背負わない新聞の季節
「しんどひい」
月曜日、母から電話があった。
2週間前からお腹の痛みをうったえ、先週、病院にかかったら「初期の胆嚢結石っぽいので、痛みが自然になくなるまで待ちましょう」といわれていた、母だ。
ちょっと良くなったり、ちょっと悪くなったりしながら、家にいた母だけど、わたしは知ってる。
「しんどひい」とだけ母が言うときは、マジでもうしんどいのだ。いつもは、どうでもええことをペラッペラと話し続けるので。5文字だけを絞り出すときは、いよいよやで。
京都から神戸の実家に帰り、ベッドに横たわる母の顔を見る。
えっ。
「黄色ォッッッッ!」
母の顔が黄色かった。黄色いってか、なんていうか、山吹色かな。紅葉が色づくこの季節、わが母も、グッと秋めいて参りました。
「そんなに黄色い?」
「黄色いで。ほら見て」
スマホで自撮りをして、渡した。
母はゼェゼェしながら笑って
「蜜柑みたいやな……今日から蜜柑ちゃんって呼んで……かわいい名前にあこがれててん……」
椎名林檎からの岸田蜜柑。言うてる場合ではない。
主治医に電話で相談をしてみたら、病院の救急受付にくるようにと。
「入院の準備、していく?」
「いやあ、だって、一週間前は大丈夫って言われてたし」
黄色い顔してゼェゼェ言うとるのに、この余裕は一体なんなのか。入院を信じたくないがゆえの強がりかも。さては、考えないようにしてるのか。
「待って!ぶどう、ぶどう食べたい」
するすると、母が台所へ出かけていった。
テーブルの上には蜜柑と柚子があれど、母は手をつけなかった。
ふと、日曜に写真家の幡野広志さんから、撮影について教えてもらったことを思い出した。そうだ、補色だ。正反対同士の色。
モキュモキュと紫色のぶどうを食べる母を眺めながら、黄色の補色は紫色だったなあ、と感心した。
タクシーで病院についてからも
「あっ、シャインマスカットもあったんや。明日の朝ごはんにしよ」
ふらっとコンビニへ行って、ひょこっと帰ってくるみたいなノリで、病院に入っていく母。自分で車いすをこいでみたりしちゃったりなんかして。
一時間後、先生がおっしゃるには。
「結論から言いますと、すぐに手術なので、緊急で入院してください」
そんな気はしていた。
入院と聞いてから、ガーン!となって、ションボリなってる母と、説明を受けた。
『総胆管結石』という診断だった。
もともと胆嚢にできた結石が、胆嚢を元気に飛び出し、サヨナラバイバイするかと思えば、肝臓につながる細い管で通れなくなり、立ち往生しているのである。
な、な、なんという、愚かで無計画な石!
でも、友人の仁科勝介くんも、日本一周の旅をしようと原付で出発した直後、盛大にスベッて骨を折り、さんざん落ち込んだと泣いていた。
石も石で、旅の出鼻をくじかれて、落ち込んでるのかもしれない。
ふつうの結石とは違い、肝臓、胆嚢、膵臓の3つの臓器の合流地点を見事にふさいでしまっているのが、厄介だ。
大山崎JCTのど真ん中で横たわるトトロかカビゴンを想像しよう。名神高速、京滋バイパス、京都縦貫道、どこへも行けない。シンプルにむちゃくちゃ迷惑。起きろ。
「しかもこの結石、すごく大きいんですよ……」
「そんなに?」
「一年にひとり、いるかいないかのサイズです」
モノクロのCT画像には、巨大な玉が映っていた。ギャグ漫画のようだ。
ものめずらしいようで、何人かほかの医師が、CT画像を見物に立ち寄っていた。息も絶え絶えな母も、これにはちょっと得意げである。
そんなに大きいのか。血がさわぐ。宝石商ならぬ、胆石商として、ここは一山当てるべきだろうか。でかいよ、でかいよ!ネックレスにどうだい!
