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全財産を使って外車買ったら、えらいことになった

12月19日 追記
こちらの記事が、とんでもねえ経緯と熱量で、英語ほか10言語に翻訳されました!
英語翻訳された奇跡の舞台裏note
英語翻訳版の記事

全財産の内訳は、大学生の時からベンチャー企業で10年間働いて、したたり落ちるスズメの涙を貯め込んだお金と。

こんなもん、もう一生書けへんわと思うくらいの熱量を打ち込んで書いた本の印税だ。

それらが一瞬にして、なくなった。


外車を買ったからだ。
運転免許もないのに。


「調子乗ってんなよお前」と思った人も、「どうせ“わたしのマネをすれば秒速で車が買えるんですよ”ってやばいビジネスに誘うんだろ」と思った人も、一旦、聞いてほしい。

わたしは、わたしなりに、誇らしい使い方をしたのだ。

あまりにも誇らしいので、一連の流れを12月6日放送の「サンデーステーション(テレビ朝日)」で取材してもらうことになったけど、時間が限られているTVでは、わたしの本当の思いが3分の1も伝わらず、ただ壊れるほど散財した女に見えるのではと心配している。


だから、一旦、聞いてほしい。


そもそも、誰のために外車を買ったかと言うと。

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うちの母・岸田ひろ実のためだ。


12年前に大動脈解離というやばい病気にかかり、医龍みたいなやばい手術の後遺症で、下半身麻痺になった。

足がまったく動かないこと以外は、二度見されるほど元気だ。

しかし、手術直後は「歩けないならもう死にたい」と、病室のベッドでひたすら泣いている日々もあった。わたしも泣いた。

そんな母を元気にさせたのが「手だけで運転できる車」だった。そんな車があったんかいな、と二人で顔を見あわせた。

母は永遠(とわ)のように長いローンを組んで、ホンダの赤いフィットを手に入れた。

ブレーキとアクセルを、足で踏むんじゃなく、手で操作できるように改造してもらって。

車いすを一人で持ち上げ、後部座席に放り込むというゴリラのような所業を一ヶ月練習したのち、母はどこでもビュンビュンと車を走らせられるようになった。

だれかに手伝ってもらってばかりの母が、わたしや弟を学校や職場へ車で送ってくれたとき「ようやくわたしも、役に立てた」と嬉しそうだった。

ちなみに、ドヤ顔で運転する母の映像は、なぜか中国やタイやミャンマーで引くほど話題になった。ウケる。


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さて。

車というのは、10年も乗っていれば、どこかしらガタが出る。

「そろそろ、乗り換える車を探さんとね」

母が言った。

「またフィットにする?」

「どうせやったら、一生に一度は、乗りたい車に乗りたいなあ」


乗りたい車に、乗りたい。


車いすに乗っている母と、知的障害のある弟がいる我が家は、たぶん他の家族より「選択肢の少ない生活」をしてきたと思う。

行けるお店も、通える学校も、着れる服も、少ないのだ。

車もそうだ。

裕福ではないわたしたちの予算で買えて(弟にいたっては稼ぎすらない)、改造ができ、駐車場におさまり、車いすを積み込め、乗り移りやすい高さの車を選んできた。

乗りたい車ではなく、消去法で、乗れる車を。


「乗りたい車といえば、あれしかないねえ」


わたしと母の脳裏に浮かぶのは、同じ車だった。


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死んだ父・岸田浩二が、こよなく愛した、ボルボだ。


まだ足で立ってる母の隣で、ドヤりながら立っているように、ボルボは浩二のすべてだった。

父は、古いアパートの歴史や郷愁をうまく残しながら、リノベーションをするのが仕事だった。ドイツや北欧の建築に惚れ込んでいた。ボルボは、北欧生まれの外車だ。

阪神大震災で、みんなの家や車がバッキバキに壊れていくのを見て、「いざという時も、クソ頑丈で、乗っている家族を守れる車を選んだ」と、クソ頑丈なボルボに全信頼を寄せていた。

