お仏壇から魂を抜くということ
「おばあちゃんの家を売る?仏壇とかあるん?ああ、それじゃ、オショウネヌキをせんとあかんね」
大阪の谷町にある、祖母名義の空き家をわたしが代理で処分するという話をすると、知人が言った。
オショウネヌキという聞き慣れない単語のことを、お性根焼き(オショウネンヤキ)と勘違いしたわたしは、根性焼きのお上品バージョンかと思った。
スマホで調べてみると、正確には「お性根抜き」だった。
「仏壇を移動したり処分したりするときには、なかにいるご先祖の魂を抜かんとあかんのよ」
魂を抜く。
よく、ジェットコースター乗ったら口から魂出たわ!と冗談で聞くことがあるが、ちょうどあの図が浮かんだ。あれは実在する仕組みだったのか。感激してしまった。
「そうなんや。やり方とかってググったらわかる?」
「自分でできるわけないやろ!お世話になってるお寺にお願いして、お経あげてもらうねん」
お世話になってるお寺。
岸田家に嫁入りした母の宗派と、祖母の宗派は違う。お世話になってるお寺も違うから、わたしではわからなかった。
祖母に電話して聞いてみると
「はいはい、お寺さんね。あのね、住職が元気でええ人でね。なんていったかな、それはわからんねんけど」
わからんかった。
2分前にご飯を食べたかどうかも忘れてしまっている祖母のことなので、さもありなん。
もう二十年近く帰っていない家のお寺なので、母もよくわからない。二人で祖母の色あせたノートやメモ帳などをペラペラとめくり、しらみつぶしにお寺を調べ、ようやく判明した。
「えっ!あの太田さんのとこですか!」
ずっと会っていないのに、太田です、と伝えただけでわかってくださったご住職の安心感ったらなかった。
「大変ご無沙汰しています。わたしは孫なのですが……」
「もしかして岸田奈美さんですか」
わかりすぎやろ。
なんでや。なんでなんや。仏の力ってそういうのもわかるんか。
「いやね、たまたまテレビ見とったら、太田さんが出てきはって腰抜かすほどびっくりしたんですわ。あれ、お孫さんの特集でっしゃろ。うわあ、すごいわ」
あまりにも腰が低い声色で丁重に喜んでくださったので、背筋が吹雪いた。いやとても光栄なんですけど、こう、名前が知られてる以上、緊張するといいますか。
発生するイベントが真面目になるほど、わたし、いつもご迷惑をおかけしてしまうので。
「お性根抜きですね。確かにうけたまわりました!」
こうして来たる9月末日。
祖父と曾祖母が宿るお仏壇から、お性根抜きをしていただく日が決まった。ちなみに、ふたりの遺骨はすでに永代供養でお寺に納めてある。
当日は、わたしがひとりで立ち会うことになった。
祖母の家はもう、買い主が決まっている。
長屋で老朽化もひどく、車いすに乗る母は入れないくらいの段差があるし、わたしも自宅の京都・実家の神戸・仕事で東京の往復が精一杯で、誰も様子を見に行けない日が続いて荒れているから、泊まることはできない。
10年近く人の出入りがないので不安だけど、一時間前に到着して、それなりに片づけと準備をしたら十分だろうと思い、実家を出発した。
そしたら、強烈な電車の遅延と、御堂筋の渋滞で、到着したのは2分前だった。愚か者め。
実はもうやばいと思い始めたころからお寺に連絡していたのだが、ご住職はすでに前の檀家さんの訪問で出発してしまっていた。時間はずらせない。
さすがになにも準備していないのはまずいな、ちょっとでもやらなくちゃ、と走って玄関についたら、もうすでにご住職が自転車で乗り付けていた。
「どうもォ!」
袈裟姿で、ものすごい元気な笑顔である。こんなに素敵な人を今から魔窟に招待しなきゃならんのかと思うと、わたしの微笑みは引きつる。
「あの……すみません」
「はい?」
「ほんの、ほんのちょっとだけ、中の様子を見ていいですか?」
わたしの焦り具合からすべてを察したのか、ご住職はハッとした顔をして「どうぞどうぞ!」と言ってくれた。
そろそろと中に入る。
人の出入りがほとんどなかったということは、それだけ、ものが散らばってるわけではないということだ。思ったより綺麗で、お仏壇にも多少埃はかかっているのは申し訳ないが、さっと払えばなんとか大丈夫そうだ。
「大丈夫でした、どうぞ」
先遣隊の「大丈夫でした」ほど、薄ら恐ろしい言葉はない気はするのだが。ホラーでいうところの完全なフリである。
ご住職は慣れた様子で草履を脱ぎ、カバンからいろいろな道具を取り出されていく。
わたしもわたしで、なにもノー準備でここへ来たわけではない。
ちゃんと「お性根抜き 流れ」で調べてきた。お布施の相場も、知人の僧侶にちゃんとたずね、字のきれいな母に封筒の文字を書いてもらって用意した。
お茶出しもこのご時世だし、ミニサイズのペットボトル緑茶を用意した。
はっ。
準備が終わったご住職を見る。
座布団が……ない……。
ご住職を畳へ直に座らせるわけにはいかない。そそくさと席を立ち、ふすまに手をかけた。確かここに座布団があったはず。
……くっさ!カビくっさ!
十年の長屋の酸いも甘いも、微生物的な意味で凝縮した香りの爆弾が鼻腔を殴ってきた。即座にわかる。ここにいた座布団たちはもう息耐えている。かつて健脚だった祖母が仕掛けたであろうボロボロの「ネズミホイホイ」が足元に置いてあるのを見て、黙ってふすまを閉じた。
どうしよう。
ご住職もなんとなく、座れなさそうにしている。そりゃそうだ、座布団がないのだから。座標がないのと同じである。座布団は座標なのだ。ご住職を定位置に誘導する、座標。
ふと目についたのは、いつか孫ライフを満喫していたわたしが、近鉄百貨店の催事のくじ引きでゲットしたこれだった。
一応、ふわふわの綿が詰まった、クッションである。
スライムだけど。
スライムナイトの下にいるスライムだけど。
「これしかないんですけど……」
わたしがスライムナイトの下にいるスライムを抱えて持っていくと、さらにご住職は察したのか、なにも答えず、その場に座った。
「それでは始めさせていただきます」
ご住職の膝下には、祖母がゴワゴワの毛糸で編んだ、なんかナイロンたわしのめちゃくちゃでかいやつみたいな座布団カバーが敷いてあった。たしかに、そっちの方が自然だ。スライムモンク(僧侶)にしてしまうよりは。
「……お線香はどちらに?」
「えっ、お線香?」
「はい、お線香」
驚愕した。
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