家を出るダウン症の弟にはなむけをしたら、えらいことになった(総集編)
ゾッとした。
この二年間で、ばあちゃんは認知症になって施設で暮らしはじめ、車いすに乗っている母は心内膜炎で死にかけ、わたしは会社をやめて作家業についた。
ダウン症で4歳下の弟だけは、実家で暮らし、福祉作業所へ通って手仕事をし、マイペースを貫いていた。
ふと立ち止まって、ゾッとしたのは。
この先、わたしや母の身になにかあれば、弟がひとりぼっちになるということ。
わたしですら、ばあちゃんの介護がはじまったとき、役所で福祉の手続きをしたらあまりに面倒でややこしく、泡吹いて倒れそうになったのだ。
障害があってうまく話せない弟は、ちゃんと頼れるんだろうか。
いざというときに頼れる先は、多いほうがいい。弟は26歳。いい人間関係ををつくるには時間がいるので、早いほうがいい。
グループホームという場所がある。障害のある人たちが一軒家をシェアして、職員さんに手伝ってもらいながら、力をあわせて暮らすところだ。
大きな福祉施設や病院とは違って、役割は“家”なので、日中はそれぞれ学校、会社や作業所などで仕事をし、グループホームに帰ってきてからも、買い物や散歩に行ったりして、自由に過ごせる。
自立を目指すのが、グループホームだ。
「ぼく、グループホーム、いきたいます」
おなじ福祉作業所に通う友だちが楽しそうにしているのを見て、弟がうらやましがった。
さみしくなるけど、名案かもしれない。平日は家族がそれぞれ思い思いの場所で過ごして、休日は実家に集まって飯を食う。万が一にそなえて生き残るための、戦略的一家離散というわけだ。
そんで、弟がグループホームに入ろうとしたら。
待てど暮らせど、グループホームの空きがない。
出鼻をくじかれるどころか、スパーリングされている。こんなにも、グループホームの数が足りてないとは。
「空きが出たらしい」と風の噂が流れれば、その風に乗って母がハヤブサのごとく現場へ飛翔するが、すぐに埋まってしまう。ハヤブサたちの羽は、いつも涙で濡れている。
5年待ち、10年待ちは当たり前とのことだった。
高齢者施設の空き待ちよりも全然長い。
「いつになったら入れるんやろか……」
それまでうちら、無事に元気で生きてられるんやろか。不安が募りはじめていたが、なんと、今年の4月。
同じ区に、グループホームが新しく作られることになった。
見学してみると、中は広くてキレイで、なにより職員さんたちの人柄があたたかかった。ガワが良くても、ヒトが冷たいところは、とてもつらい。
わたしが付き合う彼氏の“詐欺” “浮気” “狂気”を、すぐ見抜くという目利きの弟も、ココをたいそう気に入った。
ここや、もう、ここしかない。
一番乗りで申し込んだれと思ったら。
交通アクセスが悪かった。
ニュータウンであるがゆえに、電車が通ってない。バスは本数が少ない。ここからじゃ、弟の福祉作業所に通えない。
わざわざこんなところに作らんでもええがなと嘆いたが、この場所しか借りられなかったと知って驚いた。
「こういう施設だと、土地や物件を貸してくれる人は少なくて……」
グループホームの責任者の中谷さんが、悲しそうな顔で言う。不動産屋さんで何度も断られて、悔しかっただろう。
「見学には何人も来てくれるんですが、アクセスのせいであきらめて帰られちゃうんです」
「送迎とかはしてもらえないんでしょうか?」
「車と運転手を雇う余裕がなくて」
グループホームの経営は、ギリギリでやっているところも多い。車は助成もあるが、審査に一年かかって、半分は落ちてしまう。
沈黙。
ちらり、と弟を見た。
「ぼく、ここにします」
グループホームのいちばん広い個室を指さして、目を輝かせていた。こんな顔を次に見られるのは、何年後なんだ。
「わかりました、なんとかします」
