
四十九日は、阪神甲子園球場で会いましょう
「岸田さんのうしろに、亡くなったおじいさんがうろうろしてらっしゃいます。いえ、未練とかじゃなくて、特になにか言いたいことがあるわけではないけど、楽しくてついてきちゃってるみたいで」
いろいろ視える人から、会うやいなや、言われた。
霊を信じるかどうかを語りだすとえらいことになるので、ここでは置いておくとして、単純にじいちゃんがおもしろすぎるので、信じることにした。
こういうのは、自分がどう考えれば楽しくなるか、もとい救われるかが、なにより重要ではないか。
最後にじいちゃんの顔を見たのは、2月24日。
寝落ちするようにスッと亡くなる、6日前だった。
「じいちゃん、なんか、やりたいことないか?」
「こう、し、えん」
脳挫傷の後遺症で意識がはっきりしてなく、酸素マスクでふがふがしているので、ほとんどなにを言っているかわからないじいちゃんから、わたしが唯一聞き取れた言葉であった。
甲子園。
じいちゃんが、人生のほとんどを過ごした家のある町。阪神大震災でぶっ壊れても、大工のじいちゃんは自力で建て直し、住み続けた。
「そっか、そっか。帰りたいねんな。帰ろうな」
甲子園の家に帰りたいんだと思い、その場では答えた。帰れないことはわかっていた。でも、それくらいしか、去りゆくじいちゃんに、わたしがしてあげられることはなかった。
じいちゃんの葬式が終わり、3月末。
『粘りの阪神タイガース・藤浪投手。味方のエラーに耐え、ペースを乱しながらも5回2失点と奮投しました!』
普段はまったく気にもとめない、ニュース番組のプロ野球ハイライトを眺めながら、ふとひらめいた。昔のコナン君がひらめいた時のピョロリンという音がした。
「甲子園って、もしかして、阪神甲子園球場か?」
じいちゃんは、熱狂的なタイガースファンだった。
夏の夕方になるといつも縁側を開け放って、大音量でプロ野球中継を流し、銀色のアサヒスーパードライ缶を次々と飲み干す。七回裏が近づくと、ランニングシャツにヨレヨレのハーフパンツで、球場に向かう日もあった。
わたしが思い出す寡黙で頑固者のじいちゃんの姿は、それである。
いやホントは幼稚園生のわたしがキッズ自転車がほしいとねだったら、近所の新聞屋のおばあさんが生まれた朝にやってきたようなチャリ(20年もの新聞配達に耐えた)をもらってきて、補助輪もなしにわたしを無理やり乗せ、ガレージに頭から突っ込ませられたという記憶もあるけど、相応にしょっぱいので別にわけておく。
そういえば病室に、テレビはなかったっけ。
じいちゃんを喜ばせるためにできることが、まだあるかもしれない。
というわけで、手に入れた。
泣く子も喜ぶ、内野席ブリーズシートを。
実は、感染対策で阪神甲子園球場は入場者数を大幅に制限していて、わたしが気づいたころには、チケットもほぼ購入できない状態になっていた。
仏教では、人は亡くなってから四十九日で、天におわす仏さまのもとに銀河鉄道999すると言われている。
わたしが背中にしょってる、じいちゃんの場合は4月19日。
あかん、あかんぞ。
逝ってまう。
事情を話せば話すほど「なにを言ってるんだ」「保護者はどこだ」という顔をされたが、めげずに知人という知人をあたり続たら、幸運にも「会社で購入してもらった年間チケットがあるから譲るよ」という人が見つかり、定価で買った。
しかし、疑問がわたしの頭をよぎる。
「はたして、一枚でいいのか?」
ベーシックな霊は、浮いているはずだ。ならば球場に行けさえすればいい。空いている席に適当に座るし、なんなら、一塁側ベンチにも座れるんじゃないか。矢野監督の隣とか。
でも、もし、じいちゃんがわたしのそばから離れられなかったら。空いている席が、テープ封鎖などで使用できないようになっていたら。
二枚買った。
一緒に観に行こうな、じいちゃん。
アホかもしれんが、信じたいことを、信じるぞ。
供養には作法が存在する。やってはいけないことをしてしまえば、じいちゃんは浮かばれない。
念のため、同い年でとても仲のよいお坊さんに相談した。
「心配やったら、自分も行こうか。お念仏も唱えられるし」
こうしてチケットは、三枚になった。
しつこいのでこれで最後にするが、こういうのは自分がどう考えれば救われるかが、なにより重要なのである。
4月16日。
感染対策がされているとはいえ、大きな球場なので、やらないよりはマシだと自宅の検査キットでPCR検査と抗体検査をし、移動には車を使った。
いつも人であふれていたはずの阪神甲子園球場の席は、ガラガラだった。
前後左右、2席か3席以上空いている。夏は応援団で賑わうアルプス席にいたっては、5分の1くらいしか観客がおらん。
飛沫が飛ぶような声援も禁止されていて、「応援歌やリアクションを録音した音源」が流れていた。アメリカンホームドラマみたいだな。(ドッ!)
