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ばあちゃんが新聞を読まずに捨てるようになって三年が経った

神戸の実家に行くと、わたしは淡路ファームパークイングランドの丘にいる日中のコアラのように誰の期待にも応えずひたすら眠るのだが、その日はめずらしく朝方まで原稿に追われていた。

ガチャン!

ビクゥッ!

玄関から金属音が鳴り、没頭していた意識がビビり戻される。新聞がきたのだ。実家だから。

一人暮らしをはじめてからなんやかんやで、十年が経った。ポストに新聞が投げ込まれる音をちゃんと聞いたのは、十年ぶりだ。びっくりした。玄関が突然鳴るというだけでこわい。

というか、もう新聞がくる時間か。

時計を見ると朝の5時だった。

「あんたはこんな時間までなにしとんや!」

ビクゥッ!

新聞の次は、ばあちゃんが寝室から配達されてきた。あまりに歩みが遅いので気づかなかった。毒沼から這い出てくる化け亀の速度だ。

「いま起きてん」

面倒くさいので嘘をついた。

「そうか」

信じた。

このやりとりも、十分後にはきれいさっぱり忘れられてるので、どうせ失われるなら真実がどうであろうがおもしろくてお互いが楽な方に振りきった方がいい。岸田家にはそういうガバガバの自治ルールがある。

化け亀はそのまま廊下から玄関へと進路を定めた。

ズボッ。

ポストから新聞を引き抜き、たっぷり時間をかけてリビングへと戻ってくる。

「あんたはこんな時間までなにしとんや!」

「だから、いま起きてんってば」

「そうか」

そしてばあちゃんは手に持った新聞を、リビングのテーブルに置いた。そしてそのまま寝室へと戻り、二度寝に沈んだ。

わざわざ新聞を取るために、こんな早朝に起きてくるとは。年寄りの考えることはようわからん。わたしはまた仕事に没頭していった。

ばあちゃん、母、弟がそろって起きてきたのは、それから二時間後の七時だ。

化け亀、二度目の来襲。

住むものすべてを叩き起こすほどの爆音でテレビの情報番組をつけ、トーストを焼き、二度見するような量の砂糖を入れたインスタントコーヒーを淹れていた。

流れるような朝のルーティーンだ。

そして、テーブルの上の新聞を読まずに捨てた。


アルミ製のゴミ箱に叩きつけられる、折りたたまれたままの新聞を見て、わたしは言葉を失った。黒ヤギさんでも手紙は食べるというのに、捨てた。

「ちょ、ちょ、ちょっ」

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。