「はっ………えっ?」
「車はわたしが用意します。みなさんは運転手を」
あとから聞いたが、中谷さんは冗談だと思っていたらしい。勢いがありすぎて、銀行強盗の打ち合わせみたいな一幕である。逃走車は用意してある。
3冊目の本「傘のさし方がわからない」の印税と貯金の残り、しめて200万円を、車代と運転手代にブッ込むつもりで、己を奮い立たせた。
ちなみにこのノリは一年ぶり二度目だ。
はからずとも、印税が入るたびに全財産で車を買う芸人になってしまった。税務署に目をつけられそうな芸風である。後先を考えないという技能だけが健やかに育っていく。
しかし、これは想像できなかった。
200万円握りしめたとて、車がないのだ。
カモがネギ背負ってるどころか、ル・クルーゼの鍋と鎌田醤油を両手に参上しているようなイージーカモネギ状態でわたしが参上しても、顧客にしてくれない。カモがネギ背負って泣いている。
グループホームのみんなが乗れる7人乗りミニバンが、中古市場にまったく出回ってない。
やっと見つかったら、走行距離が99.1万キロだった。地球25周分。Dr.スランプ アラレちゃんのような世界観である。頼むからもう眠らせたってくれ。
中古がだめならと新車をあたったが、一年から二年待ちといわれた。
軍事侵攻と疾病流行で、いろんなもんが不足しているらしい。
「あわばばば……」
わたしは頭を抱えた。どうしよう。弟はもうウッキウキなのに。
ハッ、そうだ。
ある人にメールを打った。ニッシン自動車工業関西の山本社長だ。母のために、ボルボを手だけで運転できるようにしてくれたゴッドハンド。
夜中だというのに、秒で電話がかかってきた。
「話はわかりました。難しい依頼ですが、やりましょう」
いよいよ銀行強盗感が出てきた。
一週間後、大朗報が舞い込んできた。
「一台だけですが、見つかりました!」
勝どきを上げよ!
山本社長でも大苦戦で、車の仕事をしている友だちをあたってくれたそうだ。ディーラーが手放したくなかった新古車を、その友だちが口説き落とし、確保してくれたという。手口が鮮やかすぎる。
「とりあえずぼくだけで、車の現物を見てきますね」
「どこにあるんですか?」
「別府にあります」
えっ。
「……温泉で有名な、あの」
「その別府です」
どうしてまた、そんなところに。ここは神戸だぞ。わたしが黙っていると、不穏な気配がした。
となりに弟が立っていた。
「おんせん」
「あっ」
「ぼく、おんせん、いいですね」
普段、野暮用があったら、どんだけ呼んだとしても手も耳も貸さないくせに、お前ってやつはこういうときだけ。
わたしは動揺しながら、山本社長に言った。
「なんか、行くみたいです、別府」
山本社長はもっと動揺していた。
母をたずねて三千里ならぬ、車をたずねて四百キロ。新幹線と特急を真顔で乗り継ぎ、やっとたどりついた別府駅で。
山本社長が、待ってくれていた。
となりにいるのが、車を確保してくれたLooPの馬〆社長だ。
「これ食べな」「こっちも食べえ」「食べながら行こう」「あれ買ってくるからちょっと待って」などと、どころからともなく、別府名物をポンポコと繰り出してくれる人だった。
きでたての温泉まんじゅうを15個も食らって。
ついに。
に、日産セレナだ〜〜〜〜!
おどろきの白さと、安心感しかない佇まい。別府の湯けむりが見せる蜃気楼ではないか。
「これは、ここで、おべんとう、いけますねえ」
食いしん坊ばんざい。なんでもできる広さと、なんでもある新しさ。それが日産セレナ ハイウェイスターV 令和二年式。
ただ、やっぱりお値段の方もハイウェイスター級である。
「おいくらですか?」
「ごめんなさい、どんなにがんばっても330万円です……」
突きつけられる現実!
足りない130万円!
セキュリティの甘そうな銀行はどこだ!