アサヒスーパードゥルラァイを売りたかったが実際はホットコーヒーを売っていた記憶が、颯爽と蘇る。ウウッ、頭が。
戸惑う従兄弟宅から借りてきたじいちゃんの写真と、お供えとして、生ビールと例の焼き鳥を買った。
買ってから、気づいた。
「うわあっ、これキリンビールや!」
油断していた。アサヒビール一強だった甲子園球場では、2008年からキリンビールがじわじわと勢力を広げているのだった。
じいちゃんはキレのある辛口のアサヒビール派だ。すまん。でもキリンビールも美味しいからね。
試合がはじまると同時に、手をあわせた。お坊さんによるお念仏が始まる。しかし、ここはあくまでスタジアム。周囲を怖がらせてはいけないので、誰にも聞こえないよう、お互い、ほとんど細い息を吐くように口を動かすのみである。
「お念仏ってこんなつぶやく感じでええんかな?」
「いいんじゃない。そりゃあ本当は音階とか木魚とかあった方が、ていねいだとは思うけど」
「音階……」
お念仏。賛美歌。鎮魂歌。人はしばしば祈りを込めるとき、歌という儀式に託すことがある。
じいちゃんが喜び、心安らかになれる歌は、なんだろう。
「……六甲おろし?」
「あ、それだわ」
われらが阪神タイガースが勝利した時のみ、球場に響き渡る歌である。
頼むぞ、猛虎。勝ってくれ。浜風に乗せて、打球をライトスタンドへ。
きっと、じいちゃんも応援しとるから。
阪神タイガースの藤浪、ヤクルトスワローズの石川。試合がはじまれば両軍の投手戦がすさまじく、どちらも点が入らず、あっさりと回が終わっていく。
そして迎えた、五回裏。
ランナーを一塁に置き、バッターボックスに入ったのは藤浪晋太郎投手。
「あっ」
飛んできたボールの真芯をとらえ、カンッといい音が内野席まで聞こえた気がした。ボールがナイターの強烈なライトに照らされて、ぐんぐん伸びる。そのまま天まで届きそうなくらいに。
今日はそういう塩梅で決まっていたみたいに、美しく弧を描き、ボールは三塁側外野席へと吸い込まれていった。
打球速度161キロ。飛距離131メートル。
特急列車よりも速いスピードが、電光掲示板に映し出される。藤浪投手は、この日、プロとなって甲子園ではじめてのホームランを打った。
「自分でも引きました。入ると思ってなかったので。めちゃくちゃ飛びましたね」
ヒーローインタビューで、彼は答えた。
まぎれもなく彼自身が持つすさまじい実力と、運の賜物だ。それは間違いない。でも今日のわたしは、こうも願わずにはいられない。じいちゃんが、応援してくれたから。
球場に、六甲おろしが響き渡った。残念ながら観客は無言で揺れるのみだが、スピーカーから流れているのは紛れもなく六甲おろしだ。
じいちゃんが、ばあちゃんと出会い、父を育て、この世を去るまで、ずっとずっと変わらない勝利の歌。
じいちゃんのために、甲子園まできた。
でも、亡くなった人の気持ちなんて誰にもわからないし、本当にここにいるかもわからない。だからこれは、本当は、わたしのためなのだ。生きているうちに、もっとじいちゃんに、何かしたかったと嘆く、愚かなわたしのためだ。わたしはわたしのために、やってきた。
これから先、何度も何度も、甲子園球場を見るたびに、じいちゃんのことを明るく思い出す。
おめでとう、ありがとう、阪神タイガース。
はじめて自分で売り子さんから買ったホットコーヒーは、苦くて熱くて、美味しかったよ。
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