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結婚式には呼ばれないけど、葬式には呼ばれるくらいの関係

「えっ、子どもいるんだ!何人?二人?何歳と何歳?三歳と四歳か……うんうん、わかるよ、一歳差で二人は大変だよね。でもさ、どうせ二人産むんだったら、子育ては一気にやった方がいいよ!いろいろ感覚も覚えてるし、お下がりも流行りが廃れないままで着回しやすいし!うん!そうそう!絶対に楽だって!」

たまに、知らんママが知らんママにアドバイスしている光景に出くわす。わたしには子どもがおらんので「ふうん、一気に育てた方が楽なんだあ」と、のん気に思っていた。

今なら思う。

感覚を覚えてようがなんだろうが、一気にやったらなんでも普通にしんどいわい。


午前中に河川敷でサッカーの試合に出たあと、区立体育館でセパタクローの試合に出るのと同じである。体力がゴリゴリに二倍削られるのは変わらん。ふたり一気に育てとる人も、っていうか人数に関わらず目を離すとすぐに死んでまう生きものを育てとる人も、それを周りで見守ってる人も、みんなすごい。

なんでそんなことを思ったかと言うと、母方と父方の祖父母の土地をニ件とも一気に売らなければならないという瀬戸際に追い込まれたからである。

前回のnoteに書いたが、

母方のばあちゃんの大阪の土地を売るとなったとき「今はWEBで一括見積もりもできるし、簡単やろ」と余裕ぶっこいたら、23時を軽く回った深夜から7社もの不動産屋からジャンジャン電話がかかってきて、地獄を見た。

見積もりをもらうだけでもゲッソリしたので、こんなもん、一件さらに同時進行したら、いま引き受けている原稿がインフルエンザでうなされている時に見る夢みたいなクオリティになってしまう。

そう、わたしは、最近亡くなった父方のじいちゃんの土地の相続も発生していたのだ。

じいちゃんの土地の前にPTA会議か同人即売会でしか見ない茶色い長机を設置し、そこに座ったまま「はい!買った買った、今なら1m四方で一万円!安いよ安いよ!バラ売りするよ!」と土地を叩き売りできるなら、そうしたい。大学生時代はむしろ即売会出店しか趣味がなかったので、得意中の得意だ。

しかし土地は、同人誌のように売れない。

母方のばあちゃんちの土地の見積もりをもらう時

「ええと、土地に隣接した細い私道の権利もまとめてどうにかしないといけないんですけど、この私道、所有者が11人いて、全国に散らばってるみたいで……全員から承諾を得なければなりません」

と書類を見せられて、卒倒しそうになった。土地、面倒くさすぎるの極み。

このまま見て見ぬふりをしたくなった頃、なんと、棚からぼたもち、二階から目薬、渡りに哲也といった具合に、いい話が舞い込んできた。

「おじいさんの土地については、全部こっちで手続きをしておくから、奈美ちゃんと良太くんは印鑑をついてくれるだけでいいよ」

従兄弟一家の登場だ。

昼下がりの主婦向けに作られるドラマだったらこのあと「この泥棒猫!」「なんですって!お義父様のお世話だってしたことないあんたが今さらえらそうに!」「まあ、浅ましい!岸田家の恥晒しもいいところだわ!」「おだまり!その話はおやめ!」「あなたもそう思うでしょう、ねえスケキヨ!」ともみくちゃな憎まれ口の応酬に発展しそうだが、そんなことはない。

むしろ、ほぼ会話がない。毎年、正月にノボテル甲子園のブッフェ会場で集まるという行事だけが残っていたが、そこでも従兄弟とはほぼ会話がない。この間、じいちゃんの葬式でン年ぶりに会ったら、知らん内に結婚してた。

葬式には呼ばれるが、結婚式には呼ばれない。そういう関係性である。

まあでも仲が悪いわけではないので、従兄弟にやってもらえるなら、めっぽう助かる。ありがたい。このご時世にLINEやSNSでも一切つながっておらず、gmailで業務的やりとりをするにとどまっているので、この場を借りて、お礼をボトルメールのようにネットの海めがけて放流しておく。


さて。

従兄弟に任せっきりにしていたじいちゃんの家が、ついに先日、売れた。

「思っていたより、いい値段で売れたよ」

「へえ、ありがとう!」

後から聞くと、不動産屋とのやりとりがものすごく大変だったそうだ。阪神大震災をギリギリで生き抜いた家だったので、盛大に傾いているし、建築規制が今の基準と違う時代に大工のじいちゃんが建てたので、隣家との間隔が、南大阪のパチンコ屋のペアシートに一日中いるヤンキーカップルくらいくっついている。悪条件に次ぐ、悪条件。

それでも売れた。売ってもらったのだ。


そこで、はた、と気づく。

そういえば、じいちゃんの家に行ったのは、いつが最後だろう。わたしが甲子園球場でホットコーヒーを売るバイトをはじめた時に立ち寄ったのが最後だから、9年近くご無沙汰している。

