見出し画像

将来に迷って老師と話した日、わたしはサンダルを手放した

※予定表どおりならば「岸田奈美のちょっと言えない話(仮題)」を先にnoteで書く予定でしたが、編集スケジュールの都合上、順番を入れ替えて公開します。


臨済宗円覚寺派 管長・横田南嶺老師にお招きいただき、Youtubeで対談させてもらうという、とんでもないことがありました。震えてしまう。

わたしが老師を前にしてもなお、無計画に喋り倒してしまったので、ぜんぶで五話もあるのです。

一話から三話まではわたしの自己紹介みたいなものなので、それは知っとるわ!っていう人は、四話と五話を観ていただくと、ええ塩梅なんじゃないかと思います。

画像1

実は収録当日、わたしは大惨事を起こしてしまって。

・電車に乗り間違え、あろうことか円覚寺の真逆の方向へ
・あわてて降りたら、階段を滑り落ちて足を盛大にくじく
・老師にお渡しするはずだった「きんつば」を電車内に置き忘れる
・ふびんに思った通りすがりのお爺さんに助けられ、45分の遅刻
・到着するも足に保冷剤をしばりつけたまま収録に参加

愚か者のピタゴラスイッチですよ。

申し訳なさで泣きそうになっていたわたしに、老師は「さいきん料理にはまっていてね」と手作りの甘酒を振る舞ってくださいました。めちゃくちゃ美味しくて、まろやかで、泣いてしまいそうになった。


ということで、迷惑をかけまくってしまったこの番組、せめてわたしの手でたくさんの人に観てもらいたいので。Youtubeで対談していることと、それよりも少し前からわたしが大切にしている老師のお話を。



老師にはじめて出会ったときのこと

横田南嶺老師と出会ったきっかけは、わたしの母が致知出版社というところから本を出したときだ。老師も同じ出版社から本を出されており、そのご縁で、母と老師が対談したり、同じイベントに出演したりすることがあった。

その母の後ろに、ひょこひょことついていったのがわたしだ。

「仏教の教えをもっと多くの人に知ってもらいたいね」という老師に、わたしが「横田老師の着ぐるみを作るのはどうでしょうか。なんれい君という具合に」と言ったら、老師は大笑いして「そうはいいですなあ」といたく喜んでくださった。

周りにいた修行僧さんが青ざめながら「老師、それはちょっと」と、慌てて止めに入ってくれたことを覚えている。そのあと修行僧さんたちからものすごく遠慮がちに、仏教のなんたるかと、厳格さを教えられ、アホのわたしは平謝りしたのだった。

老師の御心の広さに盛大に包まれたわたしは、人生に迷うといつも、円覚寺に足を運ばせてもらっている。


ひどい雨や風と同じだから

会社員を辞める一年前、わたしは病みに病んでいた。

いろんなところで、同僚とのコミュニケーションのすれ違いで休職した、とぼかして書いていたけど、実際はそんなかわいいもんじゃなかった。

めちゃくちゃ信頼していた同僚がいて、どれくらい信頼していたかというと、彼にどうしても頼まれて、豪雪の2月にオフィスのパソコンの前に座り込み、届くかどうかわからないメールを一晩中待ち続けるという、ワカサギ釣りからすべてのやり甲斐を引いたような仕事をしてたくらいだ。一体あれはなんだったのか、今でもわからない。

まあ、そのほかにも、誰も手伝いたがらない無茶に無茶を重ねたような仕事をわたしは友情と信頼の名のもとに引き受けていたのだけど、ある日、彼がわたしのことをボロックソに書いたメールを、わたしによこしてきたのだ。なんだなんだ、フリースタイルダンジョンごっこでも始まるのかと思ったら、宛名が別の社員たちになっていた。誤爆(宛先を間違えた)だと気づいたわたしにはもう、ライムとリリックでアンサーする体力も気力も残っていなかった。こじれにこじれて、気づいたら、会社に行けなくなっていた。

円覚寺を訪れたのは、休職してから2ヶ月後のことだ。

「こんなことで休んでられないとは思うんですが、彼のことをまだ許せないし、ほかの社員を信頼することもできない。こんな自分が情けなくて。どうしたらちゃんとできるんでしょうか」

かくかくしかじかと話している間、横田先生は黙って、何度も何度もうなずきながらわたしの話を聞いてくれた。

「それはね、ひどい雨や風と同じですよ」

老師は言った。

画像2

「自然にはあらがえません。台風みたいに吹く風や降る雨を前にして、人は無力です。そんなときは、家に入って、雨戸を閉じて、布団をかぶって、過ぎ去るまでジィッとしている。そうしていたらいいんですよ」

おどろいた。わたしは、会社に行けないことは悪いことであるから、憂鬱にあらがうためにも、どうにかして自分のメンタルを持ち直す必要があると思っていたからだ。

「老師にも、そういうときがありますか」

「はい。わたしなんかもね、ジィッと待つだけですよ」

わたしも老師も、同じ人だ。自然にはあらがえない。もしかしたら他人の感情も自然と同じで、わたしごときがどうにかできることではないのかもしれない。

「あのときこうしていれば」「こう言い返していれば」の途方もないたらればを、無意識に繰り返しては、自分を責めていた。でもそれ自体にはさほど意味がない。衝突はすでに起こってしまったことであり、わたしは巻き込まれてしまった、ただそれだけなのだ。

