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もしもピアノが消えたなら(もうあかんわ日記)

毎日だいたい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
イラストはaynさんが描いてくれました!

ピアノを業者に引き取ってもらった。

母が小学生だったころ、じいちゃんとばあちゃんが買ったアップライトピアノ。わたしが生まれたら、神戸のマンションにも一緒にやってきた。

「向かいの棟でピアノ教えてる先生がいるから」というものすごくお手軽な理由で、幼稚園生のわたしもお稽古へ通うことになった。

ぼけっとした大雑把で横柄な女の子のわたしが、ひとたびピアノの前に座ると、それまでにこやかだった先生の表情が、一変した。はじめて鍵盤に触れるわたしは、楽譜も音符も読めないので、てきとうに白鍵と黒鍵をなでたつもりだった。


ラレミファミーレレー♪


「奈美ちゃん、それ、もう一回弾いてみて」


ラレミファミーレレー♪


「つづけて」


ラレミファミーレ ミーファーファー♪

ああ、と先生が小さく息をもらした。


「菊次郎の……夏……」


ひとすじの涙を流しながら、目を閉じて上を向く先生の視界には、深く青い空が広がり、セミの泣き声にうだるような夏の景色とたたずむ菊次郎が広がっていた。

わたしが偶然にも奏でてしまったメロディは、久石譲のSummerだった。

神戸市北区のマンションから、ピアノの神童と呼ばれる伝説がはじまる瞬間であった。


なんてことは、あるはずもなく。


ちなみにわたしの下の階に住んでたあっちゃんという同い年の女の子は、紛れもなく神童で、国内のコンクールのみならずドイツに渡ってトロフィーを持ち帰り、東京音楽大学にストレートで合格した。

マンションなのでそれぞれ練習するピアノの音が聞こえてくるのだが、あっちゃんには音漏れを聞きにくる掃除のおばさんもいた一方、外れた音を奏でまくるわたしが練習する部屋の前にはいつもカラスが止まっていたし、休日は泥のように眠りたい父にいたってはスッと耳栓をするという火の玉ド直球を投げ込んできた。

さっきの無駄な説明が正しかったこともある。大雑把で横柄な女の子というのは、ウソをついてない。

ろくに練習もせず、宿題として出されたバイエルもバーナムもすぐ飽きてしまい、右手で「ラーメン屋のチャルメラ」と「クラッシュ・バンディクーが仮面をつけた時の効果音」を奏でることに血眼になっていた。

最初は優しく、穏やかだった先生が、急にバンッとピアノの上に突っ伏して「わたしが悪いの、わたしが、ごめんなさい」と、泣いたことを覚えている。

小学生低学年にとって、大人の涙は世界がひっくり返るくらい衝撃的だ。

戸惑って、先生を励ましたくて、ポロン……と端っこの鍵盤を押し込んだ。

ポロン、ポロン……。

この曲を「業〜カルマ〜」と名づけ、自分への戒めとして後世に弾き継いでいけばもう少しマシな大人になったかもしれないのだが、いかんせん音楽の才能が毛ほどもなかったのでポロンはただの不協和音だった。


話を戻そう。


それをきっかけに、うちのピアノはだれも弾くことがなくなった。

一応すべての音が鳴るものの、10年以上、調律もしていない。重いフタを閉じたまま、ほこりをかぶった棚と化しており、いまは祖母のシミーズがたくさん並べられている。

問題は、置いてある場所。

うちの実家は、3LDKだ。洋室がふたつと、和室がひとつ。一番狭い、5畳の洋室にピアノが置いてある。もともとここは父の部屋だった。

言っちゃなんだけど、邪魔なのだ。

26年も住んでりゃ、それなりに思い出の品々や捨てられないものも増えていく。生きるとはそういうこと。その品々を5畳の洋室に詰め込み、余ったスペースにばあちゃん用のシングルベッドを置いてあるのだが、そうすると人が座る場所もない。

