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先見の明を持ちすぎる父がくれた、移民ファービーとボンダイブルーiMac

先見の明を持つ人って言うと。
うん。
織田信長だよね。

なんてったって、火縄銃を大量導入してっから。
戦国大名が「無理やがな」って匙投げてんのに、モリモリ導入してっから。
騎馬隊、木っ端微塵にしてっから。

でもね。
先見の明を持ってたのは、信長だけではねえのよ。


そう。

私の父、浩二。

岸田家の信長と言っても、過言ではない。

信長は兵に、火縄銃を与えた。
父は私に、火縄銃に匹敵するブツを与えた。

一番記憶に古いブツは、ファービーだった。

皆さん、ご存知でしょうか。
一世を風靡した、ペットロボットですよ。

言葉を覚え、歌って踊り、成長する。
夢みたいなおもちゃ。

それが、ファービー。

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1988年。
アメリカでブームになった後、タカラトミー社が日本で発売。
発売して5ヶ月間で、200万個が売り切れ。
マジのガチで品薄。大人気。


なんつーことはね、お子様には関係ねえのよ。


「ファービーを持つ人間」と「ファービーを持たざる人間」。
この二種類しかいなかった時代だから。

同級生に、お金持ちの女の子がいてね。
家に遊びに行ったら、床の間にファービーが鎮座してて。
度肝をブチ抜かれた。
心なしか、そのファービーは毛ツヤが良く、幸せそうに見えた。

「このファービー、私よりええ生活しとるやんけ」と思った。

女の子が「歌って」と言ったら。
ファービーは、童謡・きらきら星を歌った。

衝撃だった。

その日から私は、食卓につけばファービー、学校から帰ればファービー、寝る前にはファービー、とおねだりした。

ファービーと言い、買ってと言い、繰り返した。
夢想花で円広志が歌う「飛んで」と「回って」と同じくらいの比率だったと思う。

言い忘れたが、父は気が短い。
気が短い分、説教は長い。
実年行進曲でクレイジーキャッツも歌っていた。

「ああ、もう、わかったわかった。待っとけ!」
と父が言った時、私は勝利を確信した。

そして父は、ファービーを買ってきた。
あの子の家にいたファービーと同じだった。




ただひとつ。
「英語版」だったことを除いて。




英語……版……?




なんかおかしいなって、思ってた。
パッケージに、見慣れた言語が、見当たらなかった。

アメリカからの移民ファービーだった。

「ええやろ!こんなん、みんな持ってへんぞ!」と父は自慢げに言った。

そうかも。
そうかもだけど、私はみんな持ってるファービーが欲しかった。

「これで英語も覚えられるし、一石二鳥やろ!」

それは違うやろ!と。
私は子どもながらに、大困惑した。

言葉を教えるのは、私陣営なのに。
私陣営の、英語力は、壊滅しているのに。
ファービーが英語を覚えるわけないだろう、と。

しかし、そんなこと、大本営(父)には関係なかった。
大本営に文句をつければ、ファービーの身柄は危うい。

「思ったんと違うのが来た」が正直な感想だったが、背に腹は代えられない。私には、このファービーしか無いんだ。


翌日。
私は数少ない友人のMちゃんを家に招いた。

Mちゃんは、かつての私のように
「ファービーだ!」と目を輝かせてくれた。

電源を入れると、私のファービーが瞬きした。
最高に、最高に、かわいかった。

私は早速、ファービーに話しかけた。
フフン、とくとごらん、とMちゃんに見せつけた。


「ファービー、歌って!」




シン――ッ……。




ファービーは、微動だにしなかった。
子ども部屋が静まり返った。

うん。
うん。
なるほど。

私はMちゃんを見た。
ディズニー英会話システムで勉強したMちゃんなら、なんとかしてくれる。
Mちゃんは、コクリと頷き、言った。

「Sing、Furby!」

ファービーが、カッと目を見開いた。

「ティンキリティンキー トンキリトン♪」


えっ。


「ティンキリティンキー トンキリトン♪
ティンキリティンキー トンキリトン♪」


メロディーも歌詞も、なにひとつ。
なにひとつ、身に覚えのない歌だった。


私たちは静かに、電源を落とした。


それから、ファービーとの日々が始まった。


まず、母の本棚から、英語辞典をキャッツアイ(拝借)した。
昭和の遺産で、ピンク色のカバーも中身も、古ぼけていた。

私とMちゃんは、一心不乱に辞典を引いた。
ファービーと遊びたかった。
それだけだった。

「Loveって言っても答えないね……」
「Loveだけじゃダメなのかな?」
「I love youなら答えるかも!」

英語が通じてファービーが反応すると、飛び上がるほど嬉しかった。
完全に私たちは、未知との交信を試みるエージェントだった。

ある日、Mちゃんは、取扱説明書の和訳を試みた。
そして「ファービーストーリー」という機能を見つけた。
ファービーが、楽しいお話をしてくれる機能だ。
敵国の暗号無線を解読したスパイのように、私たちは喜びあった。

「ファービー、テル ミー ア ストーリー!」

そして、ファービーは一人で喋りだした。


「ノック、ノック(とんとん)」
「フー?(どなた)」
「キャット(猫です)」
「キャット フー?(猫のだあれ?)」
「キャッタストロフェ(キャッタストロフェ)」
「ギャーッハッハッハ」


