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十二年ぶり、二度目の生還 (母の入院)

photo by 幡野広志


14日間の原因不明の発熱のあと、重度の感染性心内膜炎という診断を受けた母が、11時間もの心臓手術を終えて、集中治療室に入りました。

いまは安定していて、合併症や後遺症などもありませんが、これから起こることもあるので、2ヶ月程度は経過観察で入院です。

でもひとまず、命が助かった。ほんとうによかった。


手術は、とても厳しい状況だったようです。

感染症心内膜炎は、歯や傷口から入ったばい菌が、血液で運ばれて、心臓に巣をつくります。

12年前に母は大動脈解離の手術で、心臓の弁と血管を、人工物に取り替えています。その弁が、ばい菌に食い荒らされて、グズグズに壊れていました。

あの、なんだろう、心臓が動いてるのが白黒の映像で見えるやつ。あれで、血液がすごい勢いで逆流してて。


まず、手術しなければ一週間以内に心不全で亡くなってしまう確率が100%。(マジで病院くるのあとちょっと遅かったらヤバかった)

手術の死亡率は7%。手術中に、脳梗塞や脳出血を起こす危険があり、そうなると上半身にも重い麻痺が残る可能性があるとのことでした。

「12年前の手術と、どちらが難しいですか」

と手術前の説明で、先生に聞いたら答えは

「少し危険性は低いですが、でも、ほぼ同じくらいです」

でした。

あのゴリッゴリに追い詰められる状況がまたきたのかと、二人で昔を思い出して、気が遠くなりそうでした。

ちなみに大動脈解離の手術のときは、命が助かり、重篤な後遺症もない成功確率は20%と言われていました。(当時の詳しいnote

説明のときに、入院していた母と3日ぶりに顔をあわせることができたんですが、それが生きている母との最後の会話になるかもしれなくて。

3分もなかったと思います。


「これが最後かも」という母と先生を見て、なにも言えなかった。ここで泣いたらダメだ、母を不安にさせる、と思ったんですが、泣くのをがまんすると声って出なくなるんですね。うまく笑えない。

心筋梗塞で亡くなった父は母のことが大好きだったので。父が向こうで呼んでても、絶対にいったらあかんで、と。

茶化して言おうとしたんですが、だめでした。ぼろぼろ泣いてしまって、母の背中をさすりながら「大丈夫」としか言えなかった。そのまま母は、病棟の向こうへと、看護師さんにつれられて、消えていきました。

母はその夜、電話で言いました。

「わたしは、死んだらもう、なんもわからん。手術中は意識もないから、痛くもない。でも、残される人のつらさがよくわかってる。だから、みんなを残して、死にたくない」

「うん」

一父と会話できずに死に別れた経験と、母が死にかけた経験が両方あって、「もうあんな後悔するか!」って思ってても、こんなもんです。なんも言えません。最後の言葉なんか、なんも出てこない。


だけど、母は助かりました。

生きて、いまのとこ無事で、帰ってきました。

いろんな奇跡が、母を生かそうとしてくれたんだと思います。


高熱が出て、7日目。発熱してるのでコロナ感染のリスクがあり、心臓の基礎疾患もあって、9件もの病院から診察を断られたけど、1件だけ診てくれる小さな病院があった。そこでコロナの検査をしてもらえた。これがなかったら、すぐにはデカい大学病院にかかれなかったと思う。

原因の菌がわからなくても、尿検査や血液検査だけじゃなく、カメラを飲み込んでの心エコーとか、粘り強く菌を探す検査をしてくれた。

一刻を争う状況で、集中治療室のベッドも、手術のスケジュールも空きがない。だけど、手術の当日、事情があって手術をキャンセルした患者さんがいらっしゃり、母がすぐに手術をしてもらえることになった。

母の今回の手術においては、どの病院の先生に聞いても「ああ、あの病院のあの先生たちほど、信用できる人はいないわ」と言われるような先生たちが、執刀してくれた。

わたしがどこでもできる作家という仕事だったので、躊躇なく実家に戻って、すぐに付き添うことができた。タクシーにも救急車にも乗れないなか、感染の危険を承知してまで車を出してくれる人がいた。身の回りのことを、先回りして支えてくれる人がいた。お金の心配をしなくていいように、noteの有料マガジンを購読してくれる人がいた。

言い出せば、きりがないです。

不運と幸運の奇跡にまみれている岸田家は、また奇跡に助けられました。たぶんそれは神様が起こすんじゃなくて、人が起こすんだなと思いました。

祈りという見えないものが、なんか神秘的なパワーを持って、命に作用するとは、わたしはちょっと考えにくくて。

たぶん、祈ってくれた人って、どういう形でも立場でも、どこかで行動に出てるんですよ。その小さな目的を持った行動が、びっくりするくらい細くて長い数珠つなぎになって、誰かや何かを動かして、最終的にわたしたちのところへやってくる。

そう思っています。

奇跡そのものに感謝するのではなく、目の前にあるすべての人とものに感謝しながら、母の経過を見守りたい。

本当に、ありがとうございました。

まだまだ気は抜けませんが、みんなでがんばります。


もしかしたら、先に亡くなった父もあっちで、全力で「まてまてまて!来るな!やめろ!アホか!」って、言ってくれたのかもしれないな。



この数日ぜんぜん眠れなくて、書くときだけは心が落ちついたので、母の入院から手術までの経過は、ほぼリアルタイムでnoteで書いていました。(このnoteも下に続きがあるよ)

母が「あんたは好きなだけ言葉にしたらええ」と言ってくれて。

ちょっと拡散されるのがアレな話もあるので、キナリ★マガジン(有料定期購読)の読者さんだけ読めます。


手術中にもいろいろ、考えていたことがあるので、ここから先もキナリ★マガジンの読者さんだけ読めるようにしています。

いやほんとにありがとうございました。動けない母といつでも電話できる病院のめちゃ高い個室代、みなさんのおかげで、まかなえます。

一ヶ月だけでも、よかったら登録しておいてください。今月、めっちゃ自信作の「インチキ高額リハビリ師のもとで母と修行した話」を書くので。それは読んでってほしい。


朝10時にはじまって、夜21時に終わった手術。

もう待ってるこの時間がめちゃくちゃ長い。いままでだったらね、病院にいって、待合室で祈りながら待つとか、そういうのあるけど。

病院、行ったらダメだから、家で待つしかない。

死んだらどうしよう、まだあれできてないこれ言えてない、っていう後悔と恐怖でグルングルンになってるなか、顔をあげれば他の人にとっては日常でしかない日常が流れてるわけだから。

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