ディズニーランドで、丁寧な弟とお遍路してきた
拝啓 岸田奈美のnoteを、やんややんやと応援してくださってるあなたへ。
今日はちょっとだけ、お金の話をさせてください。
「キナリ★マガジン(定額有料)」と、「サポート(投げ銭)」でいただいたお金は、わたしと家族の生活費と、余った分はnoteで書けそうな新しい体験をすることに使わせてもらっています。
わたしのマガジンを購読したり、サポートをくれたり、頻繁にnoteを見にきてくれる人たちのことは、もちろん一人ずつお名前もしっかり見ているわけですけれども、なんというか、親戚みたいだなあと思うことがあります。
たまにしか会わないし、なんなら小さい時に一度だけ会っただけでも、なんか優しく見守ってくれている気がする。ちょうどよくお節介で、ちょうどよく知らんぷりをしてくれる。それで、頑張ってたら、図書券でおこづかいをくれる。
縦でも横でもない、斜めの関係。そんな感じ。
でもさ、普通に考えて、会ったことない人のことを勝手に親戚って呼んでる女は怖いよね……。そんなわけで、おおやけには呼べてませんが、親戚のつもりでいます。
さて、今日はそんな(親戚の)みなさんに、ご報告があります。
いただいたサポートのお金がたまりましたので、わたくしの弟・岸田良太が行きたがっていた、念願のディズニーシーへ姉弟旅をしてきました!ありがとうございます!
9月から11月にかけて、岸田にサポートをしてくださった人や、見守ってくださった人に向けて、今日はお礼の手紙的にnoteを書きました。旅をのぞいてってください。
チケットを取る段階で、心が折れかける
母と弟がサイン会に出演してくれるため、東京まで来る機会があったのですが、弟のなかで東京と言えば東京ディズニーランド。
「あんな、それは千葉にあるんやで。せやからこの話はなかったということに」と言っても、弟にはわかりません。上京いわんやディズニーランド一点突破です。ソクラテスは「無知は罪なり」と言ったが、もはや「無知が強なり」だと思う。
じゃあ、まあ、サポートのお金もあるし、感染対策もしっかりやってるらしいし、チケット取るか。
大喜びの弟を尻目に、公式チケット販売サイトを開いてからが地獄。
一ヶ月先まで売り切れやんけ。
しかも、それより先のチケットは売ってすらいない。そう、今は感染防止対策のため人数規制が行われており、一ヶ月先までのごく少数のチケットだけが販売されているのだった。
毎週水曜日に少しずつキャンセル分の在庫などが更新されるそうなので、とりあえず水曜日まで待ってみたら、翌朝までサイトが繋がらん。ジャスティン・ビーバーのコンサートチケットより難しいんちゃうか。
サイトを十回更新してもつながらなかったので、短気なわたしはさっそくもう嫌になった。しまいや、しまい。ナンジャタウンでええやないか。
だけど、脳裏に浮かぶのは、亡き父の顔。わたしと瓜二つな父の顔。
「たっかい金払ってランド入ったのに、ポップコーンで20分待ちやてえ?アホかこんなもん待ってられへんわ、さっさと帰ってマイクポップコーン買いにいくで!(マジで帰った)」
「奈美ちゃん、ドラえもんの映画観に行こうや!好きやろドラえもん!なっ!あ、ごめん、もうチケット売り切れや。代わりにスペース・カウボーイ観よう。クリント・イーストウッド好きやろ。えっ、知らん?ドラえもんと大体同じや!(同じではない)」
「アホちゃうかこんな熱いなかで並んどったらほんまもんのアホなるわ!俺は駐車場の車で寝とるから、順番なったら起こしにきて(夕方まで爆睡)」
ひどかった。あんな短気な大人になるもんかと、思っていた。ここで負けたら、遺伝に負けるぞ。しっかりしろ、姉。
そうやってわたしは自分を奮い立たせて、やっとのことで、ディズニーシーのチケットを2枚分確保したのだった。
※やっとのこと=執筆中だろうが取材中だろうが明け方だろうが、1時間に一度公式サイトを確認し、奇跡的に偶然キャンセルが一枚だけ出たところを秒速で抑える × 2回
見た目は真顔!頭脳は歓喜!