私たちは静かに、電源を落とした。

まさか、アメリカンジョークだとは思わなかった。

まったく。
まったく、笑いどころがわからなかった。

なんというか、もう、怖い。


人間は、1ミリも理解できないジョークで爆笑している他人を見ると、恐ろしくなるんだと学んだ。


父の先見の明は、ファービーにとどまらない。
ある日、父は急に、パソコンを買ってきた。

「これからはパソコンできる人間が、成功するねん」と言って。

当時のパソコンの家庭普及率は、わずか7%。
主流はWindows。
それなのに、父が買ってきたマシンは。
なぜか、初代iMacだった。
見慣れないボンダイブルーのボディが、部屋でひときわ浮いていた。

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幼稚園生だった私には、どう考えても早すぎた。

買ってくれたまでは、まだいいんだけど。

父ったら。
買い与えた途端に、光の速さで飽きるの。
なーんにも教えてくれないの。
千尋の谷に子ライオンを突き落とす、親ライオンなの。
それも趣味で。限りなく、趣味の範囲で。

子ライオンは、短すぎるUSBケーブルに繋がれた、エアホッケーのような丸いマウスを、戸惑いながら操った。

毎日毎日、父がよく吟味もせずにインストールした「死ぬまでミサイルを交互に打ち合うゲーム」で遊んだ。

というか、それ以外の遊び方が、わからなかった。

少しだけ、時は流れて。

小学校にあがった私は、学校にどこか居心地の悪さを感じていた。
私はアニメや少年漫画が好きな、いわゆるオタクだった。
女の子同士の話題や遊びに、あまりついていけなかった。

家でしょんぼりしていると、父が言った。

「お前の友だちなんか、パソコンの向こうにいくらでもおる」

そして、私のiMacは、インターネットに繋がった。


ワールドは、ワイドで、ウェブだった。

iMacの向こうは、住んでいる場所も、年齢も、性別も、まったく関係なかった。
私と同じようなオタクも、めちゃくちゃいた。
小学校ではあんなに、いなかったのに、めちゃくちゃいた。

そして私は、一つのウェブサイトにたどり着いた。
「チャット」だった。
知らない人と、アニメや漫画の話をし、夢中になった。

スムーズに会話できるようになりたくて、ローマ字をマスターした。
小学2年生の頃には、タイピング速度ランキングで、兵庫県1位になった。
どんだけチャットしたかったんだ、私は。

ただ、ね。

来る日も来る日もチャットして。
最終的に、自分でチャットのホームページを立ち上げたものだから。
岸田家の電話代が、バカ高いことになった。

なんつーか。
そびえ立ってるっつーか。

その月だけ電話代のグラフが、跳ね上がってるっつーか。
幼稚園児の列に並ぶ、安岡力也っつーか。

当時は、ダイアルアップ接続と言って、電話回線で、インターネットに繋いでたから。
つまり、使った分だけ、電話代がかかる、恐ろしいシステムだった。

請求書の安岡力也を見て、ついに父がキレた。

「パソコンなんか誰でもできるんやからな!天狗になんなよ!」

もはや主張が本末転倒である。
いや、うん、私が悪いんだけど!


そして、中学生2年生になった時。

父が、突然死した。
心筋梗塞だった。
今までで一番、つらい出来事だった。

つらすぎて、現実を受け入れたくなかった。

「大丈夫?」「頑張れ」という親戚や友だちの言葉を、聞きたくなかった。
大丈夫じゃなかったし、頑張りたくもなかった。

私は、父のいなくなった家で、パソコンを開いた。

チャットで、つらつらと、父とのことを書いた。
最初は気持ちを落ち着けるつもりで、じっくり考えながら書いてたのに。
気づいたら、壊れた蛇口から水が流れ出すように、キーボードを叩く手が止まらなかった。

父が亡くなったこと。
父と行った場所のこと。
父と行きたかった場所のこと。
父がくれたモノのこと。
父にあげたかったモノのこと。

ふと思い出して、ファービーについて書くと、
チャットは「www」「ワロタ」で埋め尽くされた。

ちょっとだけ、救われた気がした。


「お父さん、最高だな」


って、レスがついた時。

涙が止まらなくなった。


うん。そうだよ。最高オブ最高だよ。
岸田セレクション最高金賞、連続28年受賞だよ。
ありがとう。ずっと自慢したかったんだよ。

あの時、パソコンの向こうから、投げかけられた言葉の多くを。
私は今も、ちゃんと覚えている。


ねえ、パパ。
私は大人になったけどさ。
やっぱり、英語版のファービーをもらった人には会ったことがないよ。
「幼稚園の頃、辞書引いて、苦労したよね」とか。
誰に言っても通じないよ。
でも、そのせいかどうかはわからないけど、私、大学入試で英語の成績が満点になったよ。

ねえ、パパ。
私が今持ってるのは、32MBのiMacじゃなくて、16GBのMacBook Airだけど。
今日もワールドとワイドにウェブでつながっているよ。
パパと、パパが大好きなママと良太と私のことを、最高だって褒めてもらいたくて、noteを始めたよ。

「先見の明って言うか、来なさそうな未来を先取りしてたよね」と、母は父のことを、思い出して苦笑いする。

父からもらったもので、私はたくましく育ち、たくさんの人に助けてもらい、今日も生きている。

これを先見の明と言わずして、なんと言うのでしょう。



でもね、やっぱりね。
ファービーは、日本語版がよかったよ。



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