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野生の広報が、ガイアの夜明けを迎えるまで(後編)

めちゃめちゃ時間が経ってしまって、すみません。きっと再現性がなさすぎて参考にならないだろうけど、思い入れがあるから語りたい岸田奈美の「野生の広報」シリーズ。

前半はこちらから。


櫻井翔さんに、なんとしてでも来てもらいたかった

「日本テレビのNEWSZEROが、高齢者や障害者への研修を取材したがっている」

毎日のようにいろんなテレビ局や新聞社に連絡をしていくなか、一本の電話があった。出たくて出たくてたまらなくて、なにかしらの時事問題や社会問題にかこつけて、メールやFAXを送りつけた番組だった。

そのときわたしの頭の中には、たった一人の顔がくっきりと浮かんでいた。

NEWSZERO月曜のキャスター、嵐の櫻井翔さんだ。

なぜならば、わたしは福祉にまつわるニュースを毎日のようにかき集めていたから。当時はちょうど、こんな文言を目にしたところだった。

・リオオリンピックのニュースキャスターに、櫻井翔さんが就任。
・24時間テレビのドラマで、櫻井翔さんが車いすバスケの選手役に抜擢。

リオオリンピックのあとには、パラリンピックが控えている。障害者スポーツへのコメントは求められるだろう。なぜならば彼は、車いすバスケの演技をこれから学ぶのだから。

そこへきて、同番組が、高齢者や障害者への対応を取材するのだ。そりゃ、あんた、櫻井翔さんに来てもらわな話が進まんやろ。わたしはそう思った。

「あのう、櫻井さんに取材へ来てもらうことはできるんでしょうか」

わたしはおそるおそる、電話口の若いディレクターさんにたずねた。

「いえ、キャスターは他にもいますので……櫻井さんは特にスケジュールを合わせにくい人なんです。しかもコンサートの時期なので」

ディレクターさんはそこで少し黙ったあと、申し訳なさそうに付け加えた。

「それに、まだ御社を取材すると決定したわけではなくて。他に候補が3社あるんです」


なんですと。


ぬか喜びのぬかに、片足を突っ込んでいたわたしは目を覚ます。

聞けば、わたしたちと同じく、高齢者や障害者への対応の研修を提供している企業と団体が、ほかにもあると言うのだ。

名前を聞いたら、ぜんぶ知っていた。当たり前だ。見紛うことなき、ライバル企業なのである。営業をやっていた時に、何度調べ尽くしたことか。

「一社ずつお電話をして、活動を聞いているんです。それから、どこに取材をお願いするか決めようかと」

「なるほど。どういう基準で選ばれるんですか?」

「うーん……最終的にはデスクの判断なんですけど、やっぱり一番規模が大きくて、活動が目立っていて、取材しやすいところにお願いしようと思っています」

がっかりした。

なぜならわたしたちの企業の研修はほかに比べると後発で、特にわたしたちより10年先に活動を開始していたA社には、受講者数もちょうど10倍の差をつけられていた。その差は歴然である。

でも、一抹の希望もあった。

取材しやすいところ、という条件だ。ディレクターさんと信頼関係を築くことができれば、まだ活路はある。

わたしは一旦電話を保留にさせてもらい、営業時代に徹底的にインプットしたライバル企業のデータをPCで開いた。

「これから他の会社さんにお電話されるんですよね。参考になるかと思うので、よかったら、業界における研修サービスの動向や、他社ごとの違いもお話しますので、聞いていかれませんか」

そんな、お茶でも飲んでいかんかというテンションで言っていいのか悩む唐突な提案だったが、若いディレクターさんだったこともあり、ぜひと喜んでくれた。

わたしはゆっくりと話した。

2014年の障害者差別解消法という法律が施行された背景と、それにともない、各企業や自治体で障害者への配慮が義務化されたこと。障害ごとに必要なサポートは細かく異なるので、特にお客様と接する機会の多いサービス業では研修が役立つこと。そこで先立って研修を提供したのがA社であること。

ここで意識したのは、弊社のアピールではなく、あくまでもフラットな視点で業界の動向と社会背景、他社の情報を語ったこと。一企業の広報であることを一旦忘れて、業界の専門家として淡々と話すことに注力した。

企業の宣伝ということがわかりきっていると、どんなに上手い説明でも、人の頭には入ってきづらいからだ。弊社のことは全体の2割も話さなかったと思うし、なんなら他社より劣っているところなど、ネガティブな要素も包み隠さず伝えた。