そんな姉の苦労を知ってか知らずか、当日を迎えて、弟はウッキウキのウキ。
だが、弟の表情のバリエーションは、主に口の動きが占めていたということにわたしは初めて気がついた。
マスクのせいで、真顔に見えとるがな。
これ、本人はめちゃめちゃ楽しそうなんだけど、まったくそう見えない。写真映えしないにも程がある。
弟は優しいから、カメラを向けると、それなりに笑ってくれるの。だけど今回ばかりは、わっかんねえの。ごめん。
どれくらい弟が優しいかって言うと。
わたしがベルトの留め具を家に忘れて首から下げられなくなったポップコーンバケツを終始、胸で抱いてくれるくらいには優しい。すりすりしてくれてた。すりすり。
真顔とは反比例して、歓喜のボルテージはぐんぐん上がっていったんだけどね。なんでかって言うと、つい先日、弟は25歳の誕生日を迎えたばかりだからです。
なんとディズニーランドでは、誕生日の人はキャストさんに申し出ると、名前入りの特別なシールをもらえるのです!
めちゃくちゃ、丁寧に受け取る弟。やるやん。
このようによく見える場所へ、貼りつけるわけです。とてもかわいい。でもこのシール、かわいいだけじゃないんです。
お遍路の旅がいまはじまる
ディズニーランドが夢の国たる由縁、想像を越えた感動がね、こんなところでも湧き上がってくるわけなんですけど。
このシールつけてると、パークで会うキャストさんというキャストさんたちが、お祝いしてくれるの!!!!!!!!!
「お誕生日おめでとうございまーす!」「ハッピーバースデー!」って、すれ違う人が口々に、声をかけたり、拍手したり、一緒に喜んでくれる。
最初は「えっ?」ってなっていた弟も、次第に状況がなんとなくつかめてきたのか、めちゃくちゃ喜んでいた。祝いの力ってすごい。
ただ、ね。
喜びの表現が独特っていうか。
お祝いしてもらったら、「ありがとうございます」って言いながら、
くの字に折れる。
丁寧すぎんか????????
言い忘れてたけど、うちの弟ってお礼を言うときはよく、くの字に折れるんです。TPOとか関係ないです。折れます。彼なりの感謝で折れてます。
これはサイン会で集まってくれたお客さんに向かってる弟。盛大に折れてるね。
これとかもう、折れるまでが素早すぎて、見たことないブレ方してるからね。姉ちゃん、長らくスマホで写真撮ってるけど、こんなブレ方はじめて。
すれ違うキャストさんがみんなお祝いしてくれるので、弟はすれ違うたびに、立ち止まって深々とくの字に折れていた。お遍路さんなのかな。
キャストさんもちょっとびっくりして「うわあ!そんなにお気遣いいただかなくても!」って言ってたんだけど、前職の取引先ぶりに聞いた言葉だった。ディズニーランドでどんなやり取りしてんの。
あまりにも弟がバースデーシールを気に入って、さすさすと触るので、剥がれかかっているのを見た別のキャストさんが、
耳に貼ってくれた。主張が強め。奥ゆかしさとかない。もはやバースデーのために生まれた男。
ディズニーシーはやっぱり、いいぞ
予想外にお遍路さんになっていたけれども、やっぱり、夢の国っていいものです。
アトラクションの待ち列も、お店への入場も、ぜんぶ屋外でのソーシャルディスタンスになってた。ちょっとでも近づいてると、キャストさんが教えにきてくれるので、うっかりすることもなく。
ミッキーたちと写真撮れなかったのは、ちょっと心細いけど。密を避けるため船に乗って、遠く離れた海の上から全力でダンスしてたミッキーはすごかった。
東京ドームアリーナ最後列で観る嵐かなってくらい豆粒だったけど。こんな寒空の海に引っ張り出されても、元気にサービスしてくれるミッキーはすごかった。
