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ナミー・ポッターと胆汁の石

「なんかちょっと……ここの具合が悪いねん」

お腹をさすさすしながら、夕飯の席で母が言った。週末なので弟もいた。弟など真っ先に「ええー、ほんまか、だいじょうぶか」とおもんばかるキャラなのだが、今夜ばかりは、待てど暮らせどおもんばかる気配がない。

それはわたしも同じで、なんと声をかけたらいいかわからなかった。

わたしたちの目の前には、すき焼きの鍋があるのだ。

それも、ええ感じに煮えたぎっているのだ。

わざわざデパ地下の肉屋で極上肉を調達し、米もぴかぴかに炊いた。さっき混ぜた卵だってコレ、神戸の特権階級ご用達のいかりスーパーで買ってきた。食卓に広がるこの豪華さったらもう、夕飯界のマツケンサンバである。

わたしと弟は、うつむいて黙ったまま、チラッと横目で視線をあわせた。

最高潮に上がったサンバのテンションが、突然の病人の出現により、行き場を失っている。せめて、せめて、そういう重めの話は、すき焼きの後に打ち明けてほしかった。

母のことは相応に愛しているがゆえに、姉弟は葛藤していた。ここでバクバク食ったら、人でなしみたいじゃんか!

これは……食いながら話を聞いても……ええやつやろか……。

わからない。病状がわからない。食べたい。はよ食べたい。でもできることなら、楽しみながら食いたい。だって今日はすき焼きなんだから。

熱が通りすぎていく極上肉を見ながら「へえ」とも「ええ」ともつかない微妙な相槌を、吐息混じりに打った。

「奈美ちゃんと良太は、わたしの分まで食べてや」

これをさらっと言えるのが、親のすごさだと思う。わたしと弟はいつだって、大皿の料理を、どちらかが泣くまで取り合っていた。わたしもいつか、好物をさらっと譲れる人間になるんだろうか。

とりあえず、母の表情を気にしい、気にしい、わたしたちは一旦はすき焼きを食べることにした。母には申し訳ないと思っているが、食欲と同情の両立はかなりセンシティブなのだ。


日曜の夜なので、病院はもう閉まっている。

母は心臓の基礎疾患があるので、かかりつけ医の救急窓口に電話で相談した。かかりつけ医といったら大きな病院へ行く前に診察してもらう、街のお医者さんのイメージがあるが、何度も死にかけた母のかかりつけ医は国立の大学病院である。

「僕ときたら、フラッと旅行する先はハワイって決まってるからね」と自慢するスネ夫のよう。僕のかかりつけ医は大学病院だからね

電話では、心臓病ではなさそうなので、あす朝まで待ってから病院へ来てほしいということだった。

「胃炎にしては、みぞおちのあたりが痛いねんなあ……」

母が何度も言うので、それならと、ちょっと調べてみた。

わたしも初めて知ったけど、質問に答えていくと、可能性の高い病気をAIが無料で教えてくれるサービスがあったので、使ってみた。

もちろん、ちゃんと病院で検査しないとなんとも言えないけど

『胆石症』

の初期症状の可能性が、どうやら高そうとのこと。

石といえば、宮沢賢治。

金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河

宮沢賢治の作品には、石を宇宙に見立てる表現がたくさん出てくる。とにかく美しくて、溜め息が出てしまうほどなのは、ご存知の通り。

わたしの机にもアポフィライトという天然石が置いてある。石というのは、宇宙を見せたり、お守りになったり、ありがたい存在なのだ。

それが、どうだ!

石は石でも、人の体の中で精製された石ほど、ありがたくないものはない。胆石にしろ、尿路結石にしろ、大の大人が鯉のごとくのたうち回るほど痛いという。見たことないけど、たぶん、美しくもないはず。美しかったらみんな多分、記念に結石でブローチなどを作っているはずなので。宮沢賢治が小説で使っているはずなので。あのきらびやかな胆石でできた銀河。

石ってのはどこで生まれるかによって、ありがたみが変わるんだなあ。

「いたいいたいいたいいたい」

上向いても、横向いても、下向いてもどうにもならず、ベッドで焼成中のバウムクーヘンみたいに回転している母を眺める。

賢者の石よりよっぽど、恐ろしくて邪悪な石かもしれない。

以前、パワーストーンを探しては売りさばいている知人から教えてもらったのだが「石の声を聞く」というのが大切だそうだ。

山の中にあるパワーの強い石も、そこにずっといたいと叫んでいたら、動かさない方が良いという。さもありなん。

「ちょっと、失礼」

わたしも知人にならって、母のみぞおちに、ピタッと耳をつけてみた。石よ、わたしの呼びかけに、応えて……!

ギュルギュルギュルギュルという、町工場みたいな内蔵の音が聞こえるだけだった。

「どれぐらい痛いん?」

「うーん」

「ズキズキする?」

母は首を横に振る。

「キリキリする?」

また首を横に振る。

「例えるなら?」

母は考え込むように、少し黙った。

「み、みぞおちを……」

「みぞおちを」

「ぐ、具志堅用高の……」

「具志堅用高の!?」

「ストレートが、ス、スローモーションで入ってくる、みたいな」

「ええ……」

具志堅用高の左ストレートをスローモーションでズモォォォォとみぞおちにくらってる母を想像して、どうしたらいいかわからなくなってきた。ちょーーォーっーーーちゅーーーねーーェェェーーと言いながら、ゆっくりと振り向く具志堅用高が見える。ような気がする。

わたしは胆石のことにはまるで詳しくない素人だが、具志堅用高にみぞおちをやられたら、ただで済まないことだけはわかる。

「救急で病院、行く?」

母はうめきながら迷った末、朝までならガマンできる、と言った。


深夜と早朝の境界線、午前4時。

爆睡していたわたしは、ただならぬ気配を感じとり、目を覚ました。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。