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飽きっぽいから、愛っぽい|すすめづらいものを、他人にすすめる@北海道札幌

キナリ☆マガジン購読者限定で、「小説現代11月号」に掲載している連載エッセイ全文をnoteでも公開します。

表紙イラストは中村隆さんの書き下ろしです。

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ひとりの医師に、一冊の本を届けるために、北海道へ飛んだ。

十月といえど、全国的に夏日が続いていたので、汗っかきのわたしはスーツケースに半袖のブラウスを詰め込み、Tシャツを身にまとってきてしまった。

新千歳空港の地下から電車に乗り、札幌駅で降り、ターミナルビルを抜けてようやく屋根のない場所に出て、ホテルのすぐそばにある時計台を目指して、気持ちのいい陽射しのなかを歩いていたときまではよかった。

時計台の影になる部分に足を踏み入れた途端、思い出したように寒くなり、近くのユニクロに駆け込んで、セールで半額になっている長袖シャツと、ワイドパンツを買い求めた。売れ残りなので、巨大な焼き芋のような配色になった。巨大な焼き芋が、札幌の街を歩いた。

SNSで「病理医ヤンデル」と名乗る医師と、はじめて言葉を交わしたのは、七月だった。

わたしの二冊目の本が出版されたので、それを記念して公開対談が催された。タイトルに「人生相談イベント」とあったので、てっきり参加者の人生相談を受けるものだと思っていたら、どうやらわたしがヤンデル先生に人生相談をするらしいということを開始直前で知った。

丸腰のわたしは焦ったが、始まってみれば、うなされながら麦茶を寝ゲロしたあの真夏の夜みたいに、スルッスルと出るわ出るわの、悩みのオンパレード。わたしというやつは丸腰になっても頓痴気な悩みを標準装備していることと、ヤンデル先生という存在はそんなわたしの悩みに寄り添いつつ真綿のようなユーモアで包んでくれることを知った。

対談は、わたしのいる京都と、ヤンデル先生のいる札幌を、オンラインで繫いで行われた。ヤンデル先生は「大切な機会だから、念には念を入れて」と、買ったばかりのイヤフォンを画面越しに見せてくれた。黒いイヤフォンのコードが、パソコンに向かって伸びており、コードの途中にはマイクの機能を持つスイッチがついている。ワイヤレスのイヤフォンに比べて、音声のラグが少なくなるのだ。

しかし対談の途中、われわれは幾度となく、

「モシャッ、モシャッ」

という、大きめのクマが新雪の上を歩くような雑音に見舞われた。見れば、ヤンデル先生が語りながら、イヤフォンのコードに指を絡ませ、マイクに触れているのだ。手癖だ。

「あっ、すみません。慣れてないからつい触っちゃって」

とてもわかる。わたしも話していると、手や足がバタバタと動いてしまう。小学校の授業なんて、それで何度𠮟られたことか。夢中で、集中しているのに。

いきあたりばったりの人生相談は、モシャモシャ音をエレキベースのごときバックミュージックにして続いていった。

そのときわたしは、ヤンデル先生のことを、とても信用できると思った。

あれから、三冊目の本『傘のさし方がわからない』を書き上げることができた。発売前の見本誌として自宅に届いたうちの一冊を、ヤンデル先生のもとへ送ろうと便箋を探し、ふと思い立った。

「そうだ。札幌まで持って行こう」

理由はふたつある。

ひとつ目は、直接お顔を見て、ご挨拶をしてみたかったこと。

ふたつ目は、以前に対談のお礼を兼ねてお菓子を郵送したのを思い出したからだ。関西でしか買えないちょっとしたお菓子だったが、数日後、丁寧すぎるメッセージとともに、倍の量の立派なおかきが届いてしまった。ただのおかきではない。味が、ホタテに毛ガニに、ウニにエビ。こんなものをいただいたなら、また倍で返したくなる。しかしわたしもヤンデル先生も、こういったことには異常に腰が低く、真面目であることがわかっているため、このまま郵送で倍々の応酬が続けば五年後には親戚が持っている裏山や、金の卵を産む雌鶏などを交換することになりかねない。

ヤンデル先生に相談すると、こんな時期だしお互いに長居はできないけど、ぜひにと承諾いただけた。

ただ、それだけを目的にした場合、さきほどの推論でいくと、恐縮したヤンデル先生が後日、京都まで飛んでくることになってしまう。そこで訪問の前に小さな小さなサイン会を札幌駅の近くで開くことにして、ヤンデル先生には「ついでなので、持っていきます」と伝えた。

ひっそりとはじまったサイン会は、札幌の読者の方々に温かく喜んでもらえた。

印象深いのは、ほとんどの人が、食べ物を持ってきてくれたことだ。わたしは普段、どれだけ腹を空かせているように見えるのだろう。たしかに意地汚そうな振る舞いが常ではある。

「帰りの飛行機で荷物になっちゃいけないから」

みんなが前置きする。

「できるだけかさばらないのを選びましたよ」

その前置きがあってもなお、グイグイと食べ物を渡してくれるのがおもしろかった。

六花亭のバターサンド、ロイズのポテトチップチョコレート、とうきびチョコのチョび、北海道開拓おかき、トマトジュース、パック入りカツゲン、セイコーマートのちくわパン。それらが二十個ほど。

かさばらないという概念を疑いそうになったけど、本当に美味しいのだから仕方がない。

そこまでして渡したいほど、太鼓判を押せる食べ物が、北海道にはあふれているということだ。なんてうらやましい。

わたしなんて京都に引っ越してから「八ツ橋……本当にいるかなあ、八ツ橋……京都っぽいけど……まあ、どこまでいっても八ツ橋だもんな……」と、手土産を買っていくかどうか、迷うばかりだというのに。

ありがたく頂戴したご馳走の品々を一旦ホテルに置き、その足で、ヤンデル先生がそろそろ勤務時間を終えようとしている病院へ向かった。ちょうど日が沈むところで、冷たい風が大通公園のテレビ塔の方から吹いてきた。


ヤンデル先生は、ヤンデル先生のままだった。

白衣ではなく上下とも黒色のスーツに、しっかりとネクタイを締めていた。眼鏡の奥で、小山みたいに垂れゆく目に、穏やかな笑いじわが寄っている。物腰のやわらかい敬語が、楽しい話題やボケをかますターンになると疾走して早口になる。

こんな人が医師だったら、ことあるごとに病院を頼りたくなるが、病理医という仕事は、患者さんにはめったに会わないらしい。患者さんの臓器や細胞を見て、病気や治療法を探るのだから、重要な仕事には違いないけど、勝手なことを言うと勿体ない気もした。病気で心が折れそうになっている人ほど、わたしは、ヤンデル先生に会ってほしいとさえ思うのに。

「いやあ、いい本です。これは本当に。いい本ですよ。絶望への処方箋です」

わたしが渡した新刊の本をめくりながら、ヤンデル先生が褒めてくれた。中身はほとんどウェブで公開していたものなので、読んでくださっていたのだ。

「絶望への処方箋」は、わたしとヤンデル先生の共通の知り合いであるたらればさんがポロッとこぼしてくれた例えで、わたしもいたく気に入っているから嬉しい。

「それでね、僕も、岸田さんにお会いしたら渡したかった本があるんです」

どんな本だろう。いや、どの本だろう。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。