耕助パパと愛しのボルちゃんの巻(ドラマ見学6日目)
とても、かなり、すごく、忘れっぽい。
わたしというやつは。
小学生のときは、忘れ物をしない日のほうがめずらしかったのではないか。絵筆やトイレットペーパーの芯やらをボンボン忘れ、図工の怖くて嫌味なオバチャン先生にいつも怒られ、泣いていた。
「絵筆持ってへんような子は、なにしに学校来たんかしらね。あー、なるほど、先生がバカやから見えへんだけやね。バカには見えへん筆ってね。ほな、続けましょ」
こっわ!
父が亡くなったときだけは、忘れるという才能が、身を守ってくれたように思う。
18時42分という時間の響き。淡々と葬儀の対応をしていた母が、喪主の挨拶でスローモーションのように泣き崩れた瞬間。その時期の、それ以外のことは、濃く霧がかってる。
父の声も、顔も、いまではあんまり思い出せない。
父のことを思い出すと、脳が味噌煮込みみたいになることを、わたしの命は知っていた。
よくできている。
母がよく言う言葉をつかえば、ようできたーる。
記憶の空白と引き換えに、わたしは今日も、わりと元気なのである。
2023年、4月3日。
「はあ〜〜〜〜っ……めんどくさ」
地下駐車場でのドラマ撮影で、岸本耕助役・錦戸亮さんのぼやきを聞いた。
いまから運転する鍵を、スーツケースの奥にしまい込んだことに気づいて、ぼやくセリフだ。それまで家族とウッキウキで出かける予定だったのに、テンションが滝のごとく急降下する。
一人ではりきっておきながら、一人ですねる。
フッ、と面影が重なる。
父もそうだった。
オープン直後で大混雑してるユニバに父は「どや!クラスでも一番ちゃうか!」とわたしを連れてってくれたが、3時間待ちのジュラシック・パーク・ザ・ライドの列に恐れをなし、こっちから並ぶと早いんやと堂々と誤魔化しながら、出口をヌルッと通り抜けて、駐車場に到着した。わたしは呆気にとられ、嘆く暇もなかった。父は最後まで白々しく、道に迷ったフリをしていた。
それでも、父を憎んでない。
なぜか。
「待って、待って、待って!忘れたあッ!」
ビュンッ!
撮影中にメモを取っていたわたしの前を、なにかが猛スピードで遮った。
え、と顔をあげると、麦わら帽子を片手に錦戸亮さんが戻ってきた。大疾走である。錦戸さんって、あんなに走るんだなあ。
楽屋でもロケバスでもない不思議な方向から走ってきたので、一体、どこに忘れてきたというのか。
必死が醸し出すお茶目さに、岸本家の面々も笑いながら待っていた。
そうだ。
一人ではりきって、一人で怒って、一人ですねて。
家族を振り回しておきながら、一人で爆笑させる。
それが父だった。だから憎めなかった。大疾走するところも、帽子を忘れるところも、わたしの記憶にはないはずなのに。懐かしさがにじむ。
ボルボ……と言いたいところだが、NHKのルール上、商品名を出すことができないので『ボルちゃん』と呼ばれる謎の車に、岸本家が乗り込む。
「に、錦戸さんが運転するんですか!?」
エンジンをかける音にびっくりして、プロデューサーを見た。古い車だし、なんなら一週間に一度壊れるらしいのに、錦戸さんは何年もずっと乗ってたみたいにハンドルを握っていた。
助手席の坂井さんと、なにかを話し、坂井さんが口を押さえて笑っているのが見えた。
強烈な新鮮さだった。
わたしはこんな角度から、父と母を見たことがなかったのだ。
父の運転するボルボで、いろんなところへ連れて行ってもらったし、連行されもしたが、その時の父の表情は微塵も知らない。
わたしはいつも弟と並び、後ろの席から父のちょっと膨れた頬あたりを眺めるだけだった。
ノイズまじりのカーステレオから聞こえてくるZARDも、国道沿いの灰色の店ばかりが並ぶ景色も、小学生のわたしには退屈で、ひたすら眠った。
その間、父と母が、なにを話していたのか知らない。
撮影が始まると、役に入った坂井さんは一転、どこか曇りのある苦笑いを浮かべていた。そして錦戸さんに話しかけられ、ふっと口元を緩める。ほほえむ。
わたしが覗いているモニターからは、声が聞こえない。
無音。