社会を良くするために、業界の認知に協力してくれる報道の人に、とにかく誠実でいたかった。結局これが功を奏したらしく、一企業の担当者から、わたしは業界のことを教えてくれるアドバイザーのような立ち位置に変わった。いくつか質問を受けたけど、ほぼすべて、答えることができた。

「ありがとございます!調べてもわからなかったことばかりで、助かりました。次はA社にお電話をかけます」

「こちらこそ、聞いてくださって嬉しかったです。取材はいつまでに行う予定ですか?」

「来月中です。来週には取材先やスケジュールを全部決めなくてはいけなくて」

テレビ局で働いたことはないけど、言葉尻からなんとなく、大変そうな空気が伝わってきた。キャスターも含めて、ものすごい人数が動くのだ。


当たり障りのない電話を切ってからが、わたしの元気な悪あがきのはじまりだった。


金曜日の夜、水際24時間の戦い

ディレクターさんが他社の企業に電話をしているであろうなか、わたしは社長と副社長にすぐさま相談した。内容はこれだった。

・受講者の伸び数、合格者率など研修に関するありとあらゆる最新のデータを調べ直して、入手したい。

・今月、来月で取材に入ってもらえそうな研修の日程をすべて知りたい。

・これから研修を開催しそうな企業があれば、先にわたしへ教えてほしい。

・その企業の広報担当者に、わたしから連絡させてほしい。

こういうことをお願いした。どうしてもこの取材を受けたいし、あわよくば櫻井さんに来てほしい、絶対に爆発的な認知度向上が見込めるからここで勝負をかけたいと熱弁したら、二人はすぐにオーケーしてくれた。


勝ち筋は、他の企業よりもはやく、信頼にあたる多くの情報を提供し、取材しやすい環境を整えることだけだった。


すでに、金曜日の15時をまわっていた。多くの取引先の担当者は、18時で退社し連絡先がつかなくなってしまう。

急げ、急げ、とわたしは自分に言い聞かせて、これから研修を開催することが決まっている企業の広報担当に片っ端から連絡をした。

もともとすでに設定されていた研修日程もあったのだが、これは企業の団体開催ではなく、個人開催、つまり申し込めば誰でも公共の会場で受講できるものだ。もし櫻井さんが来るとなったら、ここに取材へ来てもらうのは難しいと思った。事前に情報を出しても出さなくても、一般受講者はパニックになるし、借りている会場から撮影規制がかかることも想像できる。


櫻井さんに取材へ来てもらうとしたら、機密性が高く、会場の控室や動線などの融通もききやすい、企業の団体開催だ。わたしは確信した。

お気づきだろうが、取材に選ばれるかどうかもわからず、櫻井さんが来るかどうかすら、この時点ではかなり望み薄なのだ。

しかし、希望を持たずにはいられなかった。全力でやるしかない。


「実はいま、テレビ番組から研修の取材をしたいと言われているんです。取材は確定ではないのですが、御社が取材に協力的だとお伝えしてもよいでしょうか。取材が決定したら、御社の名前も出してもらうようにできる限りお願いしますので」

こういうことを伝えると、ほとんどの企業は快諾してくれた。いい取り組みはやっぱり、たくさんの人に知ってもらいたいというのが、広報担当者の共通認識だ。

「あと、これは可能性はまだ低いのですが、もしかしたら著名なキャスターさんが取材に来るかもしれなくて……その場合、人払いなどにもご協力いただけますか」

これは、比較的大手企業で、取材慣れ・撮影慣れをしていそうな広報部の人に伝えた。すると向こうもなんとなく事情を把握したのか、ノリノリでガッテンしてくれた。腕のいい広報担当者は、ポジティブな緊急事態が起こるとアドレナリンが全開になるのだ。

各社の柔軟で迅速な対応が、本当にありがたかった。


こうして金曜の18時までに、5つの企業から、取材に協力する言質と、だいたいの研修開催スケジュールを手に入れることができた。会社のマーケティング担当に手伝ってもらってアップデートした、各種最新数値も。

それらをすべて土曜の15時、つまりディレクターさんの電話を切ってから24時間で、文章にし、ディレクターさんへメールで送信した。

メールには「電話で答えきれなかった弊社のサービスの全貌と、取材する場合に最適な場所と協力企業、日程候補」など、次の一手で聞かれるであろう質問すべてに先手を打った内容を書き込んだ。

