指定された席になど座れない in パリ
パラリンピックの観戦直前で、チケットを失うという珍事に見舞われたが、
なんとかしてもらって、なんとかなった。
これで、車いすテニスの決勝戦が観れる!
パリに着いて、いざ!
ここが、スタッド・ローラン・ギャロス。
全仏オープンも開催される、歴史ある会場。
壁が一面、ギャロスギャロス!ローランド!スタッドローランド!ギャロスギャロスギャロス!と叫んでる。よくわからんが、すごい。
ここで、日本の上地結衣選手がメダルをとる瞬間を、観れる……!
車いすテニスの競技場は、一階席、二階席、三階、四階席があり、コートに近いほど、チケットの値段も高くなる。わたしと母は、奮発して、二階席を買っていた。
チケットには、
二階席 11ブロック 4列 97番 車いす席
と、書かれていた。
「ワーッ!」
競技場の中から、ものすごい歓声が聞こえる。選手の紹介がはじまったのだ。もうすぐ試合開始だ。身震いした。
入り口で、青緑色の爽やかなポロシャツを着たスタッフが、ニッコニコで待っていた。彼らがパラリンピックの運営の大半を担う、ボランティアだ。
4万5000人の定員に、30万人が応募したらしい。やる気がすごい。
「ボンジュール!」
満面の笑みで、チケットを見せた。
「……?」
ボランティアのお姉さんが、チケットを見るなり、固まった。
「……?????」
この不穏な間は、なに。
「えっと……そうね、このエレベーターで上へ行ってね(フランス語)」
お姉さんが奥のエレベーターを案内してくれた。ホッ。
乗り込んで、すぐに気づいた。
二階がない。
四階しかない。
母と顔を見合わせた。エレベーターの扉が閉まる。車いすで階段をのぼるわけにもいかない。
「とりあえず四階に行ったら、ええんかな……?」
「そうちゃう?お姉さんもそう言ってたし」
四階に到着した。
コンクリート打ちっぱなしの大きな廊下になっていて、コートを取り囲むように、観客席に続くゲートがたくさんある。
ゲートにはブロックの番号が書いていて、92、93、94……
あれ、11なんか、どこにもあらへん。しばらく廊下を歩いてみたけど、見つかりそうにないので、ゲートの前に立っているボランティアに聞いた。
「すみません!この席に座りたいんですが」
ボランティアの男性が、ウイ!と元気に返事をして、わたしのチケットを見る。
「……?」
またもや、不穏な間。
チケットを凝視して、しばらく黙っていた彼が、パッと顔を上げた。
「右!」
「えっ?」
「右だよ!右!」
「いや、でも、右から来たんですけど」
「右へいってらっしゃい!」
実際には英語で「Right!」を元気に連呼された。そこまで自信満々に言うなら、戻るしかない。でも、歩いても、歩いても、ゲートは90番台が続くのみ。
ほかのゲートの前にいるボランティアにも、聞いた。
「ここじゃないよ、右に行ってみて」
また右に行って、ボランティアに聞いた。
「うん、右かな?」
ひたすら、右へ、右へと、リレーされる。わたしと母はゼエゼエ言いながら、めちゃめちゃ広い外周を右まわりに走る。もはや部活である。
案の定、一周して、戻ってきた。
さっき「右だよ!」と、自信ありげに教えてくれたボランティアに、すがりつく。
「ここじゃないよ!たぶん、右だよ!」
まさかの二周目。監督、もう、もう、走れません。
「右に別のエレベーターがあるってことですか?」
食い下がったけど、
「とにかく右へ行って、別の人に聞いてほしいな!」
よく見ればこの彼、同じように迷っている客も、とにかく右へと流している。スシローの店員並みに流している。
責任のたらい回しリレーが開幕。とりあえず、目の前に滞留しているものを、右へ流して、動かせばオッケー!ということか。
かつて、掃除とはゴミをこの世のどこかからどこかへ寄せるだけのこと、と言い放った怠け者のことを思い出した。
だめだ。この不毛なリレーから抜け出さないと。
「わたしたち、四階じゃなくて、二階の席なんです」
「二階へ行くエレベーターはないよ!」
どんだけ探してもなかったから、知ってる。
「でも、チケットにそう書いてるんです。二階席で観てる、車いすの人もいるみたいだし……」
そう。
ゲートの隙間から、チラチラと中の観客席が見えるのだが、
二階席に車いすが見えるのだ。あそこに行く方法は必ずある。
ひときわ大きな歓声が聞こえた。
試合がはじまったのだ。
観たい。
観たすぎる。
でも入れない!
ボランティアの彼が、ついに動いた。
「ちょっと考えてくるね」
か、考えてくる?
聞いてくるではなく!?
