神社じゃなかった
二週間と、さらにおかわりで一週間の入院を経て、やっと母が帰ってきた。味わい損ねた正月が、これから遅れて始まる。
なにはともあれ初詣やね、と話していたとき。
四年か五年に一度、この文脈で不意に持ち上がる懐かしい思い出話があり、その一度を迎えた。
「初詣で思い出したけど、アレ、なんやったんやろな……」
昔、うちの父が初詣に連れ出してくれたのだが、神社と間違えて到着した先が、ゴリゴリに特殊な宗教施設だったことがある。
わたしが小学校中学年、弟が低学年のころである。
遊び盛りを炸裂させ、年末休みは餅より駄々をこねまくっていたが、父はリビングでトドのように寝転がるばかりであった。
父は人混みが大嫌いなのだ。
どれぐらい大嫌いかと言うと、大阪にユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開業したとき「ジュラシック・パークに乗せたるわ!」と自慢げにアトラクション乗り場まで連れていってくれたが、遠くから行列に気づくなり「こっちが近道や」などとわたしを誘導し、そのまま駐車場に出た。泣いた。
初詣なんぞ、父が行くわけもなく。
「あんなにぎょうさんおったら、神様かてどこのどいつの願い事かわからんわ。いま行くヤツはアホやぞ、アホッ」
負けじと屁理屈を餅のようにこねる父だった。
こりゃ今年もなんも起こらんなと諦めていたら、突然、1月2日だったか3日かの昼すぎに、
「おう、初詣行くから準備せえよ!」
と父が号令をかけた。
寝耳に水の大騒ぎである。動かざるごとトドのごとし父が、松の内が明けるのを待たずして動いたのだ。
わたしは大興奮、弟はわけもわからずポカンとし、母は嬉しいような困ったような顔をしていた。
「なんでまたいきなり」
「ふっふっふ。あのな、めっちゃええトコ見つけとんねん」
氏神とか氏子とか、そういう常識を持たざる父である。
父が言うには、そこは大層にリッパな神社で、ごっつい山の中にあるため、参拝客がほとんどおらず空いているのだという。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。