くらせ!たこ焼きサーカス団
こんなわたしにも特技がある。
たこ焼きを焼くのがうまいと、よく褒められる。
わたしが大学生一回生の頃、タコパなる文化が流行りだした。どいつもこいつも、タコパ、タコパと囃し立て、やれ岡山やら徳島から出てきたばかりの友人に目をつけては、下宿先に大勢でなだれ込んでいた。
浮かれやがって。
奴らはドン・キホーテで、だいだい2980円ぐらいで投げ売りされている、電気たこ焼き器を買って。さらぴんで、まだ油の酸いも甘いも知らん、ちょっとした下ネタで泣き出してしまいそうなほどウブなたこ焼き器である。
ツルツルテカテカの安っぽいテーブルの真ん中にそれを置いて、取り囲むように座る。ギッチギチである。
くそ狭いキッチンで女どもはキャーキャー言いながら、ロシア産のタコをぶつ切りにする。みじん切りにしたネギはだいたい繋がっている。
男どもはたこ焼き粉で液をつくる。だいたいボウルの大きさを見誤って、タプタプになった液を、こぼさないように恐る恐る、かき混ぜている。この時の男の背中の情けなさといったら、百年の恋も冷める。
そして、液を構成する水と粉の分量はてきとう。秤がないからだ。浮かれたやつらには秤など買えるわけもない。
わたしに言わせれば、この時点でもう、失敗している。
たこ焼きの液ってのは、素人が想像するよりも、シャバシャバなのだ。不安になるぐらいシャバく作ってやらなければならない。
しかし、地方から出てきた学生というのは、シャバさにビビり散らかして、粉っぽい液にしやがる。それじゃだめだ。粉っぽい液で焼くと、春先のクソババアの着ぶくれた服みたいに、ふくれてしまう。
ダメ、ダメ、ダメ。
そんなんじゃ、全然、ダメ。
でも、わたしは言えない。
タコパでキャピキャピする学生の輪に入れないからである。人間の衣食住をなめているとしか思えない、下宿先のキッチンに入れない。あれは一軍の女にだけ許された甲子園のグラウンドである。
「同じゼミだから……」などという、たこ焼き液よりシャバい理由で招集された二軍のわたしは、なにかを手伝っている雰囲気だけは見せつつ、机の同じところを一生、ティッシュで磨くことしかできない。
タコパには参加できるが、キッチンには入れない。
それが、わたしの人生。
さて。
そうこうしてるうちに、焼きが始まる。
学生はイキッて百円ショップで仕入れた千枚通しをギラリとちらつかせるが、それは素人さんのやること。
竹串でもいいが、割り箸の方がいい。
鉄板は命だから。
プライドは傷つけても、鉄板は傷つけてはいけない。千枚通しでガリガリやった日には、鉄板に祟られ、その日の晩に鉄板の上で土下座させられる夢を見て死ぬ。
関西人は夜逃げの際にも、鉄板をヒモで背中にくくりつけて、泣きながら引っ越すのだ。そして孫の代まで受け継がせる。
傷がつくと鉄臭くなるが、傷がつかないまま使い込まれた鉄板には神が宿り、絶妙な火加減を会得する。
鉄板が温まったら、おたまで液を注ぎはじめる。
素人はだいたいここで、穴の八分目まで注ぐ。
八分目と同じぐらい浅すぎる思考など、大方予想がつく。具を入れてちょうど満杯になるように、予想して、少なめに注ぐんだろう。
これだから、勉強ばっかりやってきた大学生は救いようがないのだ。液も感情も、計算して満たすのではない。あふれさせろ。
液は、穴からあふれて、鉄板をギリギリまで満たすぐらい注ぎ込むべし。
この辺で、必ず、阿鼻叫喚が起きる。
ひっくり返せないのだ。煙が立ってきて、こげそうだからと慌てて丸めようとしても、ぐちゃぐちゃのドロドロ。ヒイヒイ叫びながら、なんとかまとめようとしたところで、できあがるのは無様な小麦粉の塊である。
しかし、ここで膝を折るのは愚の骨頂。
家庭における一回目のたこ焼きは、“捨てたこ”である。
失敗して当然と思いながら、焼くのだ。
たこ焼きの丸めやすさとは、すなわち、鉄板に油が回っているかどうか。新品の鉄板なら、なおさら捨てたこにすべきだ。命を賭して道を切り開く、先遣隊とも言える。
南無阿弥陀仏を無心で唱えながら、ぐちゃぐちゃのたこ焼きを回して、精神を保ちながら、焼くに限る。二回目からは犠牲の分だけ、楽園が待っている。
無知な大学生は、そんなこともつゆ知らず、“失敗”の二文字にとらわれて意気消沈している。
ここで満を持して、わたしが右肩から割って入る。
「貸せっ!たこ焼きってのはこうやんだ!」
おたまを奪い取り、鉄板を液でタプタプにする。天かす、ネギ、紅生姜をこれでもかと振る。親の仇かと見紛うほど振る。
温室育ちの大学生たちは、蛮族でも見るような目線でわたしを眺めているが、わたしは動じない。腕組みをして、目を閉じ、ひたすら待つ。
液が
「フツ……フツ……(今だよ……今だよ……)」
と、語りかけてくる頃合いにて、箸の先をスーッと鉄板にすべらせる。たこ焼きの部屋を区切る。こんなに美しいワンルームがあるだろうか。
薄く広がった金屏風のような液が区切られて、真四角の陣地が無数に完成する。穴からはみ出した四辺を、わたしは、ぎゅうぎゅうと穴に入れ込んでいく。
最初は、ぐちゃぐちゃが。
不格好だと思うかもしれない。
だが、名作の映画はすべからくこうなっている。最高のカタルシスの直前には、いつも予想外の絶望が待ち受けている。
あきらめず、たこ焼きのポテンシャルを信じて、箸でくるくると回していく度に、おもしろいほどまとまっていく。万物は球体に収束する。
人生と同じだ。
ぶつかって、ぶつかって、あるべきところに丸く収まっていく。たこ焼きはすべてを教えてくれる。すべての大学入試にはたこ焼き実技を導入すべきである。
あらかた丸くなってきたら、フィナーレは、たこ焼き大移動だ。
たこ焼きは直火に鉄板のセッティングが最高なのだが、こういう安価な電気たこ焼き器は熱伝導が穴によってまばらなのだ。
なので、大移動させなければならない。
焼けたやつは、火力の弱い穴へ。焼けてないやつは、火力の強い穴へ。蹴飛ばすように弾いていく。バトルドーム!ボールを相手にシューッ!超エキサイティン!
これでたこ焼きが完成した。
ちなみに、この時間になるともう全員が興味を失って、サッカー中継を見はじめたりするので、わたしは孤独に調理を続けている。無言である。
「あっ、なんか、たこ焼きが思ったより多く焼けてるね」
みたいに思われているのか、鳥がエサをつつくように、それぞれ特にリアクションもなく、たこ焼きを飲んでいく。
こんなわたしだが、コツコツと実績をつみ上げていくと、大学二回生になればたこ焼きを焼ける人として、業者枠でタコパに呼ばれるようになった。
文化祭の屋台でも、知らんテニスサークルから助っ人として呼ばれ、ひとりで5000個焼いた。
家庭たこ焼きの名手は、わたしだけではない。
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