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家には人生が染み込んでいくの巻(ドラマ見学4日目)

こりゃ、どえらい作品となるに違いない……!

笑って泣けるジェットコースターのような脚本や、役者さんの演技もさることながら、撮影セットへ足を踏み入れたときに確信した。

なんなんだ、ここは。


わたしがこの日に訪れたのは、“岸本家の自宅”だった。

巨大な倉庫のようなスタジオの中に、一軒家が丸ごと建っている。ドリフで派手に倒壊するようなハリボテかと思ってたが、屋根も壁もある、今にも住めそうなヘーベルハウスじゃないか。ハァイ!

“岸本家の自宅”には、人生が息づいていた。


背景のどこを切り取っても、登場人物がそこで暮らしていることが、ありありと伝わってくる。なにを着て、なにを食べ、なにを考えているかがフッと浮かぶ。

言葉で説明されなくても、背景を見ただけで、歴史が際立つ。

IKEAのモデルルームみたいな、きれいにまとまったオシャレ空間とは違う。

ばらばらに散らばる家具や小物が、ある一つの方向へと、時間のように積み重なっている。

家が放つ、強烈な“家族臭”にあてられ、いったん後ずさりした。

「人ン家や!これ、マジの人ン家や!」

もぬけのカラになってる人ン家に侵入する、背徳感ったらない。本当に心臓がバクバクした。

昔、自分の住んでる階と、一階上を間違えて、たまたま鍵のあいてたご近所さんの家へ「ただいまー」と帰ってしまったことがある。あのとき飛び込んできた、同じ間取りなのに香りも肌触りも違う、玄関の生々しさ。

岸本家でも、そうだった。

一分前までは。


「………」

「……」

「実家やん」


襲いくる圧倒的実家感で、全身の筋肉が実家モードになり弛緩してしまった。プロデューサーから「大丈夫ですか」と声をかけられなければ、チューペット片手に寝転んでた。

なんだろう。

初めて入ったのに、もう、ここで30年間暮らしてたような気がする。

怖い。

世にも奇妙な物語に、こんな話、ありそう。


岸本家の間取りは3LDKなのだが、リビングの一角に。

見覚えのありすぎる、驚異の景色が。

布団。


リビングといえば、その家の顔である。だんらんするし、客人も迎える。それらの目的を回し蹴りで押しのけ、ドカン!と敷かれた布団。

“すてきな奥さん”の光景をパワーでねじ伏せ、真逆方向へと150km/秒で爆走させゆく布団。

プロデューサーが言った。

「ここは草太スペースです」

「やっぱりな!!!」


弟もこうだった。

もともとわたしと子ども部屋をシェアしていたが、わたしの本や服が増えるにつれ、弟はリビングの端っこにせっせと布団を敷きだした。そしてアリが砂糖の粒を集めてくるように毎日、ちょっとずつこだわりはじめ、領土をじわじわ拡大させたのだ。

家族が「なんでここにおるんや」と気づきはじめたときには、時すでに遅し。永世中立、不可侵領域の弟ランドが建国されていた。

オリエンタルラジオの武勇伝ネタで

『1日3ミリバス停ずらすっ!2年を費やし自宅の前へ!』

というのがあるが、まさにあの手口である。

弟はモノを乱雑に集めてくるくせに、整理整頓も好きなので「片づけなさい!」と大義名分で退去を迫ることもできない。片づいてるもの。

弟は布団ではなく、ひとり用のミニこたつを入手し、夏でも冬でもそこから動かなかったけど。こたつの内側に何かがしまい込まれてるのを何度か目撃したが、開ける勇気はなかった。

いつ見ても弟はリビングの片隅で背中を丸め、昼寝とおやつとぬり絵の3アクションを延々と繰り返していた。魔のこたつトライアングル。

家族がリビングを通ると、腹を出して寝ている弟がイヤでも目に入るので「ああ、もう夏か」と風流を感じていた。花瓶のような効果があった。

この家は散らかっているように見えるが、目をこらすと、気づくことがある。

家具や壁紙など、岸本家が引っ越してきてすぐに用意したであろうモノは、すごくオシャレなのだ。北欧風で、質もいい。

“かつては、オシャレだった家”

の残留思念が、はっきり漂ってくる。もう成仏しそうなほどに弱ってるけども。オシャレが。

ならばどうして、こんな有様になってしまったのか。

おそらく、家族のせいだ。



わたしの母は、結婚した当初から、栗原はるみさんと石田ゆり子さんに憧れるオシャレでキレイ好きな主婦だった。近所のママ友たちからも一目置かれるほど。

インテリアが母の支配下にあった時代の我が家は、まさに花の都、ルネサンス期、いやルネ母サンス期である。リビングには自家製トーストの匂いと、小沢健二の歌が立ちのぼっていた。

