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失われたサトテル丼と鎮魂の通訳士

ウッキウキで行列に並んでたら、目の前で買い占められ、膝から崩れ落ちそうになったっていう、ようある、ようある話なんよ。

ようある話やのに、まさか自分に起こると思ってなくて、立ち直れないので、書かせてください。読むタイプの人助けだと思ってください。


阪神タイガースのシーズン最終戦で、事件は起きた。

まさか、チケットがとれると思わなくて。

もうね、すべてを楽しみにしてた。甲子園球場で食らうメシすらも、希望にまみれてた。

阪神タイガース公式サイトより「監督・選手コラボグルメ」

わたしのお目当ては、

「サトテル(佐藤輝明選手)の豪快!牛すじビビンバ丼 ¥1300」


である。

もやし、ぜんまい、にんじんのナムルが三種類とも乗っているのは、開発中にどれが乗せるか選べと試食させられたサトテルが、

「えっ……全部入れたらいいんじゃないっすか……三種類入れた方が美味しいでしょ……」

真顔でスタンド直撃ド正論をかましてくれた結果である。慈悲。つまりこれはサトテル慈悲丼。

カロリーも慈悲級なので、わたしはお昼ごはんを抜き、腹ペッコペコで球場へやってきたのだった。

うおおおおお!

絶ッ対勝つぞ、タイガースッ!


三回裏。
グラウンド整備が挟まる。

時は来たり!

はやる心をおさえ、階段を降り、スタンド裏の売店へと駆け込んだ。

むちゃくちゃ並んでた。

慈悲にあやかるためには仕方がない。5分、10分、と過ぎていき、とっくに四回の攻撃が始まったが、列は伸びる一方だった。

15分は、経っただろうか。

ついに、順番が次まで回ってきた。わたしの前では、野球帽をかぶった、ごく普通のおじさんが注文しようとしていた。

サトテル丼!
サトテル丼!

空きっ腹にサトテル丼を迎え入れられる喜びで、わたしは油断していた。

レジで、おじさんが口を開いた。

「サトテルのビビンバ、いくつあるん?」


いくつあるん……?

まだあるん、の聞き間違いだと思った。ビビンバが何杯あるかを尋ねるような場面に、人生で一度も出くわしたことはない。

案の定、レジのお姉さんも、固まっていた。

「いくつあるん?」

「っと……いち、に………12杯です」

「ほな、サトテルを12杯ちょうだい」

「えっ」

ヱ!?!?!?!?!?!?!



サトテルを12杯。
聞いたことない単位すぎる。ソシャゲの素材じゃねえんだぞ。

頭が真っ白になった。

小さな売店のレジは、途端にパニックとなった。保温ランプの下に積まれていたサトテル丼が、ガッサー!と持っていかれ、バイトが手分けしてビニール袋に詰め込んでいる。

バイトリーダーっぽいおばちゃんが、厨房で叫んでいる。


「サトテル丼、売り切れました!」


なん……だと……!


おおおおおおおおお落ち着け。
大丈夫。まだ大丈夫。

阪神タイガースには森下翔太がいる。


「ご飯がすすむ!森下のピリ辛豚キムチ丼」が、まだ控えてる。切り替えろ。こっちだって絶対においしい。ぶっちゃけ、サトテル丼と最後まで迷ってたし。いい。全然、いい。むしろこっちがいい。

しかし、おじさんのターンはまだ終わっていなかった。

「森下は、いくつあるん?」


「えっと、えっと……15杯です」

「じゃ、森下も15杯」


「森下丼、売り切れました!」


15杯の森下が連行されていった。一瞬でサトテルと森下が消えた。主砲が。主砲が。

なにが起きてるんや。ド軍の買収か。


「おっ、近本もあるやないか、それ10杯くれ」

「す、すみません。近本のさっぱり牛カルビ丼は、あと6杯しか」

「ないんかいな。ほな6杯でええわ」

「近本丼、売り切れました!」

日本プロ野球界の危機!

ずっとおじさんのターンである。注文が止まらない。売店の在庫がすごい勢いで焼き尽くされていく。積み上がる33杯の丼。

わたしの後ろに並ぶ人たちも、やっと様子のおかしさに気づいたのか、ざわざわし始めた。

頭上のポスターに売切の札が貼り付けられる度に、悲鳴が上がる。舌打ちをして、列から抜ける人もいる。お通夜のような雰囲気。丼通夜。


もう、もうやめて……!


「あとは、なにがあんのや?」

やめて……やめて……!

「勇ちゃんの麻婆丼だけです」

「よっしゃ!全部くれ!」


勇ちゃん!!!!!!!!!!!


わたしの後ろに並んでいた子どもが、大泣きした。気の弱そうなお父さんが、手を引いて「あっちで甲子園カレー食べよう」などとあやしている。

子どもが「サトテル、サトテル……」と、うわ言のようにつぶやきながら、人混みへと消えていった。

すべての丼が売り切れた。
すべての猛虎が買われた。

俺たちの村が焼かれている。

「えー……」

列を抜けるかどうか、悩んでいたお姉さんが、わたしに聞こえるように文句をこぼした。当然である。

つられて、わたしも、口から出てしまった。

「えー……」

それまで上機嫌そうにレジのお姉さんと雑談しながら、丼の到着を待っていたおじさんが、目を剥いて、わたしを振り返った。

「なんじゃボケェ!文句あんのかゴルァ!」


ヒィィィーーーーーーッッッ!

ほぼ同時に、スタンドが湧く音がした。森下がデッドボールで出塁したのだ。怒りの野次が飛んでいる。あっちも戦争。こっちも戦争。

このまま殴られて、わたしは死ぬのであろうか。

ネットニュースになるんだろうな。
サトテル丼が原因で殴られて。丼死。

おじさんの血走った視線を、そらし続けていると、

「いつもありがとねえ!こないだみたいに、お箸は、ドバッと入れちゃっていい?」

バイトリーダーっぽいおばちゃんが、レジのお姉さんを押しのけ、奥から身を乗り出してきた。助かった。

おじさんが、おばちゃんと喋り出す。

「オウ、頼むわ」

こないだみたいにということは、このおじさんは、まさかの常連なのである。この爆買い、今日だけじゃなかったのか。

「こない買ってもろて、食べきれへんのとちゃうん?」

「明日の朝メシになるやろ」

明日の朝メシ。
耳を疑った。今日の奈美はここにいる。

サトテル丼を朝に食べてもおいしくないだろ。サトテルすら食べないよ。考え直してよ。

おばちゃんは、なにかを急かすように、大声でまくし立てる。

「今日もお支払いは金券で?」

「せや!頼むわ!」

おじさんは、ポケットから、メモ帳の分厚い束みたいなものを取り出した。それは金券だった。阪神タイガースのロゴが印刷されている。

ベラベラベラーッと、大量の金券をめくる。

「まあまあまあ!お預かりしますねえ!」

おばちゃんが、それを一枚ずつ、まるでわたしたちに見せびらかすように数えた。

それにしても、声のでかいおばちゃんである。

彼女が何の使命を果たそうとしているのかを、わたしは、まだわかっていなかった。

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