淀川でクジラが死んだ
道に迷うことはめったに無いが、道をさ迷うことは有る。
たいてい、弱り果てながらなにかを考えなければならない時だ。
(しまった……アレしなくちゃ!)
ギクッとしたら、もうアカンのだ。目的地へ向かってサクサク歩いていたはずが、知らぬ間に右に折れたり、左に折れたり、後戻りしたり、わけのわからない道を黙々と歩き続けている。目的地にたどり着けたためしがない。
まずい用件の電話をしながら歩いてる時なんて、特にひどい。
言い訳や埋め合わせを組み立てる間、わたしはずっと、さ迷っている。行ったり来たり。ぐるぐる回ったり。目的地をはるか後ろに通り過ぎたり。
ハッ。
顔を上げる。
「どこやねん……ここ……」
それで約束の時間に遅れ、さらなる謝りが発生する。足もヘトヘトに疲れて、汗だくになってる。
大阪に住んでいたころ、ハッとして顔を上げたら、脅威の確率でそこは梅田地下街の『泉の広場』だったことがある。
大前提として、梅田地下街だけは、弱っているときに足を踏み入れてはならない。案内表示に従っても、右にきたのか左にきたのか、いま自分は階段を上ってるのか下ってるのか、わからなくなる瞬間が訪れる不思議のダンジョン。
6年間、毎日のように地下街を通ってもわたしは『泉の広場』への道順を覚えられなかった。行こうとしても行けないのに、考えごとをしてたらなぜか漂着するので怖い。立派な泉の噴水に対し、天井が妙に低くジメジメしてて、集まってる人たちもみんなどっかジメジメしてて、それも怖い。なんというか、ためらいの漂流地点。
人間は不安がよぎると左に曲がりたくなるらしいけど、そういうのが関係してるのか、ついぞ検証できないまま取り壊されてしまった。
そんな迷宮でわざわざ考え込まなきゃいいのに、何度気をつけても、無意識にやってしまう。足を止めると、頭も止まる。
ムダに汗をかき、ムダに足を棒にして、でも心だけはサッパリしている。
悪い癖に意味を見出したのは、一昨年のこと。
「弱ってるときに下す判断ってね、だいたい間違ってるんだよ」
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