ワールド・ベースボール・クラシック・スーパーブラザーズ
弟がリビングのど真ん中で投球フォームを繰り出しはじめたのは、夏の終わりのことだった。
「なにやってんの」
「おーたに」
そうか、大谷か。
「だれに教えてもろたん」
「かいと」
そうか、カイトか。
誰や。
事前情報なし、ネタバレ一切なし、出たとこ勝負の全米感涙で進んでいくのが、わが弟の日常である。
FBIに所属していたらある程度の地位を保証されたであろう母(解読班)を頼ったところ、全貌がぼんやり浮かび上がってきた。
ダウン症の弟は、実家を出て、知的障害のある人たちのグループホームで暮らしはじめた。
そこで出会ったのがカイトくん、らしい。
家の和室のすみっこで万年ゴタツを根城にし、爆音の鼻歌とぬり絵を嗜んでいた弟がこつ然と姿を消したことで、寂しげに落ち込んでいた母。
「良太に……友だちがなあ……」
それだけで泣いた。早すぎる。エンディングまで、泣くんじゃない。
カイトくんは、野球が大好きだそうで。
野球愛につられ、グループホームの庭で弟も素振りやキャッチボールをするようになったというわけだ。母や姉の手が届かぬ遠縁の庭である。
ふむ。
最近は自立に向かう弟の成長が著しく、人間性においては姉がストップ安になりそうなので、ここらで威厳を見せておくべきか。
こういう時に美味しいところだけ持っていく筋肉だけを鍛え続けてここまで来たのだ!
「良太よ。カイトくんと、野球が観たいか?」
弟はピタッと、動きを止めた。
激しくうなずく。
「そうか、じゃあ……」
試合チケットでも、持たせたろやないか。
「おーたに」
「えっ」
「おーたに、です」
それは無理っ……いや、ギリ見れるか……?ううん……ど、どやろか……世界のオオタニサンやぞ……!
カイトくんは、熱烈な阪神タイガースファンだ。大谷投手より青柳投手のほうが嬉しいんちゃうか。せやろ。
そんなチグハグすぎる願い、叶えられるわけが。
“ワールド・ベースボール・クラシック強化試合”
“3月6日 日本代表 VS 阪神タイガース 戦”
できるんかい。
両方のニーズを綺麗に満たしおった。
しかしながら、心配ごともある。
野球の試合はとても長いのだ。3時間は座りっぱなしだ。WBCともなれば満員は確実で、簡単には身動きできない。弟は大きな音が苦手だし。
障害のある彼らが、安心して観られるのだろうか。
「やっぱり、別の試合に……」
“京セラドーム 最上階”
“バルコニー付き特別個室『ビスタルーム』”
“10名 150,000円”
あるんかい。
ものすごく偉い人しか入れないはずの個室が、なぜか今だけ売りに出されている。あと1室だけ残っている。しかし15万円である。想定と桁が違う。
諦めるために調べれば調べるほど、引くに引けなくなっていく不思議。
カイトくんのお母さんに、おたずねしてみた。
「家族で野球を観に行ったことはあるんですけど、まさかお友だちとねえ、カイちゃんが一緒になんてねえ……こんなことってあるんですねえ……!」
電話口に出たこちら側の母は、すでに鼻水をすすっていた。
来ました。
15万円はですね、キナリ★マガジンの皆さんからいただいた購読料で、オリャ〜〜〜ッと払わせていただきました。良い顔しようとした姉の末路です。財布の紐を引きちぎる係。
ちなみに大谷翔平さんの出場が決まった瞬間に、チケット代がはねあがって、120万円の値段がついてた。株券かよ。わたしが両津勘吉なら売ってる。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。