「保険代やガソリン代も入れたらさらに上がるので、ここで無理に買わずとも、ひとまずレンタカーという手も」
それが現実的だ。
でも、近所のレンタカー屋に、こんなセレナは置いてなかった。弟が、生まれてはじめてできたルームメイトたちと、セレナのなかでお弁当を食べる光景が、ちらついて離れない。いつそんなもん食べるねん。ないやろ。わかっちゃいるけど。
これがいい。本当はこれを買ってあげたい。
うなりながら迷っていると、グループホームの中谷さんから電話がかかってきた。
地獄を知らせる電話だった。
「実は……近隣住民の方から、グループホームに苦情が出まして」
「苦情!?」
「自分たちの町に障害者が住むなんて気持ち悪いし、トラブルが起きたら怖いから、なんとかしてほしいと」
気持ち悪いって。
あまりの衝撃に、頭が真っ白になる。中谷さんが、あわてて付け加えた。
「苦情はほんの一部の方だけです。ほとんどのみなさんは親切で」
「なんとかしてほしいの、なんとかって?」
グループホームで暮らす人が外から見えないよう塀を立てたり、厳重な鍵のついた門を作ったり、ということらしい。
そりゃ、障害や病気の程度によっては、そういうのが必要な人が住んでいる施設もある。でも、このグループホームはちがう。
親元をはなれて自立したいと望み、みんなで力をあわせて暮らそうという思いのある人が、入居の条件になっている。
弟は、あいさつするのが、好きだ。
「こんいーわー、ますっ」といって、どんな時もペコッとおじぎする。
このあいさつで、コンビニの店長さんたちと仲良くなり、ひとりで買い物ができるようになった。たくさんの人を笑わせて、見守られてきた。
わたしより、よっぽど。
そんな弟だから、塀とか鍵とか見たら、きっとわかってしまうよな。自分がどう思われているかを。ウオェップ。口から胃袋が出そう。しんどい。
「なんかそれって、役所の人に仲裁してもらうとか、できませんか?」
「相談したんですが、片方だけの味方はできないから、話し合いで解決してほしいと」
話し合いで済めば「覚えてらっしゃい、次に会うときは法廷よ」などという捨てゼリフは生まれないのである。
グループホームの設立は、行政から許可を得ているので、もし裁判になったとしても、逆転するまでもなく勝利できる。
「でも裁判になったら、勝っても負けても、敵になりますよね。ここで暮らしていくことを考えると、やっぱりそれはできまへんわ……」
中谷さんは、これから話し合いに行くという。
「わたしも行っていいですか?」
「お姉さんが?」
「あの、ほら、家族がいた方が、説得力もあると思うので」
あと、ほら、わたし一応、テレビとか出させてもらってますし。スッキリで加藤浩次さんの隣りで、賢そうな顔でコメントしてましたし。パラリンピックのときは、櫻井翔さんとね、おしゃべりして、太りましたし。
なんか、あの、ふんだんに威光をギラギラさせますわよ。
「ありがとうございます。でも一旦は、わたしだけで」
断られてしまった。食い下がろうとして、やめた。
電話を切る。
神妙な顔で見守ってくれていた山本社長と馬〆社長に、謝ろうとした。言葉に詰まる。声が出ない。
かわりに、ボタボタボタッと涙がこぼれた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ごめんなさい、ねーえ」
弟が、丸くてぶっとい手で、わたしの肩と背中をさすってくれた。
「って、なんでやねーん」
流れるような動きで、裏手のツッコミも入れてくれた。
ノリツッコミは優しさの証である。障害があって、いろんなことが不器用だけど、気持ち悪くないよ。うまく話せなくても、伝えようとするよ。空気だってモリモリ読むよ。
うちの弟は、ようできた弟なんですよ。
いますぐ、神戸に戻って、説明したかった。けど、ダメだ。
だって、わたしは家族だから。
どんなに熱意を込めて、必死に説明しても「だってそりゃ、アンタは家族だからでしょう」という一言には、呆気なく負けてしまう。
