風はいつか雨になるし、親は子どもに傷を託す ー 村上春樹「猫を棄てる」を読んで
めずらしく、最初から最後まで大真面目です。
ムラカミハルキとキシダナミ
28年の人生で、こんなにもたくさんの作品名を言えるのに、一度も読んだことのない作家は村上春樹さんだけだった。
14年前に突然死んだ父の本棚には「ノルウェイの森」が並んでいた。
ときどき場所が変わっていたから、たぶん、父は何度も読み返したのだと思う。
父の熱量は、すさまじかった。
「春樹、春樹」と、知人でもない名前が、時折思い出したように父の口から飛び出してくるもんだから、強烈に覚えている。食卓への登場頻度からすると、もはや知人と言っても差し支えない。
父は優秀なベンチャー起業家だった。
そんな父に褒められることが、私はどんな勲章や賞状より嬉しかった。
だから、春樹さんの本だけは、手が出せなかった。
ヘタに感想を伝えたら「お前は春樹をわかっとらんわ。ええか、春樹っていうのはな」と、やかましく言いかねないからだ。しかも、たぶん、ちょっと嬉しそうに。
父が亡くなったあとも。
いつかはきっと、と頭の片隅で思い続けたまま、ついに読めなかった。
ハルキストと呼ばれる人たちに、父を重ねて、びびっていたのだと思う。
抱いた感想を、いやでも他の人と比べ、器の狭さだとか、感受性の低さだとか、自分を推し量るものさしを突きつけられるのが怖かった。私は小心者のくせに、プライドが高いのだ。
「猫を棄てる」を読んだのは、奇跡中の奇跡だ。
私は今年の3月から、エッセイを書く作家になった。
とても楽しいけど、あやふやな記憶を確かな言葉に変える仕事は、たまに漠然とした不安に襲われる。
春樹さんのエッセイを読めば、この不安を取り払えるかもしれない。
直感で、そう思った。
結果から言うと。
読み終わったあと、堤防が決壊するみたいに泣いた。
本当に視界が霞むくらい泣いて、動揺した私はお茶を派手にこぼし、本を浸けてしまった。
そんなわけで私の手元には、涙とお茶が染み込んだ「猫を棄てる」と、真新しい「猫を棄てる」が二冊ある。
これから先の人生へ、大切に抱えてつれていく。
二冊とも。
記憶をなぞって記録をたよる
春樹さんには今まで、お父さんとの関係のなかで、理由を見つけられず謎のままにしていたことがあるらしい。
「猫を棄てる」では、春樹さんがお父さんを二つの手段で振り返る。
春樹さんの幼少期の記憶をなぞって、振り返る。
お父さんの徴兵中の記録をたよって、振り返る。
記憶と記録が絡み合い、春樹さんが「謎の真実はこうではないか」と推測する答えあわせが、映像みたいに浮かび上がってくる。
謎のひとつが、お父さんが毎朝、仏壇に向かって目を閉じて熱心にお経を唱えていたことについて。
子どもの頃、一度彼に尋ねたことがあった。誰のためにお経を唱えているのかと。
彼は言った。
前の戦争で死んでいった人たちのためだと。そこで亡くなった仲間の兵隊や、当時は敵であった中国の人たちのためだと。
(中略)
父はそれ以上の説明をしなかったし、僕はそれ以上の質問をしなかった。
「単行本 猫を棄てる p.16」
祈りの真意はわからなくても、春樹さんのお父さんが悲惨な戦場にいたことは想像できる。
そのあとお父さんは、春樹さんに語った。
捕虜にした中国兵を斬首して殺したことを。
騒ぎも怖がりもせず、ただじっと目を閉じていた彼らのことを。
その時の春樹さんは、小学校低学年だったという。
いくら戦争の悲惨さを伝えるにしても、低学年に聞かせて良い話なのか迷う。
実際に、幼い春樹さんの心には強烈に焼き付いたと言う。
トラウマに近い。
しかしその捉え方は、春樹さんがお父さんの第二次世界大戦従軍の記録を調べていくと、変わってゆく。
惨く苦しい戦争の中で、数え切れないほどの死に直面し、お父さんの心に重くのしかかっていた「命拾いしたことへの苦しさ」「死んだ者への敬意」にたどり着いた。
春樹さんはお父さんが語った理由を「引き継ぎ」という儀式である、と推測した。
その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?
