聖火を手に、歩きながら駆け抜けて(もうあかんわ日記)
毎日だいたい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
朝、8時半に飛び起きた。
いつも飛んで起きるなどということはせず、うだうだと一時間ほど芋虫になり、インターネットの海をクロールで慣らしてからようやく起きあがるけど、今日は特別だった。
母がオリンピック聖火ランナーとして、大阪を走るのだ。車いすを押すので、弟も。あとにも先にも、たぶんないであろう、お宝イベントである。
心配なのは、お天気だ。
右手にトーチ、左手に傘、後ろを押す弟がべショベショになりながら走るのは、素人には情報量が多すぎて、末代まで謎記録映像が残ってしまう。
なんか「しとしと」と水の音がした気がしたから飛び起きた。ばあちゃんが閉め忘れた台所の水道の音だった。よかった。よくない。
念のためリビングで点呼をとったが、母も弟も、ハイオク元気満タンだ。
余裕ぶっこいて準備をしていたら、たった十五分で、カオスと化した。
リビングの一番でかい扉がぶっ壊れていたのだが、それを直してくれる工務店の人がやってきた。日程は来週だとてんで勘違いしていたので、大いにあせった。犬の梅吉だけが、思わぬシークレットゲストの登場にギャンギャンとボルテージを爆上げしていた。
和室では気を利かせて弟が、乾燥の終わった洗濯物をたたんでいたのだが、なにやら母の悲鳴が聞こえてくる。几帳面すぎる弟は、さっき脱いだ家族の服も、ぴっしりきれいにたたむのだ。どれがばっちい服で、どれがきれいきれいな服なのか、まるで見分けがつかなくなった。母が一枚一枚、嗅ぎ分けるという大役に泣く泣く徹していた。
そういうわけで、いろいろあって、顔をアレして、服をコレして出かけるので精一杯だった。
わたしだけ、朝ごはんを食べそびれてしまった。
行きのタクシーで、母に
「おなかへった、なんかないかな」
「ええー!なんかって、なんやろ」
「ソフトせんべいとか、たまごボーロとか」
「何十年前の記憶なん。のど飴ひとつしかない」
もの悲しいセピア色の会話を、後部座席にとりつけられた、無人の小型カメラがとらえていた。今日はドキュメンタリー番組の取材も入っている。
自然な会話を記録しておきたいとディレクターさんからは説明されたが、会話らしい会話はそれくらいで、あとはほぼ眠ってしまった。
特に、弟の居眠りへの執着はすさまじく
日差しが入ると、寝ぼけたままパーカーを頭までかぶり、モンゴリアン・デスワームのような変貌を遂げていた。
「パーカーやねんから、フードかぶればいいのに……」
「そういえば、パーカーなんてぜんぜん着たことないから、フードの使いみちがわからんのやろね」
今日のために無地のきれいな服を探し抜いたせいで、まさかモンゴリアン・デスワームになるとは思わなかった。
しかし結局、万博記念公園の受付棟に着いたら、弟は服の上からビブスをすっぽり着ることになった。べつに村上春樹Tシャツだろうが、梅宮辰夫Tシャツだろうが、なんでもよかった。なんだ。
聖火ランナーはひとりで200mを走る。
でも、走るよりなにより、母が一番しんどかったのは「着替え」だった。
トップスはなんてことがないのだが、問題はボトムス。
いつもはベッドに寝ころがって、脱ぎ履きするのだが、今日は更衣室だから車いすに座ったまま着替えなければいけない。
「はい、いくでー!いっせーのーで!」
かけ声にあわせて、母がぐっと尻を浮かせ、わたしがボトムスを引っ張る。そんなに長く浮いていられないので、ちょっと浮いて、沈んで、浮いて、を繰り返す。
着替えたころには、母は登山でもしてきたかのごとき「やり遂げた顔」で、貧血ぎみに息を切らせていた。まだ走ってもないぞ。
上下、聖火ランナーのユニフォームに着替えたら、一時間のオリエンテーションを受けた。
オリンピック関係はレギュレーションが厳しく、車いすに印字された「どっかのメーカーのロゴ」は、大人のホニャララの事情で、黒いテープをペタペタ貼って隠された。
「こちらが聖火トーチです!本番はこれに火をつけるためのガスボンベがつきますので、1.2キロになります」
そう言って、スタッフのとにかく明るいお姉さんから渡されたのは、上から見ると薄いアルミ金属が、桜の花の形になっている、ピンクゴールドの美しいトーチだった。
1.2キロと聞いて、母はホッとした。
主治医の先生から「走ってもいいけど、3キロ以上のものは、なるたけ持たないように」と言われていたのだ。ちなみに、火の鳥をモチーフにしたソチオリンピックのトーチは1.8キロだったので、軽量化バンザイ!