速さでは、圧倒できたと思った。

なぜならばA社はかなり大きな企業で、きっとここまで調整するには、2日かかるだろうから。土日は営業しないだろうから、たぶん火曜日くらいになるのではないか。もちろん遅いわけではなく、だいたいそれが普通の対応速度だ。

わたしが圧倒するとなれば、速さしかなかったのだ。速さは天性の才能を持たない凡人のわたしに磨くことを許された、たったひとつの武器だった。


テレビ局のディレクターさんは、とにかく忙しい。その人は土曜も働いていたようで、ちょうど土曜の夜に、電話がかかってきた。

「こちらからお願いする前に、こんなに細かくありがとうございます!いくつか質問したいのですが、この受講先のB社というのは、どこで研修を開催する予定でしょうか?」

具体的な質問があって、手応えは悪くなかった。A社とは比較にならない弱小企業が、検討のラインに乗っかっているのだ。心なしかディレクターさんの声も、明るく聴こえた。

電話を切る時にわたしは、ここまでいい感じでやり取りができてるなら言える!と、ちょっと冗談めかして付け加えた。

「弊社の研修では、講師は全員障害のある当事者がやるんです。これから櫻井さんが、障害のある選手たちにインタビューしたり、演技を教わったりするなら、とても良い機会だと思うんです」

「なるほど……。一度上司にも聞いてみますね」

苦笑いが混じっていたので、難しいことはわかった。それでも良いと思った。

「もし人払いが必要でしたら、2月に研修をする予定のB社は芸能人の対応にも慣れていらっしゃって、全面的に協力してくださいます」

「もうそんなことまで!?ありがとうございます」

やりきったので、あとは祈るのみだ。


人事を尽くして、天命を待つ間もなく

「櫻井さんが取材したいそうです!B社さんでの研修を取材させてもらえないでしょうか」

月曜日にそんな連絡が入ったので、びっくりしてお茶を吹くかと思った。早すぎた。「マジで?」「なんで?」という、心からのタメ口が飛び出てしまった。

それにつけても、B社さんの協力はすごかった。完全に独立した動線と個室を用意してくれ、研修を受講する社員さんたちは「櫻井さんを目にしても黄色い声をあげない、浮かれない、絶対に情報を漏らさないこと」に全面賛同してくれ、それはもう、驚くほどスムーズに話が進んだ。

そのあとは、知ってのとおりの結末と結果だ。

この一連の奇跡から学んだことは「メディアとの信頼関係を築くには、一企業の担当者であるより前に、業界の一任者であれ」「規模で勝てなければ速さで勝て」「取引先を味方につけ、チームで臨め」だった。これは今も、わたしのいろいろな活動に活きている。


さて、そんなこんなで、櫻井翔さんパワーでバカ売れした弊社の二年後。社長がこんなことを言った。

「そろそろ、ガイアの夜明けに出てみたくないか」

出てみたくないかと言われるからには、そのあてがあるのだと信じて疑わなかった。わたしはいいですね、と二つ返事をした。

でも実際は、あてなどなかったのだ。なんとこれは社長のシンプルな願望であったことが、すぐにわかった。

しかし、わたしは野生の広報。無茶振りには反射的に答えるよう、身体の細胞に刻み込まれている。なぜかこの日から、わたしの目標は、二年以内にガイアの夜明けに企業として出演、となったのだった。流されすぎである。


いままでのすべてを込めた、企画書

とにもかくにも、日本の夜明けは待っていたら毎日やって来るが、ガイアの夜明けは待てど暮せどやって来ない。自分から迎えにいくしかない。

番組のディレクターさんに、こちらから提案を持ちかける必要があった。でもこれは奇跡的に、どうにかなった。と言うのも、ガイアの夜明けを放送しているテレビ東京の、ワールドビジネスサテライトという番組で取材を受けたことがあったからだ。

ワールドビジネスサテライトは報道番組だが、ビジネスに特化しているという点ではガイアの夜明けと似ている。小さなニュースやプレスリリースも毎日拾い上げられる報道番組を、きっとガイアの夜明けの制作陣も参考にしているだろう、とわたしは踏んでいた。

これも奇跡だったと思うけど、たまたまその推測が当たった。ワールドビジネスサテライトでディレクターをしていた人が、そこでの経験を買われ、ガイアの夜明けの制作をすることになったそうだ。