(中略)
しかしこのことだけは、たとえ双方の心に傷となって残ったとしても、何らかの形で、血を分けた息子である僕に言い残し、伝えておかなくてはならないと感じていたのではないか。
「単行本 猫を棄てる p.53」
お父さんがトラウマを話したのは、人が生きる理由そのもの、つまり歴史を紡いでいく本質的な行為だったのでは、と春樹さんは結論づけた。
親が子どもの心に、傷をつける。
あってはならないことのように思っていたけど、私にとって、春樹さんの結論はコペルニクス的転回だった。
人間にとって傷をつけることは、自然な行為なのかもしれない。
石を傷つけて、文字を書くように。
木を傷つけて、道具にするように。
うまく言葉にできない重暗い体験を、せめて、言葉以外の確かなもので繋がっている子どもにだけは伝えようとするんだ。
私は自分の中にずいぶん前から抱いていた、ひとつの疑念が、むくむくと返り咲いてくるのを感じながら「猫を棄てる」を読み進めた。
親の願いと、子どもの痛み
お父さんはもう一つ、春樹さんの心に傷をつけたんじゃないだろうか。
ふたりは二十年以上、絶縁状態だった。
根っこは「親の願い」と「子どもの痛み」のすれ違いにある。
春樹さんは「ここでは語らないが、ほかにも葛藤はあった」と補足しているため、これは私の勝手な推測だ。
お父さんは、戦争に邪魔をされて勉強を阻まれたから、春樹さんには熱心に勉強してほしかった。
春樹さんは、学問の勉強よりも、心の自由な動きや勘の鋭さなど、作家に近い才力に興味があった。
わかりやすく、どうしようもなく、すれ違っている。
よく耳にする、めずらしくもない話だ。
それだけに、春樹さんがとても身近な存在に思えて嬉しくなった。
親の期待は、子どもに重くのしかかっていく。
期待に応えられず、親が落胆する姿を見て、子どもは後ろめたさを感じる。
やがて両者の間には、深い深い溝ができる。
「愛しているから期待するんだよ」と、言われることもある。
私は、そうは思わない。
期待は一方的な願望であり、欲望だ。
愛はなにも求めない、受容だ。
私がこれにぼんやりと気づいたのは、幼稚園生のときだった。
あまりにも母が、障害のある弟ばかりを構い、私には厳しく接するので、たまりたまった不満が爆発した。
「ママは、私のことなんか嫌いなんや。どうでもいいんやろ!」
私が涙を流しながら言った時の、母の表情は今でも忘れられない。
最初は目を見開いて驚き、やがて眉がハの字に歪み、泣きそうになったのだ。
そのときのことを、母は今でも後悔している。
「あんたはお姉ちゃんやし、弟に障害があることで、学校でなんか言われるようになるかもしれへん。だから大好きなあんたが、傷つかないように強くなってほしかったけど、その期待が傷つけてたんやね。本当にごめんね」
私はたまたま、偶然、運良く、言葉にして母へと伝えることができた。
だけど、春樹さんは、きっとできなかった。
お互い、そう易々とは自分というものを譲らなかったということだ。
自分の思いをあまりまっすぐ語れないということにかけては、僕らは似たもの同士だったのかもしれない。
「単行本 猫を棄てる p.84」
傷はそう簡単に治るものではないし、無視できるものではない。
むしろあって当たり前で、無意識に存在するものになっていく。
春樹さんはその傷を、どうやって抱えてきたんだろうか。
私はエッセイを読み終えたあと、春樹さんのデビュー作を読んだ。
小説「風の歌を聴け」だ。
主人公「僕」に、春樹さんが投影されていると、私は無責任に信じている。
その「僕」が冒頭でこう語っている。
結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈み込んでいく。