フルフラットになるシートに、弟とわたしを放り込み、神戸の田舎町からディズニーランドまで爆走してくれた。

「絶対にいらんて」と母から反対されながら別注で取り付けたサンルーフは、やはり一度も開けることがなかった。


そんな父は、15年前に、心筋梗塞で突然死した。

父の愛がこもったものを、そばに置いておきたかった。人生に迷ったとき、父が愛したものを見つめれば、背中を押されるような気がするからだ。


しかし、わたしたちは、ボルボを手放した。


父が設立した、建築会社をたたむための費用。高校受験をひかえたわたし。障害のある弟。専業主婦で、アルバイトの働き口しか見つからなかった母。

保険金でなんとか生活はできるが、余裕なんてない。


外車を車検に出し、維持するだけのお金がなかった。


ボルボより、優先すべき生活があった。仕方がないことだ。

だけど、ボルボを下取りに送り出すとき。
父との大切なものさえ、お金に買えてしまった気がして、苦しかった。

「いつかまた、ボルボに乗れるようになろうね」

母とわたしは、約束した。

いつか、立派な大人になって。お金を稼いで。ボルボを取り戻そうと。


ただし、それからすぐ、今度は母が病気でブッ倒れたので、正直言ってボルボどころではなく、生きているだけで精一杯の日々が続いた。


「それでも生きているうちに、一回は乗れたらいいな」と、ぼんやり思っていた。宝くじとか当たらんかな、って。


ボルボ V40が、生産中止になったと聞くまでは。


これは大事件である。

ボルボといえど車種はたくさんあるが、車いすの母が運転できるボルボは、一種類しかない。

人気のSUV型は座席が高く、車いすから乗り移れない。

セダン型なら乗れるが、V60とV90は、横幅がデカすぎて、普通の駐車場の幅では、車いすを横づけするだけのスペースがとれない。


つまり、岸田家の選択肢は、V40だけ!
そのV40が!
生産……中止……!??!?!?!?!?!


限りなく、サザエさんのエンディングテーマのフォーメーションで、近場のボルボ屋さんに駆け込んだ。

車いすの母、ノーメイクボッサボサの童顔娘、ダウン症の息子。

この三人がボロボロのフィットで店に乗り付け「V40まだありますか」と、食い気味に話すので、最初はあんまり相手にされなかった。お茶とか、なかなか出してもらえんかった。冷やかしだと思われてたはず。いやわたしかて、そう思うわ。

やがて必死のわれわれに気づいたのか、山内さんという店員さんが、親身になって話をしてくれた。

「V40が生産中止って本当ですか!?」

「はい、V40はもう残ってるだけしかなくて……うちはあと1台だけですね」

「ほ、本当にもう作らないんですか?」

「うーん、最近はこの大きさの車があまり売れないので……作らないと思います。他のメーカーも、続々と中止してますから」


生きてるうちにいつか、やない。
もう一生、ボルボに乗れんかもしれん。


「中古屋さんを探せば、まだあるかもしれませんが……」

「それが、前に一度、中古屋さんで買おうとしたら、車いすのための改造をするのがすごく大変で。部品の取り寄せとか、工場との連絡とか、正規のディーラーさんの方が安心ですよね」

母が渋い顔を見せた。
もちろん、ちゃんとやってくれる中古屋さんも、あるはずだ。
しかし、近くにたまたま信頼できるお店がなかった。


ちらっと、展示されている白いV40の値段を見た。

420万円と書いてあった。


買えんわ。



「V40はもうこの一台限りなので、399万円までお値下げしますよ!」


いや買えんわ。


貯金をかき集めても、足りない。

母は年収や他の支払いとの兼ね合いで、399万円のローンは組めない。

わたしはフリーランスになったばかりで、奨学金の返済もあり、東京で10万円の家賃すら保証会社の審査を通らなかった。


終わりやんけ。


なにか、なにかないのか。
一攫千金を狙えないか。

石油、温泉、埋蔵金、レアメタル、天然ガス。


「はっ!」

本の印税や。


9月末に、本を出版したじゃないか。車代全額に満たないが、人生ではじめて手にした、まとまったお金だ。


まだ振り込まれてないけど!!!!!!!!


「あのう、これからまとまったお金が手に入るんですけど」

わたしは、山内さんに伝えた。

「まとまったお金……?」

「はい。それと、貯金とあわせたら、ギリギリ足りそうです」

「えっ、まさか、キャッシュ一括ですか?」


「キャッシュ一括です」


店内の一角が、静かな騒然で満ちた。本当に大丈夫なのか、と母と山内さんに何度も聞き返されたけど、もうあとには引けなかった。

「無理したらあかんて。これからなにがあるかわからんねんから、大切に貯金してた方が……」

母がおろおろしながら言った。

「399万円を、くるかわからん非常事態のために置いとくより、いますぐ399万円分、家族が思いっきり楽しめる方がええ!今まで我慢してきてんから!お金はまた貯める!」


啖呵を切ったものの、いまだ手元にお金がないのに、気が大きくなっている一番あぶない人間のパターンである。

(実際、印税が振り込まれるまでにボルボが売れる可能性が高いので、とりあえず最小限のローンを組んでもらい、一括繰越返済するという手を打ってもらった)


わたしが家族からもらった愛や経験をエッセイにして、手に入れた印税だ。それならば、父の愛したボルボを買い戻す(つもりで新型を買い)、父のかわりに母を思い切り楽しませ、大好きな車で、胸をはって人生を謳歌できるほうが。