弟に至っては、父が亡くなり、じいちゃんが入院してからになるので、12年は行ってないぞ。

もう来月には、あの家は誰かの持ち物になってしまう。

「ほな、最後に挨拶だけしに行こか」

思い立って、わたしと弟と母の三人で、ボルボに乗り込んだ。


甲子園にある、じいちゃんの自宅に着いた。家の前に車を停めて、わたしと弟が外に出る。

「うわあ、なつかしいな。こんなにちっちゃかったっけ。なあ、良太は覚えとる?」

振り向くと

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弟が盛大にお辞儀をしている最中だった。

弟は、自分にかかわってくれる大抵のものに、お辞儀をする。会釈は15°、敬礼は30°とか、そういう尺度は存在しない。All time is 最敬礼。

法華経には常不軽菩薩という菩薩が存在する。彼は道行くものすべてに合掌し、頭を下げる。なにも軽んじない。なぜなら「あなたがたは、いつかかならず、仏になる人々だから」と心の底から信じているからだ。最初は知らん人にもお辞儀する弟が恥ずかしかったが、今は「お、今日も徳積んでんね」と思うことにしている。目指せ、解脱。

「あんたここ、覚えてるん?」

「じいちゃん、ぱぱ」

びっくりした。一週間前のことですら口にしない弟が、まさか12年前の記憶を持っているとは思わなかった。

「じいちゃん、ぱぱ、ありがとう」

じいちゃんと父が暮らした家ともうすぐお別れをすることがわかっているのか、弟は、ありがとうと言った。ほんまやな。ありがとうやな。

じいちゃんの家は、一階がガレージで、二階と三階が居住スペースになっている。

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今では手すりもなくのぼれるけど、小さかったころは、この一段一段の階段がとてつもなく大きく見えて、四つんばいになりながら這い上がっていた。

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一階のガレージは、暑い夏の時期の格好の遊び場だった。父が乗ってきたボルボ940エステートと、後ろにじいちゃんのダイハツハイゼット軽トラックが停まり、奥にはじいちゃんが仕事で使う大工道具が押し込められていた。

ばあちゃんが乗る、熟れすぎたざくろみたいな色の自転車が一台あったのだが、5歳のわたしはそれに乗りたがって、ゴネにゴネた。

すると寡黙なじいちゃんが、いつのまにか、自転車を一台もらってきてくれた。

わたしは「やったあ!」と喜んだが、その自転車は、近所の新聞屋の学生たちが親から子の代まで乗り倒し、電話線を引くために砂漠の戦場を駆け抜けてきたかのような様相だったので、母やばあちゃんは青ざめた。

「補助輪は……?」

「そんなもんあるか!子どもはバランス感覚がええから、乗れるんや!」

その言葉を信じ、ブンチャリ(新聞屋からもらったチャリ)にまたがり、ニコニコしながらペダルをこいだところ、ものの3秒でガレージの扉に大激突し、ハンドルはひん曲がって、傷だらけのわたしは大泣きした。

じいちゃんは機嫌を悪くして、アサヒビールとタバコを黙ってベランダでひっかけていたが、翌日、ピンク色の新しい自転車がガレージに置いてあった。でもそれも、近所のもう高校生のお姉さんからもらったお下がりなので、結局、数年は乗れなかった。

じいちゃんは子どもに興味がなく、わたしもじいちゃんに興味がなかった。だけど、それくらいの距離感がちょうどいいこともあるかもしれない。

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もう何年も水をやっていない花壇から、二輪、どっから飛んできたのかわからない花が生えていた。じいちゃんとばあちゃんかもしれない。

鍵は持っていないので、中には入れない。でもなんとなく「よおきたね」と言ってもらえそうで、ドアノブに手をかけた。やっぱり開かなかった。

夕飯どきにこの玄関をくぐると、とみこばあば(父方の祖母)が作る、皿いっぱいの炒飯の匂いがした。この炒飯は異常に旨味が強くて、わたしも母も大好きだった。

「いっぱい作ったから、ぎょーさん食べていくんやで!」

とみこばあばが、自慢げに話す。

いつだったか、帰りの車で、母が父に行った。

「お義母さん、炒飯つくるの上手くて、すごいなあ。あの味、教えてもらいたいわ」

「アホか!あれ、東海楼(近所の中華屋)の炒飯や!」

「えっ」

「すごいんは、うちのオカンやなくて、東海楼のオッサンや!」

そういうかわいらしい見栄を張るばあちゃんも、黙って炒飯を食べているじいちゃんも、嫌気が差して家を飛び出てすぐに母と結婚した父も。傾きながら建っているこの家と同じくらい、絶妙なバランスで成り立っていたと思う。

今度は、わたしも弟のように、お辞儀をする。

ちらりと横目で弟を見ると、今度は、目を閉じて手をあわせていた。いろんなバリエーションがあるんだね。


帰る途中、とてつもない傾斜の橋のような、坂のような道路に差しかかる。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。