本をダシにひたすら自分語りするのでもいい。

なのでまずファイティングポーズとして、大切なことは。

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