そして、うちの弟もすごかった。
キャストさんごとに、なぜかバースデーシールをいっぱいくれるので。
こんなことになってた。スーパーの半額品かな。
最終的に、手にも貼ってた。もうええわ。
両手いっぱいのお土産をたずさえて、弟はすごく楽しそうに、東京駅で待ってた母と一緒に神戸へと帰っていきました。
弟とお遍路ができたのも、夢の国へ行けたのも、親戚のみなさんのおかげです。いや親戚じゃないんだけど。でも親戚みたいなもんってことで。いつもありがとうございます。
おまけ「父と母と姉と弟の、夢の旅」
※ここからは、キナリ★マガジンを購読してくださってる方々が読める、ボーナスおまけコラムです。
家族とディズニーシーへ行くのは、これで3回目だ。
最初は小学生のとき、父と母と弟と、4人家族で来た。神戸からはるばる、6時間も車を運転して。
なぜ飛行機でも新幹線でもなかったかと言うと、その時は弟がパニックになり泣き出すことがよくあって、安心して乗れなかったのだ。それでも諦めず、わたしたちを楽しませるために「じゃあ交代で運転していくで!」となった父と母のことは、やっぱり尊敬するしかない。
父は早々に疲れて、駐車場の車で寝ていたけど、連れてきてもらったディズニーシーはすべてがキラッキラのワックワクで、楽しくて楽しくて仕方がなかった。父も「来てよかったやろ」「どれがいちばん楽しかった」と、嬉しそうに聞いてくれた。ちょっと、自分のことも褒めてほしそうだったけど。
家族全員で遊園地へ行ったのは、あれが最後だ。弟はほとんど赤ちゃんだったから、覚えていないはずだ。
父が亡くなり、母が病気で車椅子に乗るようになり、わたしが大学生をしながら福祉のベンチャー企業で働きはじめて2年後。給料は雀の涙ほどしかなく、とても家族を旅行につれていくなんてできなかったけど、運良く仕事でディズニーシーのチケットを3枚もらいうけた。
同僚にお金を借りて、三人分の新神戸発・東京行きの新幹線チケットを買った。(それでも全額払えなかったので、母が割り勘にしてくれた)
歩けていたころの母は、ぜんぶのアトラクションに乗れたけど、車いすで乗れるアトラクションはグッと少なくて、それが悲しかった。
だけど母は「奈美ちゃんと良太が楽しかったら、わたしはそれでええねん」とほがらかに笑っていた。いつか母が全力で楽しめるような場所を作ろう、とそのとき心に決めたのだった。
それから8年間、わたしはそのベンチャー企業で働きまくり、退職の前はいくつかのテーマパークのバリアフリー設計と広報に携わった。頑張ったっていうかなんていうか、けっこう、執着に近かった気もする。
それで今回、自分が書いたエッセイで、たくさんの人に応援してもらって、そのお金で弟をディズニーシーへ連れてくることができた。
喜んでる弟を見て、ものすごく、嬉しかった。
いまなら、長時間の運転で疲れまくっていた父がどこか誇らしそうだったわけも、母が自分のことをそっちのけで優しく笑ったわけも、やっとわかる。
大好きな人に、楽しんでほしい。
楽しんでいるのを見ると、とてつもなく嬉しい。
ただそれだけなのだ。だけど、そうやって思える相手がいることが、楽しめる機会があることが、どれだけ幸せなことか。気づいたときにはもう、父はいない。ありがとうを伝えられない。
だけどわたしにはまだ、母と弟がいる。二人を楽しませて、自分も楽しませる、これだけはずっと続けていきたい。たとえお遍路の旅になろうとも。
そんなわけで、これを読んでるみなさんのことも楽しませていきますので、これからもどうかひとつ、応援のほうよろしくお願いします。