家族の欲目、親の欲目、姉の欲目。
刑事事件でも、家族によるアリバイ証言は信ぴょう性が低いとされるのだ。金田一が言ってた。
家族じゃなかったら、よかった。
わたしが家族じゃなかったら、弟の優しさは、きっと信じてもらえただろう。ごめんな、姉ちゃんはなんも言い返せなくて、なんもしてやれんくて、ほんとにごめん。
チキンマックナゲットの1ピースも、雪見だいふくの片方も、わたしは弟になら迷わず譲れる。そんな弟に、家族じゃなかったら、なんて思ったのは初めてだった。
別府のホテルで、顔を枕へ押しつけ、デロデロに泣いた。バイキングで満腹になった弟は、デベソを月明かりに照らしながら爆睡していた。
きみの家族だから、わたしはこんなにも幸せで、こんなにも悔しい。
翌日、中谷さんが話してくれた。
苦情を言っている人の自宅へ、以前、障害のある人が間違って訪ねてしまったことがあるらしい。
「どちらさまですか?なんの用ですか?」
家主が玄関先で聞いても、障害のある人からの返事はままならず、とても怖い思いをしたそうだ。
ああ、それは、怖かっただろうな。
怒りや悲しみが炸裂するかと思ったが、わたしの中に生まれたのは、意外にも静かな共感だった。
思い出したことがある。
まだわたしが幼稚園生だったとき、レストランに精神障害のある人が飛び込んできた。近くの病院から逃げてきたのだ。彼はわたしのお子さまランチを横取りし、手づかみでワッシャワッシャと食べはじめた。
わたしはチビりそうなほど怯えて、固まっていた。
やがて迎えにきた職員さんたちに彼は連れていかれてしまったが、わたしは母に抱きついて、大泣きした。怖かった。本当に怖かったのだ。
「大丈夫やで、もう大丈夫。怖い人じゃないよ」
母が抱きしめてくれたが、わたしの絶叫は止まらなかった。
「おなかが減ってただけやわ、たぶん」
「そんなん、おかしい。こわい、もういやや、こわい」
母がなぜ、困った顔で彼をかばうのか、わからなかった。弟に障害があると知ったのは、それから3年後だ。
かつてわたしが叫んだ言葉が、いま、わたしに突き刺さっている。
別府から戻った日、母に当時のことを聞いてみたら、しっかり覚えていた。
「あんなん大人でも怖いって思うわ、しゃーない」
でも、と、母は続ける。
「奈美ちゃんを怖がらせてしまったあのお兄さんも、傷ついてたんかもしれへんよなあ……」
真相はわからない。ただ、これだけは言える。
知らない相手のことは誰だって怖い。怯えて、傷ついて、ちょっとわかったり、わからなかったり、許したり、離れたり。
結局はゆっくりと時間をかけて、知ってもらうしかないのだ。どう転んだとしても。
セレナを買うかどうかは、しばらく待ってもらうことになった。
ゴタゴタが落ち着くまで預かってくれるらしい。頭を下げるわたしに、山本社長が言った。
「障害があるっていうだけで、そんなん言われて、ほんまにいやになりますよね」
障害のある人のために車を改造している山本社長は、何度も心ない逆風にさらされている。
「でもね、岸田さん。人間が作った理不尽なら、人間は解決できます。しんどいけど、あきらめずに話したら、わかってくれることもあります。……まあ、そう信じひんと、やっていけへんのですわ、あはは」
「山本シャチョ〜〜〜……!」
「ぼくらは車のことしかわからへんけど。岸田さんたちが車に乗れるように、なんぼでも応援しますから」
人間だから、別府まできてくれた。人間だから、車を探してくれた。冷たい不合理を打ち破る、暖かい不合理は、いま証明されている。
塀や柵はいったん置いといて、グループホームに看板を立てることになった。障害のある人が間違えないようにするためだ。
ドンッ。
どうぶつの森かと思うほど一瞬で、看板ができた。
Twitterで「いい看板屋さん知りませんか」と聞いたところ、神戸市北区のなかの工芸さんにお願いできることになったのだ。
