思い込みの呪いと、4000字の魔法
「奈美と結婚しても、ダウン症の弟くんの面倒を見る自信がない」
高校生の時、付き合っていた彼氏が言った。
ショックだったのは。
明るかった彼の、思いつめたような表情でも。
とつぜん切り出された、将来の話でも。
障害のある弟を、否定されたことでもなかった。
っていうか結婚とか急になにを言い出してんねん、どうしてん。
なにより「弟は私に面倒をかける存在で、私がその面倒を見なければならない」と思われたことがショックだった。
今まで、弟を面倒だと考えたことがない。
そりゃ弟は、人よりもの覚えが遅いし。
しゃべるのは下手だし。
こだわりも強い。
でもそれは「算数が苦手」とか「身体が硬い」とかと、同じじゃないのか。
お釣りの計算くらい私がやるし、側溝にボールが詰まったらこの可憐な身をよじって私がヒョイと取りに行きゃいい。
それらの行為を「面倒」と言うならば。
むしろ、面倒をかけているのは私だ。
私の2万倍優秀な弟について
何度も聞いた弟の声を、私はすぐに思い出せる。
「なみちゃん、まーた、わすれとる」
私は、信じられないほどの落とし物をする。
SNSで「駅に『卒業生代表・答辞』の紙が落ちてた」と投稿されていて、なんとなく見に行ったら、私が落とした答辞だった。
家族の中で、誰よりも早く落とし物に気づいてくれるのは、几帳面な弟だ。(撮影:樹利佳さん)
「なみちゃん、くつした、ないない」
私の靴下は、いつも片方どこかへいく。
仕方なく、両足で違う色の靴下を履く。
部屋の各所に散らばる靴下を、両足まとめて“くるりんぱ”して、そっと片づけてくれるのも弟だ。
ちなみに弟は、目が覚めるような青色の服で統一している。
「ぼくな、きのうな、つくってん。うまいの!」
ゴールデンウィークで、この世の終わりのようにゴロゴロする母と婆ちゃんに代わり、弟はハヤシライスも作ったらしい。
食材を切ったのは母だけど。ていねいに炒めて、かきまぜたのは弟だ。
えらすぎるにも、ほどがある。
一方の私は、天かすをめんつゆに浸し、白米に混ぜたものだけで三食いった。
圧倒的に、面倒をかけているのは、弟ではなく私だ。
私より2万倍くらい、優しくて優秀だ。
なにを堂々と書いているのか。情けなくなってきた。
これは私だけでなく、母との共通認識でもある。
「でも良太は、奈美ちゃんの役に立つのが好きみたいやで」
母のフォローを真に受け、弟に「ガハハハ!どうだ!姉の世話はやりがいがあって、圧倒的な成長の実感があるだろう!」と、まあまあブラックなベンチャー企業みたいに振る舞っていたら、まあまあ本気で母からどつかれた。
幼稚園を卒園して、すぐのことだ。
母が私に言った。
「お姉ちゃんやからって、我慢しなくていい。弟の面倒なんて見なくていいし、楽しくなかったら、一緒にいなくてもいい」
それでも私が、短所を補いあいながら、弟と仲良くやってきたのは。
弟といるのが楽しかったからだ。
こういう話をすると、反応にむずかゆくなる時がある。
「ダウン症の弟さんを大切にして、立派なお姉さんですね」
「ダウン症の人は、天使ですよね」
悪気はないのはわかってるよ。
ぜんぜん、怒ってない。むずかゆいだけ。
でもなあ、ちょっと違うんだよな。
これってさ。
「花粉症の男って、天使だよね」
「わかる。鼻が詰まってて、こっちの汗の臭いに文句言わないしね」
「涙で視界がぼやけてるから、ノーメイクなのもバレないもん」
「花粉症の男はみんな、おおらかで性格が良いんだよ」
って言ってるようなもんなのよ!聞いたことあるかよ、そんな話!