ところが。

父が亡くなり、母が仕事に出るようになると、ルネ母サンス期は衰退をたどった。弟が遅い思春期に突入し、自意識という名のこたつを作り始めたが、慣れない仕事でクタクタの母はとやかく指示する気が起きなかった。

支配力が弱まりかけたときに、ダメ押しで、母が入院。

満を持して台頭したのが、祖母である。

100円ショップ大好き!バッタモン大好き!タダでもらえるもん大好き!の暴君の容赦ない圧政により、大ババア帝国が爆誕した。

すなわち、家のインテリアというのは、その時で最も覇権を握っている者によって上書きされていくのである。入れ替えではない。上書きだ。

これはセットではなく、実際の実家

退院し、大ババア帝国の栄華に泣きながら抗っていた母だったが、お気に入りのソファが濡れタオル干しになっているのを知るやプッツンし、

「もう……ええわ……」

と、音もなく台所へと消え失せていったことがある。唯一の抵抗勢力を失い、大ババア帝国はゴミとともに君臨した。


そういう歴史が、岸本家のセットでは一目瞭然なのだ。

母は見学しながら「イヤや、めっちゃイヤや……」と、顔を覆いながらトラウマに襲われていたが最終的には「イヤやのに落ち着いてしまう……!」と半泣きになった。感情が迷走して、絶命しちゃう。

あの複雑な家庭環境で、30年暮らした兵(つはもの)どもにしか出せない味わいが、このセットにはある。

まるで完璧な地層だ。

岸本家にもあっただろう、ルネ母サンス期の一層目、弟の思春期の二層目、大ババア帝国の三層目。

なぜこんなに、繊細な再現ができる?

セットを作った美術担当の人に聞くと、

「原作エッセイや、脚本を何度も読みこみながら、こんな感じかな〜〜〜って話しながらやりました。楽しかったです!」

とのことだった。ここにも天才がいる。母は白目を剥いていた。


神戸市北区の民たちよ、歓喜せよ。

「八多町」の三文字が、テレビ様で映る日など、もう二度と来ない。

一生の誇りとして末代まで語り継いでほしいし、町立記念館に収蔵してほしい。八多町にそんなもんないと思うので、むしろ建立してほしい。

貴重な壁のスペースに、北区の地図が二枚もある。

「北区あんない」って、こんな大雑把な地図、家庭の壁に貼っててもなんの役にも立たんぞ。陣取りに打って出る武将ぐらいしか使わないだろ。

でも祖母は貼る。もらえる紙は、なんでも貼る。デザインとか用途とか関係ない。祖母の流儀。

脇に置いてある救急箱の薬は、期限が切れているはずだ。わかる。赤外線ヒーターはとっくに壊れている。これも手に取るようにわかる。わかりすぎる。

以下すべて、岸本家の設定ではどうだかわからないけど、勝手に岸田家にあてはめて推理して語ってゆく。

母はこういうパンフレットを貼るのを、とてもイヤがった。大ババア帝国では江戸の御触書のごとく堂々と貼り出す。

そのくせ、パンフレットに書いてる福祉の手続きは、永遠に行われない。

これはもう御札と同じである。貼っておくとご利益がありそうというだけ。

額の端に刺してる、統一性のない画鋲のストックまでばっちり。母が「もう貼らせまい」と画鋲を隠したことがあったが、祖母は当然のごとくガムテープを画鋲の代わりにした。

壁紙は死んだ。

はい、出た!

祖母は、コンビニでもらえる割り箸、ストロー、からしなどが入った謎の小袋を大量に集める癖があった。大ババア帝国の特産物である。

さっきから好き勝手に書き散らしているが、これをあの美保純さんがやってると思うと、どうなんだ。

パソコンには、脱ぎ捨てられた服がかけられている。

自分を見ているようで胸が痛い。わたしは脱いだ服をハンガーにかけられないのだ。絶望的に。

パソコンを使う暇もないくらい余裕がなかったとき、わたしは確かにここで服を脱ぎ捨てていた。すると、最初に貝を投げ捨てた者のように、祖母もここに服を投げ捨てにきた。

そして服の貝塚ができた。

わたしが高校生だったとき、神戸市北区は出前不毛の地だった。出前の連絡先が載っているWEBサイトを見るも、ガストとバーミヤンとピザの次は水道管業者だった。

母が夜勤で遅くなる日は、弟と、ガストの目玉焼きハンバーグばっかり食べた。母は申し訳なさそうだったけど、実は、かなり嬉しかった。

こういうの、わざわざ調べたんだろうか。

行き場所のないお土産たちが、託児所のように預けられている棚。母のセンスを受け継がない我が子たちから持ち込まれるこれらに、母は喜びと絶望を同時に味わったことだろう。