ディレクターさんと会うにあたって、わたしは、社内中を駆けずり回って情報を集め、企画書をこしらえた。

……のだが、まず、企画書を作るにあたって、ガイアの夜明けの過去放送回を浴びるほど見た。オンデマンドサービスに加入して。経費申請を忘れていたので自腹になった。

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めちゃくちゃ雑な理解だけど、当時のガイアの夜明けは、大体こういうパターンで番組が進行することが多かった。つまり、ガイアの夜明けに出るにあたって、絶対に取材が必要な情報あるいは絵ということだ。

じゃあ、この構成に当てはめたとき、自分の会社ではどんな場面を撮影してもらえるだろう。ひとつひとつ置き換えてみた。

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うん。なんとか、いけそうである。わたしの頭の中ではもう、ガイアの夜明けの番組構成ができていた。素人の穴ぼこだらけの拙い妄想であるが、意外といいセンいってたのではないかと思う。

わたしがやるべきは、これらの情報を余すところなく、スムーズに取材してもらうための提案を、企画書に盛り込むことだった。

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これは実際に提出した企画書。

番組の冒頭で必ず触れられる「いまなぜ、この企業を取り上げるのか」の説明にあたる社会背景は、じゅうぶんな説得材料が社内で足りていないことがわかった。

足りていないなら、用意するしかない。

わたしはまた社長と副社長に頼み込んで、社内のリサーチチームに予算をかけて、世論を調査してもらうことにした。社会背景は、捏造してはいけないが、あぶり出すことはできる。

あとは、NEWSZEROの教訓をいかし、聞かれるよりも先に、撮影できる日程と協力企業のリストを作った。さらに「これから始まりそうな案件とその確度」も、承諾の取れた企業のみ載せていった。

まったく新しい案件だから、他の媒体やプレスリリースには書かず、番組で初出しすることができるというアピールだった。


この企画書を提出したとき、ディレクターさんの第一声は「いやあ、岸田さん。これは助かりますよ」だった。

何度も言うけど、テレビ局のディレクターは多忙を極める。取材しながら、前の取材データを編集して放送することもあるし、徹夜なんてざらだ。そんな中で、調整や連絡にかかる時間は、負担にもなる。

わたしの企画書は、そこを削減することができた。このまま企画会議などでも使ってもらえると言うのだ。役に立つことができた、ただその事実だけで、嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。


かくして、わたしたちはガイアの夜明けに出演した。しかも、いくつかの企業をまとめて一回で放送する枠ではなく、異例の一社独占放送で。わたしが社内で拝み倒して調査してもらった膨大なデータは、なんと番組冒頭で巨大なパネルになり、江口洋介さんが読み上げてくれるという大役をつとめた。

わたしたち社員は、恵比寿のちょっと高級なバーを貸し切り、プロジェクターで投影しながら放送を見守った。ギリギリまで、なにかが起きて放送が流れるんじゃないかとドキドキしていたが、無事にタイトルコールとともに弊社オフィスがでっかく映し出されて、歓声があがった。


翌日から、問い合わせが殺到した。特にその年の採用応募は目を見張るものがあった。それからわたしは、会社を辞めた。走りきった9年間だった。


素直で、誠実であること

わたしにとって、メディアの方々というのは、味方でいてくれることの方が多かった。高齢者や障害者が生きやすい社会にしていくために、手段を変えて、応援してくれる存在だった。

だからこそわたしも、その気持ちに素直で、誠実でありたかった。右も左もわからない、ただ熱量があるだけの野生の広報だったから、たくさんの無礼も失敗もあったと思う。それでも、ただ、報いたかった。

それがわたしにとっては、速さであったり、一歩先を読むことだったりした。でもこれは、人によって違うと思う。遅くてもていねいな対応が花を咲かせることもあるし、目立つことよりリスクを削減する方が求められることもある。だから、わたしのやってきたことが、正解だとは到底思えない。

だけど、野生の広報だったことが、確実にいまのわたしにつながっている。

わたしはいまでも、素晴らしい放送や記事を実現してくださった方々の名前をぜんぶ覚えているし、自分が世に何かを伝えたいことがあったら、真っ先にその方々を頼ろうと思う。情報があふれているこの社会で、その繋がりは、わたしというあやふやな存在を支え続ける杖みたいなものになっている。


広報というのは、組織に抱くじぶんの愛を、違う誰かに、圧倒的な愛をもっておすそわけする尊い仕事だ。広報という専門職についていなくとも、皆に広報マインドは持っていてもらいたいな、と思う。

そういう愛があふれる社会は、めちゃくちゃ素敵なはずだからだ。





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岸田奈美|NamiKishida
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。