飽きっぽいから、愛っぽい|家族旅行は白く霞んで@鳥取県の大山の麓
キナリ☆マガジン購読者限定で、「小説現代5月号」に掲載している連載エッセイ全文をnoteでも公開します。
表紙イラストは中村隆さんの書き下ろしです。
幼いころ、弟はいつもフードつきのスウェットばかり着せられていた。
障害の特性なのか、同年齢の子どもたちに比べると明らかに落ち着きがなく、彼はまるで跳ね回るパチンコ玉だった。
ついさっきまで地面へ座っていたと思えば、ワープしたかのような速さで道路へ飛び出し、間一髪、母に抱きとめられて命拾いしたこともある。
びっしょりと汗にまみれて心臓をバクバクさせる母は、弟の服すべてをフードつきに替えた。万が一のとき、フードを引っ張ってでも弟を止めるためだった。
パチンコ玉を擁するわが家では、休暇の行楽に次々と“バツ”が増えていった。
新幹線、飛行機、電車。弟がじっとして乗ってられないので、バツ。ホテル、旅館。弟が日の出を捕まえにゆくかのごとく夜通し走り続けるので、バツ。動物園、水族館、遊園地。人がたくさんいる場所では叫びだしてしまうのでバツ。
バツ、バツ、バツ。
もう安寧の地は自宅のみかと思われたが、父や母は、マルを探して奮闘してくれた。
知らない土地で、知らないものに触れれば、知らないなにかに出会える。どうにも生きづらい家族だからこそ、そういう希望を見続けていた。
わたしたちは、オアシスを求めて、旅をするキャラバンだった。ラクダは逃げたが。竜巻に飛ばされたが。蜃気楼もたぶん百個くらい浮かんでるが。
わたしが八歳、弟が四歳くらいのときだ。
夏休みの旅行先は大山に決まったと、夕食の席で父から仰々しく発表があった。大山は、砂丘とならぶ鳥取県の自然遺産だ。
ハンドルが取れるんちゃうかと思うほど軋む音を立てるボルボ940を西へ走らせ、到着したのは、大山の麓に建つ一軒家。三角屋根から煙突がはえていて、駐車場にまで古びた木の香りが漂ってきそうな佇まいだ。それがホテルでも旅館でもなく、ペンションというのだと初めて知った。
なぜそのペンションを選んだのかというと、人里離れていて閑散としており、三食出してもらえ、家族みんなで一斉に入れる風呂があり、弟がはしゃげるキッズルームが夜通し開放されているから、とのことだった。
そんな条件の宿、今どき、楽天トラベルで検索してもヒットしない。ネットが普及してない時代に、よくもまあ、見つけてきたもんだ。父と母の執念じみた希望を感じる。
オアシスは鳥取に存在した。
ペンション、ペンション、ペンション。
初めて耳にする魅惑の単語を、八歳のわたしは歌うように繰り返した。なんだか素敵なことが起きる場所のような気がした。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。