鼻毛のようなヒゲが爆発してるトラ。どこで買った。なぜ選んだ。

玄関では虫除けや消臭、あらゆるスプレーがボウリングのピンみたいに並んでる。わざわざ全部パッケージが裏返されていて、説明文だけが見えている。

虫の息となった母が、最後の抵抗でやりそうなことである。

英字新聞のように文字がズラッと並んでる光景でドサクサオシャレを狙ったとて、どう見ても日本語なので生活臭がはんぱない。無念。


岸本家と岸田家は他人であるはずなのに、どうしてか、思い出の深いところに触れられた気持ちになる。

草太スペースにあるこの顔面よりもでかい時計には、おどろいた。

まったく同じものが、実家にあるのだ。

雑貨店不毛の地である地元では、わたしが小学校高学年になったとき『ブルドッグ』という名のチープでナウい雑貨店ができた。それまでは道に生えてる草とか石とか、原始人並みの装飾物しか持ち合わせていなかった住人たちが、こぞって押し寄せた。

父はわたしをそこへ連れてゆき、この時計を買ってくれたのだ。

プラスチックのラメラメジョッキとか、スマイリーのローテーブルとかは即座に却下されたけど、この時計だけは。

「こんだけ大きかったら、さすがの奈美ちゃんでも起きるやろ」

と、笑って。

実際、火災報知器のごとく“死を覚悟させる音”が鳴り響き、家族どころか近隣住民ごと混乱の渦に引きずり込む逸品だった。起きるよりも大切なものが世の中には存在するので、結局使わなくなり、弟にパクられた。

偶然の一致だ。ここで見かけなきゃ、一生忘れたままだった。

七実の部屋でこれを見つけたときは、声が出た。

フルタ製菓の『チョコエッグ動物シリーズ』によく似たフィギュアたち。

卵型のチョコを割ると、中から動物が出てくるやつだ。

ある日、父が突然、買ってきたのだ。レアな“ツチノコ”が出れば7万円の値打ちがつくからと。めざとく一攫千金を狙ったのである。

しかし毎日食べても、ツチノコはぜんぜん出なかった。

チョコを捨てると母が怒ったので、ジップロックにガサガサと詰め、憂鬱な気分でおやつに食べていた。飽きた。

躍起になって一年ほど続け、やっとツチノコを引き当てたが、その頃にはいらないヌートリアが38匹も机にならんでいた。ネズミ講のようだった。仕方がないから学校で手当たり次第に配った。やはりネズミ講のようだった。

グラサンをかけたトナカイは、実家にはなかったけど。

グラサンをかけたペンギンは、あった。


ほら。

大学生デビューしようと思って、mixiのアイコン用に自撮りした写真に映ってる。ベースなど微塵も弾けないのに。

父のオフィスに置いてあったペンギンを、もらい受けたのだった。

岸本家の父・耕助も、七実にこういう奇妙なものを、おもしろがって与えただろうか。そうだったらいいな。気が合いそうだな。

遺影のそばに置いてある、プレステ2。なんの記念でもない日に、父が買ってきてくれた。

ゲームキューブがほしいと散々ねだってたのに「あんな子ども騙しより、こっちの方がええ!」とムチャクチャな理屈で、プレステ2にされた。

でも、父が勝手に選んできたソフトは、プレステ1のクラッシュ・バンディクーだった。

プレステ2のグラフィックの良さをまったく活かせず、ポリゴンがガビガビだった。おこづかいでファイナルファンタジー10を買い、父を誘うと、途中でオエオエと溺れたカエルのようにえづき始め「画質よすぎて、酔うわ!アホちゃうか!」と逆ギレし、二度と触れなかった。

ああ。

あの唐突で、理不尽で、それなのに突風のような笑いを巻き起こしていた父が、ここにもいる。

岸本耕助と、岸田浩二は、全然ちがうけど。

岸本家にいたのは猫で、うちにいるのは犬だけど。

なんで猫になったかをプロデューサーに聞いたら「このてんやわんやな撮影にずっとワンちゃんがいると、ちょっと、あの、大変になりそうなので……ネコちゃんがいたという設定にて……」と口ごもっていた。笑った。

耕助の写真の後ろには、お骨も置いてある。

彼のお骨か、猫のお骨か、わかんないけど。ちょっと肩身が狭そうに、隠すようにして。

「はやく納骨せんとあかんのはわかってるんやけど……車いすだとお墓参りができないのがさみしくて」と渋っていた、母の葛藤を思い出す。

父のお骨はまだ、実家にある。


週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。