代わりにわたしの頭の中で再生されたのは、母から聞かされていた、何気ない思い出話だった。
『障害があってもどこへでも行ける、なんでもさせてやれる……ってパパが言うてな、勢いだけでよう旅行したわ』
人混みで大あわてしちゃう弟のために、ボルボに布団を積み込み、父は夜を徹して神戸から東京ディズニーランドまで、アクセルを踏み続けた。生命力を使い果たした父は、現地の駐車場でずっと寝ていたけど。
あの時、母はきっと、不安だった。
弟がどう育つのか、旅行先でどうなるのか、わたしにどんな我慢をさせるのか、なにもかも真っ暗で見えなかった。
そんな母を、父は。
「あほちゃうか」
とでも言って、
運転席から、笑かしていたんだろう。
錦戸さんが運転するボルちゃんは家族を乗せ、ゆっくりと発信した。
父が生きて、動いていると思った。
もちろん、こんな記憶はない。駐車場も、乗っている家族も、行き先も違う。これはドラマの物語。
それなのに。
こんな風景、あった気がする。
こんなふうに、旅につれていってもらった気がする。
じわっと熱い涙が浮かんできて、そのままボタボタと涙の一番搾りをしそうになったが。
リテイクになるたび、少し振り返りながら車庫入れをする錦戸さんがかっこよすぎて、そして運転がうますぎて。
「あっ、これは、オトンじゃないわ」
と、涙が引っ込んでいった。
神戸で留守番している母に、ボルちゃんの写真を送ってみた。
間髪入れずに電話がかかってきた。
鼻をすする音がした。
「あかんわ、あかん。こんなん見てもうたら、もう」
母は泣いていた。
そうだよな。父とボルボとは、わたしよりも母のほうがずっと、付き合いは長いし、記憶も鮮明なのだから。
「わたしな、本当は、赤いボルボがほしかってん」
……初耳だった。
岸田家のボルボは、深緑色だ。
「パパとな、ボルボのパンフレット見ながら、どうしても赤色がほしいってお願いしたら」
「うん」
「パパが言うてん」
「なんて」
「アホか!葬式のときどないすんねん!って」
「は?」
「葬式のときに真っ赤な車で乗りつけたら、どつき回されるぞってな。それもそうやなと。やけど、ほんまのほんまは、赤色がほしかってん」
なんやねん、そのエピソードは。
出るはずだった、もらい涙が「アッ、間違えました」と、眼球手前で引き返していった。
「まあ、そんなこと言うた本人が、いの一番に葬式になったわけやけど」
「笑えるかあ」
「あっ。赤いボルボ、いっぱい写真撮ってきてな」
粛々と写真を撮っていると、演出の大九明子さんがいた。
どうやら赤色のボルボが母の念願だったらしいという、消化しきれてないエピソードをおすそわけすると、大九さんがちょっと目を丸くした。
「古い車だから台数もなくて、もともとはベージュ色の予定って聞いてたんですよ。わたしは赤色が大好きで、赤色だったらいいのになあってちょっと願ってたら、偶然、こうなって」
「偶然」
「岸田家にも喜んでもらえたなら、赤色でよかったですね」
撮影現場を後にした、タクシーの中で、父を思い出した。霧の中から手探りで、引っ張り出した。
はしゃぎすぎたのか、帰るのが悲しすぎたのか、わたしと弟はきまって家族旅行の最終日に高熱を出していた。
山奥の貸し別荘のリビングで、冷凍魚のように弟とゴロンと寝転がらされ。高熱に浮かされ朦朧としてると、ガンガンと鈍い音がした。
似合わない麦わら帽子をかぶった父が、窓を叩いていた。
「おらん。カブト虫なんか、一匹もおらん。やってられるか!」
わたしと弟を励ますために、頼まれてもないカブト虫を生け捕ろうと、夜明け前から雑木林に入っていったらしい。
一人ではりきっておきながら、一人で怒り、一人ですねる父。
わたしと弟を抱っこし、よろめきながら帰路へつく父の手は、温かいを通り越して、熱かった。父も高熱を出していたのだ。
あの時も、母は笑っただろうか。
坂井さんは、笑っていた。
たぶん、母も。
ずっと抱えていた記憶の空白が、満たされていく。
ドラマの“もしも”と、現実の“きっと”が、混ざりあっていく。
こんな体験ができるなら、やっぱりわたしは、忘れっぽくてよかったなと思った。
ほんまに、ようできたーる。