「文庫 風の歌を聴け p.8」
ちなみに29歳だった春樹さんが本作で一番書きたかったことが、この冒頭だったらしい。
春樹さんは、傷を癒そうとして書いたんだ。
じゃあ本作で「親」の扱いはどうなってるんだろう。
実は、子どもを救ったり導いたりするような、物語上で理想とされる親は、一人も出てこない。
「僕」の父は、毎晩の靴磨きをさせることで、子どもに服従を強いた。
「鼠」の父は、戦争で儲けた成金で、子どもからは虫唾が走る能無しだと嫌われた。
「彼女」の父は、重い病気にかかって死に、治療費や世話の負担で子どもたちは疲れ果て、家庭は空中分解した。
ただの設定上の偶然かもしれないけど、ここまで揃いも揃って、子どもとすれ違う親しか出てこないのもめずらしいと思う。
子どもは親の言うとおりにならない。
そんな強い反抗心すらも感じてしまう。
傷が膿んでいくようなやるせなさを、どうやって消化すればいいんだ。
消化というかなんというか、結論めいたものを本作では、春樹さんが作った架空の作家・ハートフィールドによる小説で引用している。
ところで私は彼が架空の作家と知らず、ネットショッピングで在庫を探し回って、ショックを受けた。
つまり我々は時の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。
「文庫 風の歌を聴け p.123」
このあと「僕」が、うまくいかない家族のことで落ち込む「彼女」に対しても、「風向きも変わるさ」と答えるシーンもある。
生きていれば、いろんな風が吹いていく。
いい風もあれば、わるい風もある。
なにもせず、そのまま身を任せたらいい。
親との軋轢も、その後ろめたさも、考えたってどうしようもないのだ。
だから春樹さんは、人間を風に例えた。
私は、ごくごく身勝手に、そう解釈した。
そして、「猫を棄てる」に戻り、春樹さんの変化に気づいて、衝撃を受けた。
猫を棄てると、風が雨になっていた衝撃
「猫を棄てる」で、お父さんの記憶と記録をたぐり終えた春樹さんは、人間をこのように結論づけている。
言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。
(中略)
しかしその雨粒には、一滴の雨粒なりの思いがある。一滴の雨粒の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。
「単行本 猫を棄てる p.96」
ウワァーーーー!なんてこった!!!!
29歳の春樹さんは、人間を「残ることなく自由に流れていく風」と例えていたのに、71歳の春樹さんは人間を「歴史を受け継いでいく雨」と例えている。
風が雨になった。
この二つが持つ役割は、ぜんぜん違う。
人生の意義レベルでめちゃくちゃ違う。
それでも、春樹さんのなかで、変わったのだ。
春樹さんがお父さんの傷を知り、伝承と生死について考えた。
すると風に代わり、雨という答えが顔を出した。
春樹さんは「傷を受け継ぎ、言葉にして、生きていく」ことを選んだ。
すべての親は、子どもの心に傷をつけて生きていく
話が少し戻るが、私が昔から抱いていた一つの疑念が、確証になった。
おそらく、すべての親(または親代わり)は、子どもの心に傷をつけるということだ。
それが良い親であっても、悪い親であっても。
傷は、寂しさ、怒り、劣等感、期待など、いろいろだ。
時には、愛すらも傷になる。
愛が大きければ、傷も大きくなることもある。たとえば死別はそうだ。
私の父は、私にとって良い親であったけど、それでも「死に際に救急車で、私の名前を何度も呼んでくれたのに、立ち会えなかった」ことが私の傷になっている。
傷の痛みは、人生においてつきまとう。