「一応、トーチキスのあと、推奨ポーズが二種類くらいあるんですけど」
そういってお姉さんが見せてくれたのは、なぜかサンドウィッチマンのお二人が陽気にポーズをとっている資料だった。
けっこう難しい。
足を曲げたり、二人で交互にポーズをとったり、右手と左手をべつべつに動かしたり。
案の定、母が大混乱していたので
「あっ!これをやらなくても、オリジナルのポーズや、簡単なポーズでもぜんぜんいいですよ!」
と助け舟を出されて、とにかく満面の笑みで手をヒラヒラする省エネポーズを母は編み出した。ナイス。気持ちが伝わればいいのだ。
ここで、母と弟とは、いったんお別れになる。
わたしは徒歩で公園内スタート地点の応援エリアに向かうのだけど、そのあいだに、別所隆弘さんと合流した。
覚えているだろうか。
まだエッセイを書きはじめたばかりだったわたしのnoteを読んで、弟との滋賀旅行を撮りにやってきてくれた、スーパーカメラマンだ。
今回の聖火リレーは無観客で行われるけど、ランナー1人につき、4人まで沿道で応援できる。もちろんマスクをつけて、距離をたもってだ。他のランナーの様子は見れず、きっちりと200mごとに区分けされてるので、密にはならない。花粉は密になってたけど。
スーパーカメラマンは今回、スーパーソーシャルディスタンスなでっかい車&激烈超望遠カメラで、駆けつけてくれた。
「こんな一世一代の岸田家のイベント、撮らしてほしいがな!」
いろんな仕事を調整してくれた別所さんに甘えて、ここからは、撮ってもらった素敵な写真と一緒にお送りしていく。
最高では?
走行開始の45分くらい前に、母と弟がスタート地点にバスでやってきた。
「ほな、ちょっとリハーサルしてみよか」
母がトーチを持って、弟が押す。
……押さない。
弟が、押さない。
「えっ、なんで?」
「……ので」
なにかを、もごもごと言っている。
「おなかが、へりました、ので」
ファミリーマートでふんぱつして買ってきた「ごちむすび 牛めし」を、サッと渡した。でかいおむすびなので、10秒チャージどころか、10分チャージくらいになった。
ぺろりと弟がたいらげる。
「よっしゃ!ほな、車いす押して、ちょっと走ってみて」
……走らない。
弟が、走らない。
「どうして!?」
「あぶないです、ので」
なるほど、なるほど。
そうだよね。母、2週間前までガッツリ入院してたもんね。走るなんて危ないよね。でもそのために今日は、きみがいるんだよ。大丈夫だ。やってくれ。
「っていうか、かっこわるいので」
「かっこ悪いとは!?」
母の車いすを押す自分がかっこ悪く見えるからかと思ったが、弟はもっと思慮深かった。
母がかっこ悪く見えることを、弟は気にしていた。
なるほど、なるほど。
そうだよね。母、いつも、自分ひとりでブイブイこぐもんね。押してもらう人じゃないもんね。
母はあわてて
「ちゃうんねん!今日はママ、このトーチ持たなあかんねん。だから押してもらわんと、走れへんのよ」
弟は、ゆっくり、水浴びを楽しむカバのように首を横に振る。
これはアカン。
走行10分前にして、大説得大会がはじまってしまった。
「そんなこと言わず、走ったってくださいよ、たのんますよ。一年前から約束してたじゃないっすかあ」
「ちょっと、かんがえる」
弟に忖度はきかない。
一生に一度の記念だから。そういう決まりだから。テレビの取材があるから。
大人なら「ようわからんけど、しゃあないな」と丸め込める事情も、弟には「しゃあなくない」。大切なのはいま、自分が、納得できるか、できないかである。
弟が走らんかったら、どないしよう。
車いすにトーチをひっかけて母がひとりで走ることもできなくはないが、今からだと準備が間に合わないし、母の体力も保たない。
あと5分。もうあと二走者で、母に火が渡る。
そのとき、弟が、ゆらりと立ち上がった。
ぐねぐねと、足のストレッチをはじめる。
これは……ひょっとすると、ひょっとするか!?