絶対にいい。

ほんまにやばくなっても、どうにかなる。そのためにいま、一生懸命、だれかを喜ばせることだけ考えて仕事をしとる。たぶん。知らんけど。


大喜びする母と弟を横目に、後日。

山内さんからこんな連絡があった。


「あのう、岸田さん。お母さまが運転できるように、ボルボを改造する件ですが」

「工場が決まりました?」

「いえ、それが……ボルボの運転席を、障害のある人用に改造するという実績が、国内でほとんどないらしく……工場で断られまして」


えっっっっっ。


「ボルボは運転席の配線系統が国産車と違うので、それがネックみたいです」

「嘘やろ……」

やっぱり、選択肢が少ない人生なんか。それは仕方ないんか。
そう思ったとき、山内さんが言った。

「でも、僕、車いすのお客様と取引させてもらうのが、初めてなんです。どうしても、岸田さんたちにV40を乗ってもらいたい。どうにかします」


どうにかしますとは。


えらいことになってしまった。

しかしその3日後、彼は本当にどうにかしてくれた。

「一社だけ、改造してくれる工場さんが見つかりました!」


なんと、ボルボを縦横無尽に運転して持っていき、わざわざ工場に直談判しに行ってくれたらしい。

山内……お前ってやつは……!


「うわあ〜っ!ありがとうございます!」

「それで、改造の費用が少し高くなるみたいなんですけど」

「いたしかたなし!(行政から10万円くらい補助もらえるし、余裕やろ)」


「52万円です!」


「ごっ……」

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これが、貯金と印税と日銭を入れている、岸田の全財産口座だ!

一本、めずらしく雑誌にコラムを寄稿させてもらったおかげで、7万円残った……命拾いした……!(一週間後に家賃で消えた)


しかし、そんなお金への不安も、実際に工場を見学させてもらったら、吹っ飛んでいた。

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唯一、改造を引き受けてくれた「ニッシン自動車工業関西」で、ボルボとご対面。

母が嬉しさのあまり「祈り」のポーズをとっている。

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これ!!!!!

この板を取り付けるのが、大変だったらしいの!!!!

たかが板、されど板。

この板がないと、母は車いすから乗り移るときに、地面へスッテンコロリンしてしまう。つまり終わる。

配線が邪魔で、普通は取り付けられないこれを!
取り付けてくれたの!!!!!!

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手で操作する、アクセルとブレーキも!ちゃんとある!

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座席を倒せば、ゴリラみたいに、車いすも乗せられる!

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母、感涙。


浩二、見とるか〜〜〜〜〜!!!!!!
あんたの代わりに、やったったぞ〜!!!!!!
みんなが味方してくれてるぞ〜〜!!!!!
浩二〜〜〜!!!!!!!
ボルボ売って、ごめんな〜〜〜!!!!!!!

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改造を引き受けてくれた、山本雅尋社長が、またいい人で。

「改造って、大変じゃないですか?ボルボみたいに、車ごとにつくりも違うし」

って聞いてみたら。

「大変です。家に帰って、ご飯食べてるときも、お風呂に入ってるときも、ず〜っとどう改造したらいいかを考えています」

「そんなに大変なのに、どうして引き受けてくださったんですか?」

「ぼくも、父親の足が悪くてね。車に乗れるだけで、行動できる範囲もグッと広がるし、本人の楽しみも増えるじゃないですか。だから、こういう改造を引き受けてるんです」

大切な人を思ってひねり出した新しい仕事が、また別の、大切なだれかを幸せにしているのだ。すべては、人を思う気持ちから、はじまっている。

泣きそうになった。
この人がいなければ、わたしたちは、一生ずっと、夢を叶えられないままだった。

「一番改造が大変だった車ってなんですか?」

「フェラーリですね。あれは……すごかった…どこに器具つけるかめちゃくちゃ難しいのに、ちょっとでも傷つけると何千万円だし……怖かったなあ……」

そりゃ怖いわ。


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改造を引き受けてくれた、ニッシン自動車工業関西さん。
工場を探して走り回ってくれた、ボルボの山内さん。
わたしの本やnoteを買ってくれたみなさん。
これを読んで、本当のことを知ってくれたみなさん。

大好きです。
みなさんのおかげで、ボルボがうちへ来ました。

いつか、あなたの街を走ります。
父の愛したボルボで。

そして、手に入れて、ようやくわかった。

父は、ボルボがほしかったんじゃなくて。

家族を楽しませたかったのだ。

そのためなら、お金なんて、いくら使っても惜しくはなかったのだ。
こだわることを、やめなかったのだ。


たぶん。

奇跡の続編(納車と翻訳)




※キナリ★マガジン(以下参照)を購読してくださっている、親戚のような人々がたくさんいるので、貯金使いきっただけで、生活には困ってません!どうか!どうかご心配なさらず!元気です!

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。