だけど、引き継ぐことが歴史と人間の本質である以上、治すことも払うこともできない。
じゃあ、どうすればいいのか。
傷の輪郭を、深さを、かたちを知るしかない。
傷を知れば、痛みへの予防と対処ができる。
それこそが「癒やす」作業だと思っている。
私にとって、傷を知る手段は、文章を書くことだった。
思い半ばで死んだ父のことを。
彼が愛し、怒り、寂しさを感じたことを。
記憶をたどり、喜びや悲しみを再解釈することで、自分との折り合いをつけていく。
だけど、ここには強烈な後ろめたさがあった。
それは、私と父の間だけに存在した大切な思い出を、私が都合の良いように解釈し、世に知らしめ、書き換えてしまうことだ。
人の記憶なんて曖昧だ。
私は無意識に父を冒涜しているんじゃないか、思い出を汚しているんじゃないか、と恐ろしくなっていた。
そんな私のモヤモヤに曇った視界が、パアッと開けた。
「猫を棄てる」で、春樹さんがこう書いたからだ。
考え方や、世界の見方は違っても、僕らのあいだを繋ぐ縁のようなものが、ひとつの力を持って僕の中で作用してきたことは間違いのないところだった。
「単行本 猫を棄てる p.88」
ああ、そうだ。
受け取り方は違っても、父と私が二人で経験したことは、間違いのない事実だ。
春樹さんは、その事実を掘り下げて文章にし、読み返すことで「自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われる」と言った。
文章を書くことは、父のためではない。誰のためでもない。
私のためなんだ。
得体の知れない傷の形を、ひとつひとつ、拾い集めて、確かめていくんだ。
言葉にしていいんだ。
春樹さんに、救われた気がした。
傷は、いつか灯台の光になる
傷のかたちを知り、言葉にすることは、なにも辛いことばかりじゃない。
むしろ、嬉しいことの方がずっと多い。
なにかを書こうとして記憶をたどると、思い浮かんでくるのは、たいしたことのない愛しい仕草ばかりだ。
それこそ、棄てたはずの猫と対面した春樹さんのお父さんが、表情を「驚き」から「安堵」に、ゆっくりと変えていったみたいに。
何十年も前に起きた数秒の変化を、こんなに細かく書けるってことは。きっとそれだけ、春樹さんの心のやわらかいところに残っていた愛しい仕草だったのだと思う。
そしてその仕草は、春樹さんが過去を調べ、傷のかたちを知ることによって、お父さんの傷を癒やす出来事であることがわかった。
それだけじゃない。
きっと春樹さんはずっと前から、お父さんの傷のかたちを知ろうとしていた。
「風の歌を聴け」に登場し、「僕」たちが羽を休める「ジェイズ・バー」の店長は、軍隊をやめた中国人だ。
「僕」の叔父が中国の侵略戦争で死んだことを伝えると、ジェイは「いろんな人間が死んだものね。でもみんな兄弟さ」と言う。
深い愛と優しさが滲む言葉に、春樹さんのお父さんが死ぬまで抱いていた、中国兵士への敬意を感じずにはいられない。
かたちを知った傷は、暗い海の遠くで、かすかに光る灯台のようになる。
闇に飲まれそうになっても大丈夫だ。
光の方へと、泳いでいけばいい。
「猫を棄てる」に出会ったら。
言葉を書く確かな強さを、春樹さんからもらったのだ。
このわけのわからん熱量の読書感想文を思いついたとき、文藝春秋の村井弦さんにわけのわからんテンションでお話したところ、身に余るご縁があって「文藝春秋 村上春樹『猫を棄てる』オフィシャルサイト」で、岸田奈美×佐渡島庸平の対談記事を書かせてもらうことになりました。そんなことある?
公開は6月5日ごろを予定しています。岸田奈美のTwitterなどで告知しますので、お楽しみに〜!
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