ピアノがあると車いすが入れないので、母も困っている。ずっと「まあいつかどうにかしよう」と見て見ぬフリをしてきたのだが、母が入院している今、ゴタゴタに乗じて面倒ごとは一気に片づけようと思った。

母と祖母にそれぞれ

「ピアノ、誰も弾かへんから、処分しようと思うねんけど」

と言うと、二人とも

「それがいいわ!部屋広くなるし、棚も置けるやん」

賛成してくれた。


さっそく、有名なピアノ買取会社3件ほどに電話をかけ、ピアノの品番や年式を送り、査定してもらった。

査定の結果、値段がつかなかった。

それどころか、売れる見込みがないので、引き取るのに配送料や手数料で2万円かかるという。

これは仕方がない。ヤマハやカワイといった大手メーカーのピアノではなく、しかもかなり古くて、メンテナンスもしづらい。同じ型を中古販売サイトで調べてみたけど、在庫処分のごとく破格で売られていた。

「ここならもしかしたら、無料で引き取ってもらえるかも」

親切なオペレーターさんから教えてもらったのは、ピアノを無料で引取り、児童施設や途上国に格安で卸している団体だった。

たずねてみると、無料で引き取ってくれることになった。これはでかい。


見積書にサインをする前に、母にもう一度電話をかけた。

「ピアノ、ほんまに売ってしまってええん?」

「もちろん!わたしはもう弾かれへんし、母娘二代で使えて、ピアノも浮かばれてるわ」

「わかった」

ピアノは、その日のうちにドナドナされていった。


大変だったのは、翌日から。


「ピアノが消えた!」


ばあちゃんのえらい剣幕の声で、目が覚めた。

「だれかが持ってったんや、えらいこっちゃ!」

こんな民家にピアノ泥棒が来てたまるか。

「昨日、業者に引き取ってもらったで」

「はあ?なんでそんな勝手なことしてん!」

アカン、忘れとる。また記憶がリセットされとる。

「勝手なことちゃうわ。ちゃんと二回も言うて、喜んでたやん。広くなるわって」

「そんなこと言うてへん!」

「言うたて」

「ああ、もう、あんた、どないすんの!」

「どないするもなにも、今ごろどこか遠い空の下やわ」

「もったいない!あれはおじいちゃんと何十万円も出して、買ったピアノやねんで。なんでそれをあんたが、勝手に」

ばあちゃんは、バチギレしていた。

うう、そういう、いい話を持ってこられるとこっちもちょっとつらい。その時は会議だからと、てきとうにばあちゃんを撒いて逃げた。夕飯のときにはピアノのこともすっかり忘れていたので、勝ったと思ったのだが。


翌朝。

「ピアノが消えた!」


もしかしてわたしたち、ループしてる?

昨日も叩き起こされてフラフラのわたしに、ばあちゃんの悲嘆と怒号が飛んでくる。だからピアノはないねんてば。

母に助けを求め、電話をかけてスピーカーフォンにし、ばあちゃんに語りかけてもらうことにした。

「わたしが車いすで部屋に入れへんから、売ってって奈美ちゃんに頼んでん。無料で引き取ってもらえて、必要な人のとこに行くから、そっちの方がええわ」

母が力説すると、ばあちゃんは「そうかあ」とあっさり引き下がった。

これにて一件落着。


に思えたのだけど、これはループものなので、今日の朝もばあちゃんの「ピアノがない!」から始まったのだった。わたしはまた、母に電話をかける。

しばらくはこれを目覚まし時計として活用していこうと思う。


<追伸>
きのう、もうあかんわ日記を本にするか迷ってると書きましたが、2000以上のスキとたくさんのコメント(ぜんぶホクホクで読みました)をいただいたので、いそいで本にします!ありがとう!


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ばあちゃんはなんでも捨てるし、なんでも置いとく。

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738字

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。