いじわるなダウン症の人だっている。
我慢してダウン症の弟の面倒を見ろと押しつけられ、参ってる姉もいる。
花粉症の男にも、ろくでなしはいる。
声を大にして言いたい。
私はダウン症だからではなく、弟だから、愛している。
ダウン症の家族を、愛せない人もいて、当然だと思っている。
Twitterでこんなツイートを投稿したら、ちらほら、こんな反応があった。
「障害のある家族を持つ人が、全員幸せだと思わないでください」
「奈美さんのような理想の家族を見ていると、辛くなります」
むやみやたらに、私が見せびらかす愛は、人から人へと伝わるほどに中身を失い、時に誰かを静かに傷つけている。
刃の正体は「ダウン症だから家族を愛しているんだろう」という、思い込みだ。
差別は、形を変えて、そばにいる
差別という言葉がある。
鋭い。聞いただけでちょっとビクッとする。
私はなんとなく、あまり使わない。
「私は、差別しています」って、面と向かってストレートに言う人を、めったに見かけることもない。
障害者差別って聞くとさ。
障害者がお店を追い出されたり、会社で働けなかったり。
そういう、とんでもなく恐ろしいことってイメージもあるよね。
何十年も前は、そんな恐ろしいことが当たり前にあった。
今はたぶん格段に減った。
差別なんてもう聞かないよって、これを読んでるあなたも、そう思うかもしれない。
だけど、私は思う。
差別は、姿かたちをジワジワ変えて、今も私のそばにいる。
変身を遂げた差別のことを、私は「思い込み」と呼んでいる。
弟と遊園地に行った時のことだ。
3Dゴーグルをつけて、迫りくる立体映像を見ながら乗るジェットコースターに乗ろうとしたとき。
係員にあわてて止められた。
「障害のあるお客さまは、暗闇でパニックになると危険です。お姉さんが身体を支えてあげてください」
私は唖然としながら、私より逞しく、パニックのパの字も見せない弟の身体を支えた。
ゴーグルを着けることもダメだと言われたので、なんも見えんし、なんもおもしろくないし、弟ですら「姉ちゃん、どないしてん」みたいな表情をしていた。
ほんま、どないしてん。
車いすに乗っている母はときどき、タクシーに乗せてもらえない。
車いすでタクシーに乗り込むのは、時間がかかるし面倒そうに見えるからだ。
でも母は、一人でエイサと身体を持ち上げ、秒で乗るのに。
お高いカーボン製の車いすは、秒で折り畳めるのに。
これらはぜんぶ「障害者だから、できないだろう」という思い込みなわけだ。
でも仕方ないのよ。
自分で見聞きしたもの以外は、誰かの見聞きに頼って判断するしかないから。
こんだけ情報があふれてる時代だし。調べたらなんぼでも出てくるし。
そうやって、知らず知らず、耳と目に飛び込んできた情報が、思い込みをつくる。100%オーガニック熟成濃厚思い込みスープを。
私だって、そうだ。
思い込みスープを、知らんうちに煮詰めていた。
写真家でがん患者の、幡野広志さんに会ったとき。
私はおみやげのハチミツビスケットを渡すかどうか、オロオロした。
「がん患者の人は、食べものに気をつけているから、お菓子なんて渡したら嫌味になる」って、思い込んでいたからだ。
ふたを開けてみれば幡野さんの場合、まったくそんなことはなくて。
パアッと笑って受け取り、「食べた!美味しいっ!」って連絡をくれた。
あの時、私が思い込んだまま渡さなかったら、幡野さんはハチミツビスケットを食べられなかった。あんなに美味しいのに。
思い込みって、厄介だ。
だって自覚がない。
パインとハンバーグを一緒に食べるとおいしい
びっくりドンキーで、堂々の不人気メニューを知っているだろうか。
パインバーグだ。
ハンバーグにパイナップルなんて合うわけないだろ!と、驚く人も多いはずだ。
でもそれは思い込みなのだ。
れっきとしたパインバーグ差別だ。
なにも言わず、びっくりドンキーへ行ってくれ。
めちゃくちゃ美味いんだよ、パインバーグは。
初めて食べた人の、3人に1人は好きになるんだよ。
でもね、世の中には、いるんだよ。
食べようともしないのに、パインバーグを許せない人が。
増殖するパイン農園に、実家の町工場を飲み込まれたとか。
パイナップルの甘い匂いがする男に、彼女を寝取られたとか。
パイナップルで撲殺された前世があるとか。
そういうトラウマがあって、食べられないのかもしれない。
じゃあ食べなくてもいい。そういう人もいるから。
パインバーグ好きは、彼らとは距離をとって、ともに生きるしかない。
サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。
それなのにだ!
「私はパインバーグを食べようとは思わないし、パインバーグを食べてる連中の気がしれないわ!きっと頭がおかしいのよ!焼き払え!」って襲いかかってくるやつがいるんだよ。
怖いよ。どういうことだよ。なんでだよ。
思い込みは、呪いだ。
自分の視界を極端に狭くして、ふらつく足元で、誰かにぶつからせて、時にしばきあいまで引き起こす。そういう呪いだ。
ダウン症だから、天使だ。
家族だから、愛さなければならない。
パイナップルとハンバーグなんて、合うはずがない。
「こうだから、こうだ」
「そんなはずはない」
目の前の人に対して、そんな言葉が口をつくようになったら、もう呪いにかかっている。
呪いを解くには、魔法の呪文なんて唱えなくてもいい。
起きていること、やっていること、言っていることを、まっすぐ見つめるだけだ。
それから好きになるも、嫌いになるも、喜ぶも、怒るも、パインバーグの虜になるのも自由だ。
この話をしようと思ったのは、幡野さんの連載を読んだのがきっかけで。
記事を読みながら、会津若松名物・赤べこのようにブンブンと私は頷いていた。
それで弟のことをツイートしたら「書いてないことをポジティブに憶測して褒めてくれる人」と「書いてないことをネガティブに憶測して怒ってくる人」がわりといて、あーあ140文字で書くって誰かの呪いにもなるんだなって思った。あぶねえ、あぶねえ。
私は、私のために、呪いを解く4000字の魔法の呪文を置いておく。
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