なかの工芸さんは、家族で切り盛りしてることもあり、拝みたくなるほど親身になってくださった。
「うちもね……数年前、全焼しちゃって。家も工房も、なんもかんも」
穏やかな笑顔で切り出された話がヘビーすぎた。全焼て。
「でも新しく引っ越してきたここ、裏山で山菜が取れるんですよ。それがもう本当に嬉しくて。毎日、ごはんが楽しみったら」
田舎の田園風景にたたずむ、なかの工芸さんの新しい工房。
不幸は大小かまわず突然訪れるのだ。幸福っていうのは、不幸を避けることではなくて。楽しみながら乗り越えられる不幸を、幸福と呼ぶのかもしれない。
看板の絵は、わたしが描いた。
やなことがあっても、お風呂に入って、ご飯を食べて、ぐっすり寝られる、楽しい暮らしでありますように。
しばらくして、近隣住民の方が、看板を見にやってきた。
「なんやこれ!全然あかんやん」
あたり一面に緊張が走った。
やばい。
なにがあかんかったんや。大きさか。こうなったらお金はわたしが払うから、デカくて見栄えするやつを、とヤケクソぶちかましたことか。
いや、亀が笑っとるからか。なにわろてんねん、ボケェ!とかそういうことか。
「この位置やったら、入り口がどこかわかりにくい!もっと真ん中へ寄せにゃ、ここに来る人も困ってまうやろ」
あっ、そっちか。
一同、呆気にとられてしまったが、言ってることはおっしゃるとおりだ。中野工芸のお父さんが、汗ビッチョになりながら、看板をつけ直してくれた。
「それにしても……えらい立派な看板やねえ。びっくりしたわ」
その人は言った。嫌味ではなく、本当に驚いて、感心していた。
看板をつけ終わったあとも、中谷さんとその人は、しばらく話し込んでいた。
「このへんの庭はねえ、雑草がたくさん生えてくるから」
「そうなんですか!」
「アンタらんとこの庭も、人工芝にした方がええよ。見た目もええし、楽やから」
「野菜も育てたいなと思ってるんですが」
「それええやん」
やりとりの一部始終をあとから聞いて、わたしは思った。
その人は、敵ではなく、味方でいたいと思ってくれているのかもしれない。もちろん、不満や心配は、尽きないだろうけど。
グループホームがどうなれば良くなるかを、考えて、アイデアをくれた。
看板を一枚つけただけで、なにかがドラマチックに変わるというわけではないけれど。顔も見たくないと望んだ塀ではなく、同じ看板を見ながら、話す時間だけは生まれたのだ。
時は流れて、9月。
この話を春に書きはじめてから、夏を過ぎ、秋がきてしまった。
その間に弟は体験入居をし、最初は慣れない環境にとまどっていたが、いまではグループホームがお気に入りだ。
土日もそっちにいたいと言い、母の方がガーン!と、さみしがっていた。
3人のルームメイトにも恵まれた。
「きっしゃん」と呼ばれて、毎日野球をしたり、ダンスをしたり、笑い転げているらしい。
そして。
別府からセレナをお迎えした。
ほかのセレナじゃ、だめだと思った。弟と別府までいって、いろんな人と会って、心が折れては持ち直しを繰り返す蜃気楼のなかにいた、このセレナがいいと思った。
「ここで、マクド、行けますね」
運転手さんと仲良くなった弟は、週に一度だけ、一緒にドライブスルーへ行くのが楽しみで仕方がない。
納車の手続きをして、日産から出発すると。
後部座席から、すすり泣きが聞こえた。
弟がしゃくりあげて、本当に泣いていた。
「ど、どうしたん?」
弟は首を横に振っている。そんなに嬉しかったのか。
わたしも、熱い感動が胸にこみ上げてくる。弟の嬉し泣きなんて、初めて見た。
「……しい」
「そうか、そうか。うれしいんか」
「ほしい」
「ん?」
「みんなにも、ほしい」
弟がみんなの名前を順番に口にしていく。それは、弟が通っている福祉作業所の職員さんや、友だちのことだった。
「セレナをもう一台、みんなに買ってほしいってこと?」
弟は首がもげてまうんちゃうかと思うほど、盛大にうなずいた。
まさかの……セレナおかわり泣き……!