「すみませんが、ご家族の方はゴールの方でお待ちください」
警備員さんにうながされて、わたしは後ろ髪をひかれる思いで、スタート地点をあとにした。あとは弟を信じるのみ。、
ゴールで、ハラハラしながら、待った。
先導車が、ゆっくり、ゆっくり、こちらへ向かってくる。
それに隠れて、母の姿は見えない。
走っているんだろうか、それとも。
がまんできず、みんながランナーに注目しているなか、わたしは一人だけスマホの画面を見つめた。NHKの特設サイトで、リアルタイム配信があるのだ。
「岸田ひろ実さんが、いま走っています」
サイトに、その一文が表示されている。
アッ!
動画を見る。
顔を上げる。
車が過ぎ去る。
母と弟が、見える。
は、は、走ってるー!!!!!!!!!
走っ……歩……歩いて…?……いや、走ってる!走ってる!いけー!
想定の6倍くらい遅いし、なんだったら伴走の人たちもみんな、歩いてるけど!弟はハアハア言ってるし、母の聖火を持つ手はプルプル震えている。
走っているのだ。
誰がなんと言おうと、二人は走っている。がんばってる。
胸に熱いものがこみあげた。普通なら泣いたり、手を叩いたりするところだが、なぜかわたしは爆笑していた。
二ヶ月前まで、感染性心内膜炎で死にかけとった母が、弟と、走っとる。拍手が聞こえる。一人ぼっちで入院していた母が。
スマホがとめどなく震える。
いろんな人から「観てます!」「すごい!」「がんばれー!」と、リプライやメッセージが飛んでくる。みんなが見ている。わたしは爆笑している。たぶん、ちょっとだけ、泣いてる。
あっというまに、次の走者へのトーチキスになった。
(写真は、わたしが見れなかった、最初にトーチキスを受けるところ/カメラマンは並走したらあかんので)
母の腕がプルプルしているのをわかってか、弟がそっと腕に手をそえていた。よくやった。気が効く。
なぜか手だけは、アロハだったけど。常夏のように晴れやかだ。そのままハワイまで駆け抜けてくれ。
走り終わってから、母はインタビューを受けた。
「聖火リレーを走ってみて、どうでしたか?」
「二ヶ月前、生きるか死ぬかの間をずっとさまよっていました。手術が成功しても、後遺症で動けなくなるかもと言われて、不安でした。でも、聖火ランナーとして走るという役割をいただいていたから『元気な姿を見せられるようにも、なんとかここに来たい』という、小さな目標ができました」
「一度は延期になった時に、感じられたことは?」
「オリンピックを開催することが、いまの日本にとっていいことか、悪いことか、はっきりと自分の考えを言えません。だけど、延期してでも、今日ここで走らせてもらえて、本当によかった。自分だけで決めたことなら、こんなことはできない。人に求められないと、頼まれないと、踏み出せないことってある。みなさんのおかげで、達成感でいっぱいです」
ありがとうございます、と母がお礼を言った。
神妙な顔で見守っていた弟も、ぺこりと頭を下げた。えらい。
母と一緒に並走してくれたお姉さんたちは、車で全国の聖火リレーの拠点をまわり、運営の仕事をしているらしい。明日からは四国に移動だ。
沿道では、たった四人の応援の人たちが
「おじいちゃん、がんばって!」
「ママ、かっこいいよー!」
と、お手製の垂れ幕やうちわを持って、嬉しそうに応援していた。嬉しいよなあ。だって、だれかに頼まれて、手を振られながら、喜ばれてゴールまで走ることなんて大人になってからほとんどないんだもん。
ほかにも、母の前に走った人たちは、夫婦でトーチを繋いだり、1964年の東京オリンピックで副走者をつとめて憧れていたり、それぞれの思いを抱えていた。
嬉しいよね。
見てる方も、すごく、嬉しい。
聖火リレーは、いろんな意見があることはわかっているけど、前に向かって走るということの清々しさを知ることができて、本当によかった。JALのみなさん、母をランナーに選んでくださって、ありがとうございます。
きっとこれからも、この日のことを思い出して、前に進む。歩いてんのか、走ってんのか、よくわからんスピードで。たまに転んでるけど。
「走ったねえ」
「走ったよお」
帰りのタクシーでうとうとしながら、母と笑った。弟はまた、モンゴリアン・デスワームで爆睡していた。
↓ここから先は、キナリ★マガジンの読者さんだけ読める、おまけエピソード。いつもはマガジン購読やサポートのお金を、岸田家の生活費にしていますが、この記事だけはカメラマンの別所隆弘さんとわけわけ(わたしが勝手に決めました)して、なにかおいしいものを別所さんに贈ります。
みなさん、いつもありがとうございます。
胸がいっぱいで、追加で書けることがあんまりないから、載せきれなかった写真をできるだけたくさん、ここに。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。