けど、納得してしまった。ここまで、何人ものボランティアに質問をしてきたが、だれも上司や仲間に、聞く気配がないのである。
手には、マニュアルもない。
トランシーバーもない。
統率からは程遠い。なんつうか、全員が、ノリで動いている。
しばらくして、彼が帰ってきた。
「オッケー!なんかよくわかんないけど、入りなよ!」
ノリで動いている!
二階席のチケットで、わたしたちは、四階席のゲートに入った。
「ウワーッッッ!」
視界に飛び込んでくる、オレンジ色の鮮やかなクレイコート。車いすのタイヤ跡がくっきり浮かんでいる。
上地選手がいる!
子どもたちが、お手製のパネルを掲げて、応援歌をうたってる。この空気を味わうだけでも、かなり興奮してくる。
車いす席は、このガラスパネルがナイスで、立ち上がれなくても視界が遮らえない。試合に没頭してしまった。
車いすテニスって、すごい。
車いすはターンしないといけないから、どうしても、相手に背を向ける隙ができる。どうするかと言うと、上地選手は、打った瞬間から相手の打球コースを読んで、背を向けて、走るのだ。
そして、ちゃんと、球がそこに飛んでくる。
腕力、瞬発力は当然、そこに読み合いが加わる。息を飲んでしまう。
「奈美ちゃん、奈美ちゃん」
母が小さな声で、わたしを呼んで、後ろを指さした。
振り返って、ギョッとした。
人が、パンッパン!
車いすに乗った観客たちが、詰めかけていた。明らかに席数以上の人数が、ここに誘導されている。
「ぼくの席が!ぼくの席がないよ!」
あせっている人がいた。それもそのはずである。だって、わたしたちが、座ってるんだもの。
それ見たことか!それ見たことか!
騒ぎを聞きつけて、ボランティアの彼が舞い戻ってきた。
「あー、うん。じゃあ、みんな、もっとつめて!」
「つめて!?」
「隙間ないように、ギュッギュって!そしたら入れるよ!」
テトリスちゃうねん。並んだら消えるわけでもないねん。
たちまち四階席は、車いすの人でムギュムギュになった。熱気がすごい。できたて車いす団子。動けん。もう知らん。
試合に熱中し、上地選手が金メダルをとるのを目撃して、思わず泣いた。泣きながら、わたしは、ちょっと思った。
ほんまは、二階席で観るはずやったのに……!
上地選手が、サインボールを二階席に打ち込んで、大歓声を浴びていた。
後日、車いすバスケットボールと、閉会式も観に行った。こっちもねえ、いい席を仕入れたんスよねえ、えへへ。
案の定、一度も指定席には座れなかったけどな!
一時が万事とはこのことよ!
勘違いさせたくないのだが、ボランティアの人たちは、冷たさなど微塵もない。
優しく声をかけてくれて、陽気にハイタッチしてくれて、
母の車いすをスイスイ押してくれたりする。自分の持ち場をいきなり離れることに、なんの躊躇もない。行動が早い。
そして、突然、
「じゃっ!このへんでみたら、気分がいいと思うよ!」
陽気に放置していく。
もちろん、チケットに書かれている指定席とは、まるで違う席に。
会場内は人も多く、ゲートがいくつも分かれているので、一度入ってしまうと、正しい場所に移動することはかなり難しい。
そこで観るしかない。
もう指定の意味などない。値段の高い、安いも、誰も気にしてない。これはガチャ。観戦ガチャである。
チケットを見せて、
「わたしの席、どこですか?」
聞いたとしても、ボランティアの人々は、
「I don't know!」
と笑って、励ましてくれる。
最高に優しくて、最高に適当なのだ。
車いすバスケ男子決勝戦、クラブみたいに派手な演出で、とにかくかっこよかった。チケットも全席完売。
もちろん、わたしたちは、全然知らん人の席で観た。
わたしたち以外の観客も、勝手に好きな席に座っているようで、当然、席がかぶって話し合いが起きることもあった。
フランス人の家族グループが途中からやってきて、自分たちの席がすでに埋め尽くされていることに、困っていた。
そして、すぐ、観客と交渉をはじめた。
早口のフランス語すぎて、なにひとつ聞き取れなかったけど、
「あんたの席いうても、知らんがな」
「知らん言われても、知らんがな」
「知らんっちゅうねん」
「知らんで済まへん言うてんねん」
なぜか、なんとなくわかってしまう。関西弁の副音声が聞こえてくるようだ。チャウチャウちゃうんとちゃうのテンションだ。どこの国の人も、やっっぱこんな感じなんだ。
そして、ボランティアの人は、交渉には一切入らない。
優しげな目は、見守りながら、こう告げている。
ねだるな、勝ち取れ。さすれば与えられん。
交渉を三十分は続けて、やっと、席を譲ってもらっていた。いや、譲るっていうか、もともとその人の席やねんけども。
ただ、交渉をしぶるマダムの一言が、衝撃だった。
「あなたが困ってるのはわかるけど……わたしったら、もう、ここで落ち着いちゃったもの」
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