無知なるコメンテーターの存在意義
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ニュースのコメンテーターなるものをさせてもらってから、1年と7ヶ月が経った。
最初はスマホで視聴できるAbema TV「けやきヒルズ」で、そこからいきなり全国地上波に飛んで日本テレビ「スッキリ」に。
専門家でもなく、視聴率を持つタレントでもなく、芸能レポーターでもなく、神戸で一番しょうもないことを神戸で一番大げさに書いているわたしが、なぜにお茶の間でニュースにコメントをするのか、てんでわからない。
はじめて「スッキリ」に出演したとき、とにかく一言で会話のパスをつなげることだけに集中した。
自分なりのコメンテーター像を探していけばいいやと思ったけど、いま現在もなお、わたしの視界ではなんの像も結ばれていない。象すらも出てこない。ぴえん超えてぱおん。
いいことを言わなきゃ。
でも誰かが傷つくことは言っちゃだめだ。
バカだと思われてもいけない。
自分らしく。
自分らしくってなんだ?
100文字で済むことを2000文字に希釈して早口で書く、ネット弁慶界の義経が、どうやってテレビで自分らしくいられるんだ。
これはわたしという個体のバグだが、そうやって思い悩んだり、緊張したりするほど、なぜかニタニタと笑ってしまう。ついでに両手はバタバタと動いてしまう。
真面目なニュースで顔を引き締めていても、喋っている途中で、ニタニタとバタバタ。完全に無意識。
『ニヤニヤするコメンテーターが不快だと話題に!酔っ払ってんのか? と苦情の声多数』
みたいなネットニュースまで上がってしまった。酔っ払ってない。むしろ酔っ払った方が筋肉が弛緩してまだマシになるかもしれん。
詳しくもないニュースに、わたしのようなコメンテーターがわざわざコメントする意味って、あるんかい。
それをずっと探しているのだけど、ついに先日「無知なコメンテーターなんか、いない方が全然いいじゃん!」と思う出来事があった。
2021年9月24日、「スッキリ」に出演したときのことだ。
その日のトップニュースは、とにかくつらかった。
3歳の男の子が、シングルマザーである母親の交際相手から虐待を受け、亡くなってしまったという事件。交際相手は逮捕され、以前から報告を受けていた市の相談所の対応は適切だったのかを問うタイミングだった。
このときの世間の反応は、わたしが資料やネットを見ていた限りでは
「あってはならない痛ましい事件だ」「男の子がかわいそうだ」という憤りと悼みの声がもちろん一番多かった。わたしも同じだった。
ともにコメンテーターとして出演されていた土屋アンナさんも、ご自身も母親の立場であることから、涙で言葉を詰まらせていた。
次いで多かったのは、こんな声だったと思う。
「お母さんはなにをしていたのか」「育児よりも恋愛をとったのか」と、母親を批難する声。
「児童相談所がもっと早く動いていれば」「担当者はちゃんと仕事してくれ」と、相談所の対応を訝る声。
ちなみにこのとき、母親と市への事情聴取は続いていた。速報で出てきた断片的なニュースや発言から、事件の成り行きについてみんなで憶測するしかない。
わたしの脳裏に浮かぶのは、仕事を一緒にしたり、イベントに来てくれたりして、出会えたりした人たちの姿だった。
一人で子どもを育てていたお母さんがいた。元夫さんの暴力がフラッシュバックするつらい日々に寄り添い、支えてくれたパートナーがいて、子どもも成人し祝福してくれたから籍を入れると報告してくれた。
児童相談所ではないけど、祖母や弟のことでずっと相談に乗ってくれていた役所の職員さんがいた。彼女は、なんとか力になりたいんだと、いつも足も心も動かして語り続け、道しるべを作ってくれた。
あの人たちは、このニュースと世の中の声を聴いて、泣いていないだろうか。張っていた気力の糸が、プツンと切れていないだろうか。
「シングルマザーに恋人がいたら、こうやって“子どものことを考えず、虐待をする親”だと思われてるんじゃないか」
「どんなに理不尽なことを利用者から言われても、助けたい一心で仕事をしていたけど、結局お役所仕事はダメだと思われてるんじゃないか」
ニュースへのコメントは、祝いにもなるし、呪いにもなる。
この場合は呪いだ。思い込みという呪いが、誰かを頼ろう、どこかに相談しよう、という気持ちを罪悪感という漬物石で押しつぶしていく。
その呪いを祓いたかった。
もしかしたら、この事件で亡くなった男の子のお母さんだって、暴力を受けていたかもしれない。怖くて助けられなかったのかもしれない。
そう思って、わたしは、コメントをした。
具体的には覚えていないけど、
「このニュースを見た、いままさに子育てに悩む親御さんや、市の相談所で働く皆さんが『そうせ自分たちもそう思われるんだ』『相談しても無駄だ』とどうか思わないでください」
「まだなにもわからないので、お母さんや相談所を責めるのはよくない」
という趣旨を伝えたと思う。うまく言えていなかったはずだけど。
たぶん、事件のお母さんを、かばうような発言にも聞こえた。
本当の趣旨は違うけど、朝のニュース番組を、支度や家事をしながら見ている人たちは『まだなにもわからないので』などのこまかい枕詞までは、ちゃんと聞き取れないと思う。
そして、そのことをわたしはいま、猛烈に後悔している。
10月27日、新しいニュースが出た。
そのお母さんが逮捕された。
虐待を放置したり、笑って加担していた証拠が発見され、お母さんは「逮捕されても納得です」と容疑を認めた。
コメンテーターなんか、いらんやん。
いろいろな情緒をぶっ飛ばして、そう思った。犯罪心理の専門家、育児ケアの専門家、事情を詳しく知る関係者なら、どんどんコメントしてほしい。だって、真実を知りたいから。
でもわたしみたいな外野が、編集されたニュースを見て、自分のお気持ちをどうこう、憶測をどうこう。それで盛り上がったり。根掘り葉掘り、深掘ったり。視聴者が一喜一憂して、共感というふわっとしたなにかを正義にして。
そんで、ふたを開けてみれば真実はまるで違ったりするのである。
わたしなど、お母さんが逮捕されるようなことをしていたと知らずに、お母さんをかばう発言をしていた。
お母さんを裁くのは法であって、わたしではないので、お母さんをこの場でボコボコに批難しようとは思わないけど、当時のコメントで「そうだ!」と流された人がいるかもしれない。真実とは異なる以上、それが、誰かを傷つけていたかもしれない。
今日になっても、わたしがあの日伝えたことを、いまも覚えている人なんて誰もいなくて。咎められることも、修正されることもなくて。
そんなコメントがこの世で繰り返されることに一体、なんの意味が。
コメンテーターなんか、いらんやん。
(二度目)
わたしの母は、むかしから口をすっぱくしてこう言う。
「ええか。家族と恋愛とお金のことはな、人それぞれ常識も正義も違うから、首を突っ込んだらあかん」
山崎まさよしの『セロリ』からユーモアをなくし、スケールをでかくしたような教訓だが、これは本当にそのとおりである。
そんな結婚やめときなよ、親なんだから大切にしなよ、お金はそんなことに使わない方がいいよ。人はみな優しいので、よかれと思ってお節介したがるものだが、正義は想像もできないほど多様なのだ。
家族、恋愛、お金の問題が全部盛りになった「眞子さま・小室圭さん結婚」ニュースにコメントしてくれと頼まれたときは、頭を抱えてしまった。
首を突っ込んだらあかんって、あれほど。
なにをやっとるんや、わたしは。
思いつめて、知り合いのテレビプロデューサーに打ち明けたら、
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