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ぐちゃぐちゃのお子様ランチ(姉のはなむけ日記/第9話)

近隣住民の人に、管理責任者である中谷のとっつぁんが早速、話を聞きに行ってくれた。

「車、いつ乗れるんかなあ」

そんな緊迫した状況はつゆ知らず、弟は別府の温泉でホクホクになっていたのだった。

ポペンッ。

スマホの通知が鳴る。中谷のとっつぁんからだった。障害者は気持ち悪い、という言葉が蘇ってボディーブローをくらったような心地になったわたしは、スマホを触るまで一度えずいた。グエェ。

「事情を聞いてきて、まあ、ひとまず、反対されている理由がわかりました」


中谷のとっつぁんが教えてくれたことには。

なんと、障害のある人が、先にあちらのご自宅を訪れていたというのだ。

わたしはてっきり、会ったこともない入居者たちに「気持ち悪い」とイチャモンをつけているんだと思っていたので、びっくりした。

グループホームは、入居を希望する人のために、見学の時間を設けている。

弟が中谷さんと初めて会う、少し前。

その日も、一人の見学者がいた。

見学はご家族やケアマネージャーなどが付き添うことがほとんどだが、どうしてか、彼はひとりで見学にやってきたそうだ。知的障害はあるが、落ち着いていて、わたしの弟よりは話すのが上手だし、電車やバスにも乗れるらしい。

