32歳にもなって土下座で大号泣(漏水ビチョビチョ日記)
▼ これまでに書いた経緯
(2日目)12月19日 9:00 - 夢ならばどれほど
パチッ。なんのアラームもつけず、目が覚めた。
「夢やったんか……!」
天井から汚水が降ってくるなんて、そんなバカなこと、あるわけない。
現実逃避も束の間。
母の声が聞こえ、ここが神戸の実家であることを思い出し、絶句した。
汚水が止まらない自宅から、避難してきたのだ。
この世の終わりかと思っても、この世はわたしを置いて回り続ける。今日も今日とて仕事はある。
編集者との打ち合わせの時間になった。
ものすごく心配してくださっていて、
「いやーもう、ほんとねえ、どうしましょうねえ、年の瀬に散々ですよお、ははは。それであの、原稿のスケジュールなんかも、遅らせてもらっちゃったりなんかしちゃってナハハ」
説明してるうちに、笑えてきた。
なんか現実感がわかない。実家という安全地帯から、危険地帯のことを振り返ると、遠く向こうに浮かぶ蜃気楼のような。
ナハハ……。
母がこしらえてくれたおにぎりも、笑いながら食べてた。
んまい、んまあい。
(2日目)12月19日 12:00 - 土下座で号泣
電話が鳴った。
管理会社からだ。
「水、止まりましたか?」
開口一番に聞く。前のめりで聞く。
「止まりません」
二夜明けてもなお、止まらないだと。
「というか、増えてます」
増えるな。
「われわれも部屋に入ったのですが……天井がなくなってます」
「なんて?」
「天井が、その、落ちて、なくなってます」
部屋の脇へ避難させていた家具や家電もろとも、ビシャビシャになっているらしい。
フライパンやボウルも、満杯になって、あふれた汚水が床にたまっているから、急いで戻ってきてほしいとのことだった。
「ああ、はーい、はいはい、はーい」
電話を切った。
「ごめーん!いまから京都の家に行ってくる!ナハハ」
母が目を丸くしていた。
「あんた、すごいわ」
「なにがや」
「こんな状況で、明るく笑って、すごいわ」
おにぎり食べながらも、会議しながらも、支度しながらも、ナハハ…ナハハ…と笑みを浮かべているわたしを見て、ビビったらしい。
「ナハハ。だってなあ、なってもうたもんは、しゃあないし」
「すごいわ」
半自動的に、服を着替えた。リュックを背負う。ブーツを履く。玄関の前の鏡を見て、ハッとした。
だめじゃん、だめだめ。
汚水まみれのとこに行くんだ。こんなよそ行きの格好じゃ。
「わー、まちがえちゃった、ナハハ」
ドロドロのビシャビシャになってもいい服にしないと。例えば、ジャージ、どこにあったかな、ジャージ。クローゼットを探す。
ない。
ジャージもカッパも手袋も長靴も、実家にはない。
そっか。
全部、家にあるんだ。わたしの家に。そりゃそっか。家で着替えればいいかな。あっ、でも、天井ないんだった。服も靴も全滅かな。
ナハハ。
そうだった、そうだった。こりゃいかん。
どうしよっかな。
次の瞬間、
ズシャアァァァァ……ッ!
立っていられなくなり、実家の床にうずくまってしまった。
「おえええええええええええええええええ」
号泣。
ずっとこらえていた涙があふれ、拳を握り、声をあげながら号泣した。ほぼ土下座である。
自分でもびっくりするような、難産の牛か幕末の薩摩志士みたいな嗚咽。おいどんは。おいどんは。
「うっ、おっ、ううううううぐっ、ひぐぅ」
「あわわわわわわ」
さっきまで笑っていた娘が、急に土下座スタイルで大泣きしはじめたのを見て、母はオロオロしながらハンカチでわたしの涙を拭いた。
「かわいそになあ、かわいそになあ」と、母が力なく繰り返していた。
「見とうないよお、全部濡れてるとこ、見とうないいいいいいい」
悲しい怪獣が、生まれた。
もう32歳なのに、32歳なのに。
「あああああああああああああ」
洪水のように泣きじゃくった。
10分経つと、涙は枯れ、スンッとおさまった。
情緒が壊れた。
帰宅という言葉が、こんなに恐ろしく聞こえる日はない。
(2日目)12月19日 16:00 - 落ちた天井
新幹線とタクシーを乗り継いで、京都に戻った。
ドアを開けると、ゼルダの伝説の地下面に突入する音楽を思い出す。ボワワワワン。
闇から、ムワッと生ゴミみたいな臭いがした。
おそろしすぎる。自分の家とは思えん。
ショートする危険があるので、電気がつけられないのだ。
リビングに足を踏み入れると、ビチャ、ビチャ、と音がした。
潮干狩りを思い出す。
ズルッ!
「ぎゃっ」
滑って、転んだ。
ナマコを踏んだような感覚が足裏から伝わる。新しい生命の芽吹きがもう……と思ったが、水を吸いすぎて臨界点に達したペットシーツの残骸であった。
管理会社の人がライトをつけた。
ほんまに天井、落ちとるやないか。
目撃証言がないので定かではないが、夜の間に水が染み込みすぎて、落ちたのではということだった。
これにより、浸水エリアがほぼ1.7倍まで拡大した。
キッチンの壁紙が、ポッキーの箱の開けるとこみたいに、ビーッとはがれていた。手で開けられます。
壁からじわじわと水がきて、カリモクのヴィンテージの食器棚が泣いていた。
退避させたはずの、我が家の助っ人外国人的家電・バルミューダのレンジくんとトースターくんも、ひっそり息絶えていた。まさか棚にまで水が染み込むとは。ひとりで心細かっただろうに……。
椅子にも水滴が飛び散り、脚が変色していた。
わたしがアイコンで持ってる、でっけえしゃもじは、なんかもう、カビの臭いがする。突撃の意味が変わってくる。武器か呪具に成り果てた。
南無。
(2日目)12月19日 17:00 - 45時間後
これが、水漏れがはじまってから45時間後の風景。
いまだにポチャ、ポチャ、と水が降り続いている。
洞窟かよ。
この水音、サンプリングして、だれか曲にでもしてくんねえかな。
今は雨漏り程度だが、朝の洗濯機ラッシュや夜の風呂ムーブと重なると、やっぱり豪雨になるわけだ。
(2日目)12月19日 17:30 - 水道ミステリー開幕
何人もの水道屋さんが、入れ替わり、立ち替わり、家に入ってくる。
我が家は、一大観光地のような盛り上がりを見せてきた。
打倒、清水寺!
ああじゃないか、こうじゃないか、と色々と仮説を試してテストしてくれた。
不可解な原因とは、果たして……?
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