さすがの姉も、どう反応していいのかわからない。セレナのおかわりが欲しくて泣いてる人間に対峙したことがない。
「なんでもう一台ほしいん?」
「みんなと、のる」
「みんなと乗って、どこ行くん?」
「マクド」
マクドナルド直通シャトルバス、ご好評に答え、増便!
そんなものを作ろうとしていたとは。ますます、どうしたらいいか。弟の夢が姉の手に余りすぎる。
セレナのおかげで、運転手さんや、グループホームのみんなと一緒に出かけることができて、弟はとても嬉しい。あまりに嬉しいから、グループホームだけじゃなく、福祉作業所のみんなにも、わけてあげたい。
そういう弟の気持ちがあふれ、泣いているのだ。
「良太くん!」
山本社長たちがなかなか出発しない我々を心配し、窓からのぞき込んでいた。
山本社長がうるんだ目で、泣いてる弟の手を強く握った。おかわり泣きだとはとても明かせず、胸が痛かった。
グループホームでは、中谷さんが待ってくれていた。
「こんなにいい車を……」
「いい車でしょう!」
胸を張って言える。いい車なのだ。いい車が、いい人たちに出会い、いい旅をしてやってきた。
これが、わたしのはなむけになった。
はなむけとは、旅立つ人に花束を贈ることが由来と思っていたが、違った。花ではなく、鼻だった。
旅の無事を祈って、その人が乗る馬の鼻を、目的地の方へ向けてやるという古い習慣からきているそうだ。
当時の旅はそれはもう過酷だ。見送る側も、見送られる側も、今生の別れを覚悟していただろう。
泣いてすがりたい気持ちをこらえ、やっとの思いで、馬の鼻を向けてやったのだ。ただ一心に、祈りを込めて。
どこぞの馬ともわからない馬を想像し、目頭が熱くなってきた。
盛り上がってきたところで『土佐日記』を読んでみよう。平安時代に成立した最初の日記文学。令和時代に『note日記』を書く、わたし。
『船旅だから馬を使って行くわけでもないのに、藤原のときざねが馬のはなむけをしてくれた。つまりは送別会の開催だ。身分を問わず、みんなイヤというほど酔っ払って、海辺でふざけ合った』
ギャグだった。
船で行くのに馬のはなむけをされ、挙げ句にどんちゃん騒ぎで終わるという、紀貫之のユーモアが炸裂していた。涙が引っ込んでいく。
けれども、先行きの見えない旅立ち、を愛おしく笑い飛ばした彼の気持ちが、いまなら少しわかる。
行きたいところへ、行ったらいい。
乗せたい人を、乗せたらいい。
ふざけたかったら、ふざけたらいい。
なんなら芋を焼いて、窓から売ったっていい。
グループホームのみんなで。その光景をわたしは、見れない。それがすこし寂しくて、かなり嬉しい。あとからもったいぶって、弟の口から、笑い話を聞かせてほしい。
心待ちにしながら、わたしとセレナは鼻を向ける。愛しい、家族の旅路へ。
最後に
車、運転手、ガソリン、保険、看板、グループホームの家具や家電、別府までの旅費などを含めて、計475万円もかかってしまいました。ズコーン。
途中から「あかん、これはもネタにして、笑いながら助けてもらお」と思い立ち、noteマガジン(月1,000円)で書きはじめてからは、購読してくださったみなさんに助けられました。
本当にありがとうございました。
わたしにはみなさんがいたから無謀なパワープレイでなんとかなったんですが、今もどこかに、同じ“ままならなさ”を抱えて、なんともならずに泣いて、諦めている家族がいます。
できることは、ちょっとずつ、わたしもやっていきたいと思います。みなさんからいただいた優しさを、またどこかの誰かに、返してゆきます。
連載期間中、キナリ★マガジンを購読して応援してくださった読者さんのうち、希望してくださった人に『姉のはなむけ日記』を一冊にまとめた書籍を無料でお送りしました。みなさんのお名前も掲載しました。お礼の品なので非売品です。