そして、彼は道に迷った。

グループホームの見た目はフツーの一軒家だし、あのへんは住宅街だから、見分けがつかなかったんだろう。

“ここだ”と思う家をようやく見つけて、彼はチャイムを鳴らした。

そこはグループホームじゃなかった。

「どちらさまですか」

カメラ付きのインターフォンから、家主の声がする。

「ぼくが住む家を見にきました」

「……はっ?」

「ぼくが、住む家を、見にきました」

おそらくはこんなやりとりがあったんだろう。

留守を預かっていたのは女性で、部屋には小さな子どももいた。そして、近くにグループホームができることを知らなかった。

「ぼくが、住む家を、見にきました」

静まり返るインターフォンに向かって、できるだけ丁寧に、はっきりと、彼は繰り返したんだろう。よかれと思って。

グループホームを探してると。そこの見学にやってきたのだと。

しかし、彼はそれ以上の誠意ある説明を、うまく言葉にすることができなかった。

それからどういうやり取りがあったか詳しくはわからないが、彼はその家を追い返され、自力でグループホームにたどりついた。

一人で見学へ来たことに中谷のとっつぁんは驚いたが、しっかりしているように見えるし、とにかく無事でよかったと思い、あっさり出迎えたそうだ。

彼も、迷子になったことは伝えなかった。伝えられなかったのかも。

見学は終わったが、間違ってインターフォンを押された家に、出かけていた当主が帰ってきて。

かくかくしかじかで恐ろしいことがあった、と家族から聞き、怒り心頭でグループホームに反対の申し入れをしたのだ。


中谷のとっつぁんが、わたしに言った。

「ごめんなさい。わたしたちもそんなことがあったなんて知らなくて、謝りました。けど、やっぱり気持ちが収まらないみたいで」

泣きそうな声だった。

「考えてみてくださいよ!たったひとりの知的障害がある人が、間違えてしまって、うまく話せなかっただけのこと。それなのにあんまりじゃないですか」


ちがうよ、とっつぁん。

わたしは、喉まで出かかった。


怖かったんだよ。

インターフォンに出た人は。

大切な家族を置いて、留守にしていた人は。


障害者は気持ち悪いとか。バーベキューのときにジロジロと見てくるとか。子どもによくない影響があるとか。

そういう、一段、二段、すっ飛ばしたような想像をして、強い言葉を使って、全力で怒りをぶちまけるくらいには。

グループホームなんていらないって、願っちゃうくらいには。

怖かったんだよ。本当に。



わたしも、あの時、すごく怖かったんだよ。


忘れるっていう才能があるから、忘れてたんだけどね。もうどうしようもないのに、思い出すと今でも傷ついてしまう記憶なので。


わたしがまだ、幼稚園に通っていたときのことだ。

月に一回くらいのペースで、母は近所のママ友たちと一緒にランチをしていた。同年代の子どもたちもいるので、ファミリーレストランで。

ファミリーレストランといったらもう、楽園だった。お子様ランチに、やっすいオモチャに、ドリンクバー。この日が来るのを指折り数えて待っていた。

大きなテーブルをふたつくっつけて。

片方にはママたち、片方には子どもたちが座った。

その日も、運ばれてきたお子様ランチに、舌なめずりをしながらフォークを突き刺すところだった。

「キャアッ!」

入り口の方で、誰かが甲高く叫ぶ。

なにごとかと思う間もなく、わたしの前髪が、つむじ風にでもさらされたみたいにぶわっと浮いた。

目を開けると、そこには、男の人がいた。

ガツガツと、わたしのお子様ランチを、手づかみで食べていた。

ガシャンとテーブルの上から転げ落ちたコップが割れる。水がこぼれてスカートが濡れる。わたしの両隣にいた子たちは、いつの間にかいなくなっていた。

わたしだけが固まっていた。

男の人はわたしを見ない。大人が叫んでいるが、構わず、一分一秒でも惜しいのかというほどにハンバーグをむさぼっている。

たぶん、たった数秒程度のことだったと思うけど。

テーブルの一番奥にいた母が、ようやくわたしの腕を引っ張って抱きとめるまで、わたしは数時間のことのように感じていた。これは確信がある。だって、そのあと何年も、夢に見たから。

「あっ、いたぞ!こっち、こっち!」

入り口から、ドタドタと男の人たちが入ってきた。わたしたちのテーブルへ駆けつけて、手と口の周りがベタベタになっている彼を、羽交い締めにする。

「イヤダーッ!イヤダ!アアアアアアッ!」

叫びながら、彼は外へ連れて行かれた。男の人たちは、店員さんや母たちに、何度も頭をさげていた。

彼は、すぐ近くの障害者施設から、逃げ出してきた人だったのだ。

めちゃめちゃになった店内は急に静かになった。


母の腕のなかで、わたしは、おしっこをチビりそうなほど泣いた。

「こわかった……なんなん……なんであんなんするん、こわかった……」

「うん、うん、怖かったな。もう大丈夫やで、大丈夫やから」

「なみちゃんのごはん、たべられた」

「新しいのあるで」

「いやや、もういらん。こわい!なんでなん、なんでなん、へんな人や」

「さっきの人はな、障害があるねん。ほんまは怖くないよ」

「こわい!いやや!あんなん、いやや!障害者なんてきらい!もう、家かえる!」

わんわん泣きわめいていたので、お店の人か施設の人のはからいで新しく出てきたお子様ランチにも手をつけず、わたしは帰った。

それから二度と、そのファミリーレストランには行けなかった。


思い出すのは。

わたしが「こわい」「いやや」「障害者なんてきらい」と連呼するたび、わたしを抱きしめていた母と。

母の隣で、なにが起きたかもわからずボケーッとキッズチェアに座っている、弟の姿だった。


弟に生まれつき障害があるとわたしが知ったのは、それから三年後のことだった。


あのとき、母は。

「あの人も、よっぽどここのご飯が食べたかったんやろうな」

と、つぶやいた母は。

どんな顔をしていたんだろう。どんな思いでいたんだろう。

「奈美ちゃんは、奈美ちゃんが幸せなように生きるんやで。弟のことがイヤになったら、無理して一緒におらんでええねん。奈美ちゃんが幸せなこと。それがママとパパの願いやから、覚えといてな」