「一度の手術では取りきれないと思うので、何度かにわけます」
ちょっと泣ける写真のように見えて、これは「手ェ、黄色いなあ」「黄色いねえ」と言い合いながら残した写真だ。
大動脈解離、心内膜炎と、どちらも“8割の確率で手術中に死ぬ”といわれてきた母なので、術後の重症化が0.5割と言われても、動じなかった。
そんなことよりも。
「ぶどう、もっと食べとけばよかった」
長い絶食に落ち込んでいた。ぶどう、ぶどう、とうわ言のようにつぶやく母がかわいそうになったので、わたしはスマホを手にした。
「今週はな、ゼロから再スタートする儀式があるって、しいたけ占いも言うてるわ。結石をゼロにするって意味やと思う。そしたらあとはもう、ええことばっかりや」
「しいたけ占いは、すごいなあ……!」
しいたけ占いは、すごいよ。
母を病院に残し、ひとりでタクシーに乗った。
入院の荷物を取りに行くためだ。
下着、タオル、歯ブラシ、薬、割り箸。絶食の母に割り箸を渡すのはいかがなもんか。豆を箸で延々と移すトレーニングぐらいにしか使えなくないか。看護師さんから渡された紙に書かれているから、そろえるしかない。
明日にもう一度、入院手続きで戻ってこないと。梅吉がペットホテルから戻ってくる前にせなあかんから、朝やな。あっ、土曜は母と結婚式に参列するんやった、はやいとこ言うとかんと。ドレスが京都にあるわ。日曜の文学フリマはキャンセルやな、呼び出されるかもしれへんし、東京出張もやめとこ。せや、ドンキで降りて、歯ブラシセット買お。
タクシーの中で、先々の予定がぐるぐるする。困り果てているわけではない、なにもかもがスピーディーで、シャープなのだ。
わたしの頭が、無敵のスパコン状態!
ハッ、とした。
あかん。
この、張り切っちゃう感じは、あかん!
なんでもやれるような気がしてしまうのだが、なんでもやってはいけないのだ。なぜならこれは、瞬間的な使命感で燃えてるだけなんよ。
二年前、母が心内膜炎にかかったとき、わたしは燃えた。
母の見舞いに、祖母の介護認定に、祖父の葬式に、仕事に、鳩退治に、もうなんでもやった。ありえない馬力が出ていた。
網に絡まった鳩、素手で触ってたし。
「しんどさ」はなかった。弱ってる家族の役に立てて嬉しかったし、停滞していた問題がグイグイ解決していくのは、気持ちよかった。
誰に頼まれたわけでもないけど、元気だからやっちゃお〜〜!
そのノリで走り抜き、母が退院したあと、2ヶ月ぐらい撃沈した。朝も夜もボーッとし、いつになく忘れっぽくなり、その時期に買ったLightningケーブルは無駄に5本ある。
あの元気さはたぶん、火事場の馬鹿力的なやつだ。いてもたってもいられず、体の奥底からわきあがるけど、実際は元気を前借りしてるだけ。
元気の借金苦に陥っては、元気で首が回らなくなっては、いかんのだ。
一年ぶり4度目の甲子園出場……じゃない、身内の手術で、学んだぞ。こういうのは、いかに“背負わないか”が大切ということを。
背負ったらあかん。その子泣きじじいみたいに背中にへばりついてる使命感を、今すぐ加古川に投げ捨てろ。
ということで、あんまり先のことは考えず、出張や移動はできるだけキャンセルし、お昼寝の時間を用意し、誰かに頼んでどうにかなることは、最初から泣きを入れてガッツリ頼むことにした。
先のことは考えないっていうのは難しいんだけど
「手術の経過がよくなくて、再手術になったら、いつまで入院するんだろう……来週の出張は行けるかな……?」
と悩んでると、頭がスパコン状態で、終わりのない演算をギュルンギュルンに続けてしまう。頭がつかれる。
「いまやることは、入院の手続きと、買い物。2週間先までは思い切って、全部の出張をキャンセル。それ以外のことは明日でいいから、なーんも考えずに寝る!」
こういう感じ。
もしかしたら行けるかもしれない仕事の出張を、賭けに出ず、スパッと諦めてしまうのは、楽しみにしてくれてた人には本当に申し訳ない。
「行けるかな、行けないかな、迷惑かけたらどうしよう」
これをずっと演算したまま動いてると、心身がオーバーヒートするので、平謝りして、諦めることにしました。
11月20日(日)の文学フリマ東京は、出展をとりやめます。ごめんね。
でもこうしてたら、またすぐ会えるように、喜んでもらえるように、日を改めて動けるので。すこし待っててね。スパコン冷やします。
いちばん痛くてしんどいのは、わたしじゃないけどね。
やらなきゃいけないことを、超速でギュッと減らしまくったけど、やっぱりなにかを書いているときは落ち着くので、マイペ〜スを保つために、noteはいつも以上に書いていこうと思う。
昨年の「もうあかんわ日記」のときみたいに、しんどかったり、もうあかんかったり、そういうデッカいことは書かないはず。あんなのもう書けないし。
母はご飯も食べられず、感染症対策で面会もできず、テレビを見ようとしてもジワジワとお金がかかり、何週間か「ヒマや、ヒマや」と言い続けては、メソメソすると思うので。
母が読んだらちょっと笑えるような、その日に水揚げしたばかりのしょうもないことをnoteで書くのがよさそうなので、そうする。
家庭内学級新聞みたいなやつね。学級新聞なら背負わずにやれそうだからね。よかったらみなさんも、お付き合いください。
ちょうど、手術がはじまったころに書きはじめたら、いま、手術が終わったという報告があった。どうよ、このタイムリーっぷり。
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