老師の言葉を聞いて、わたしはとにかく、ジィッと待つことにした。過去と会社のことを考えるのはやめた。雨や風みたいに、苦しさが過ぎることを静かに祈った。

弟と一緒に、フラッと旅行へ出かけたのは二週間後のことだった。結果的にわたしはそこから少しずつ元気を取り戻し、会社に復帰した。


ほどよい嫉妬を、ほどよく燃やす

Youtube対談の最後に、老師から「なにか質問はありますか」と尋ねられた。実は用意をしていなかったのだけど、まるでこの時を待っていたかのように、わたしの口から悩みがぽろりとこぼれ落ちた。

ダメなこととわかっていても、嫉妬してしまいます。この気持ちにどう向き合えばいいでしょうか」

わたしはインターネットやSNSをメインに活動しているクリエーターだ。でもこの世界は、流行り廃りがものすごく早い。目が回るような数の作品が毎日アップされ、新進気鋭の人たちがあふれ出てくる。そして「リツイート数」や「PVC数」など、目に見える形でその才能を見せつけられる。

わたしより若く、わたしより賢く、わたしより人当たりがよく、わたしより文章の上手い人が、わんさかと後から追っかけてきて、抜き去っていく。

業界として喜ばしいことであるはずが、気づいたら、不安になっている自分がいる。いつか自分は忘れ去られてしまうんじゃないかと、怖くてたまらなくなる夜がある。それはわたしが一番嫌っていたはずの、嫉妬という汚い感情だ。ああ、やだやだ。

「嫉妬はなくすこともできますよ」

老師は即答した。

「どうやったらなくせますか?」

「自分という“基盤”をどこに置くかを考えるんです」

基盤とは、自分はどう生きていれば満足なのかということ。

「極端なことを言えば、最低限のご飯が食べられたらいいとか、屋根があるところで寝られたらいいとかですが……こう考えるのはオススメしません。向上心がなくなりますので、成長を諦めてしまいますから」

「嫉妬は必要ということですか?」

ほどよい嫉妬は、自分を向上させる燃料になります」

画像3

老師は、向上しながら生きていくことを、かまどの火に例えてくれた。

「嫉妬は身を滅ぼす」という言葉があるように、大きくなりすぎた嫉妬の火は、火災を起こして焼き尽くしてしまう。だからと言って、火を使うのことを止めてしまうのはもっと愚かだ。寒い冬には凍えてしまう。

大切なのは、火を整えること。つまり自分の向上に必要なだけの火を調整する力だ。

そのためには、火がちゃんと燃えていることに、自分で気づかなければいけない。そして、これ以上燃えたら大変だ、という基準も知っておく。その2つがあれば「いま自分はご飯を炊くために、これだけの火が必要だ」「良い仕事をするために、このくらいの火が必要だ」って、わかるようになる。

新しい挑戦をするために、意思と節度を持って、上手に火を燃やしていく。向上するために、ほどよい嫉妬という火を、ほどよく利用すればいいのだ。

「火を整えるためには、自分を静かに見つめればいいんでしょうか?」

わたしが尋ねると、老師は片手を頭の上の高さくらいに上げた。

「自分を高いところから見る目を持つんです。日本の伝統芸能でも、世阿弥が演者に必要な3つの目を説いています」

世阿弥の3つの目とは、「我見(がけん)」役者自身の視点、「離見(りけん)」客席から舞台を見る客の視点、「離見の見(りけんのけん)」役者が客の立場になって見る視点。芸能では、役者がつねに観客の視点から演技を見つめることが究極だとされているらしい。

自分と相手のことだけを見ていては、必要な火の大きさはわからない。俯瞰する目がわたしたちにも必要だ。

「そのためにわたしたち仏僧は、座禅をして見つめるんです」

「なるほど……!座禅ってそういうためにあったんだ。ちょっとやってみたいです」

岸田、はじめて座禅をやりたくなってきた。汚いものとして見ていた嫉妬が、別の意味を持ちはじめた。


境界線を越えていくために

円覚寺は、とても広くて、建物がいくつもある。何度か靴を脱いで、寺の中を行き来することがあるのだが、そのときに気づいた。

画像4

なにを思ったのかわたしは、ストラップ付の高いヒールサンダルを履いてきていた。これの脱ぎ履きが面倒で、わたしは何度も屈んではモタモタと手間取るという愚行を披露していた。

そんなわたしの隣を、スッと老師が通り過ぎ、先へ先へと流れる川のように歩いていく。

老師は白くて簡素だけど、しっかりしたつくりの草履を履いていた。不格好な背丈をなんとかして取り繕おうとした、わたしのサンダルとは真逆の履物だった。

敷居、境界、階段を越えていくためには、相応の履物でなければ、うまく歩めない。気取らず、歩きやすく、すぐに脱いで、すぐに履けるものでなければ。たとえばそれは草履みたいな。

越えていくものが建物であっても、誰かの心であっても、同じことが言えるんじゃないかと思った。そもそも自分が身につけているものから、見定めなければいけない。だから仏僧の方々は草履を履いているんだろうか。

家に到着したら、待っていたかのように、サンダルのつま先を止める部分が壊れた。あちこちボロボロだから直そうかと思ったけど、なんとなく、この靴ではこれから先にわたしが行きたい場所へは行けない気がして、きちんとお礼を込めてから、サンダルをゴミ捨て場へ持っていった。


また迷った時には、老師のもとへ行きたいと思っている。今度は老師のような、すぐに脱ぎ履きできて、駅で転んだりしない靴で。

いいなと思ったら応援しよう!

岸田奈美|NamiKishida
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。