どんな痛みを隠しながら、母はわたしに言ったんだろう。

因果は、巡る。


あのときわたしが放った言葉が、いま、わたしに突き刺さっている。



母に抱きついて泣くわたしと、怒る住民のだれかが、重なりあう。わたしは説得する言葉を持ち合わせていなかった。

中谷のとっつぁんには

「ああ……でも、そういう事情なら……なるほど……はい……」

と、気が抜けた返事しかできなかった。

結局、グループホームと反対する近隣住民の方々は、一切かかわらないようにすること。障害者が間違ってインターフォンを鳴らすことなど絶対ないように取り計らうこと。

どうやらそれが交渉のゴールになるようだった。

具体的な話は、中谷のとっつぁんがまた、話し合いに行ってくれるということで、電話は終わった。


昨日、車を運転する母に、思いきって打ち明けた。

あのファミリーレストランで、わたしがお子様ランチを食べられたときのことを。障害者が怖いというわたしに、なにを思ったのかを。

母はボルボを運転し、新神戸トンネルに入る。ちょうどラジオが雑音にかき消えて、入らなくなった。


「いや、怖いわな。そりゃ」


母はあっさり言った。

「大人はさ、障害のことも、施設の事情も、わかるもん。よう見てたら、ご飯食べたいだけやってわかるし。けど、子どもはかわいそうやわ。あんなん怖いに決まってる」

弟は、人一倍、他人に気をつかう。

あいさつは必ずするけど控えめだし、ちょっと大げさなんじゃないのってくらいマナーを守るし、行列に並ぶとなんか知らんけど後ろの人に順番を譲る。譲るな。

優しいやっちゃな、と感心したり妬んだりしていたけど、弟がそんな具合に育ったのは、母の塩梅なのだ。

どうかきみは、誰かを怖がらせないように。どうかきみは、誰かを喜ばせるように。どうかきみは、誰かに愛されるように。

母は、親がかける祝いと呪いの葛藤に心を痛めながら、きっと、祈りをこめて。

新神戸トンネルを抜けるころ、母が付け足した。

「あんなに怖がって、傷ついて、奈美ちゃんはかわいそうやった」

怖かった。本当に。ずっと覚えてる。覚えすぎて忘れてる。

「でも、子どもを怖がらせてしまったあのお兄さんも……傷ついてるんかなあ」



話は戻る。

中谷さんとの電話を終えて、のそのそと別府のホテルを出発する準備をしていたわたしは、悩んでいた。

弟をあの地域のグループホームに通わせて、いいんだろうか。

そういう方向で話を進めてきちゃったし、別府まで来ちゃったし、車だって買う約束しちゃったし。ここまで走り続けていたけれど。

中谷のとっつぁんが必死のパッチでグループホームを立ち上げた気持ちは、すごくわかる。

ここでグループホームの入居を取り消せば、次の空きはもう何年も回ってこないかもしれない。

とはいえ。

弟こそ、誰かをむやみに傷つけることを、一番いやがる人間なのだ。

「あー、なんかほんまに、どうもすいませんっ」という、弟が頭をかきながらペコペコと頭をさげる、くたびれたサラリーマンみたいなフレーズが頭から離れない。

弟はあの地域で暮らす以上、ピリピリした不穏な空気に、謝り続けてしまうんじゃないか。

もちろん、暮らしているうちに馴染んで、いつのまにか歓迎されるという希望の展開は残されているのだが。


わたしは飽きっぽい人間だった。

アルバイトはすぐ辞めてしまって、20歳までに経験した業種は軽く両手の指をこえる。わたしは理不尽なことがあったら「もうよろしいわ!」と啖呵を切って出ていけるクズだけど、弟は傷ついても、耐えるだろう。

さあ、どうしようか。

ここまでの旅が白紙に戻るかもしれない、という気配を微塵も感じ取らない弟は

「いくでー、ほないくでー」

リュックサックを背負って、別府の街を練り歩く気満々だった。今日は一日、弟が行きたい場所に行く日なのだ。


しっかりと目指していたはずの家族の幸せが、途端にぼやけはじめた。



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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。