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2020年の岸田奈美まとめ (A面)

わたしの2020年、三谷幸喜がメガホンでも握ってた?ってくらい、ドタバタ。でも三谷幸喜がメガホン握ってたから、喜劇で終わる算段です。

三谷幸喜がメガホン握ってて、よかった〜〜〜!

人生を寝違えているので、振り返ることがとにかく苦手なんですが、いっちょやってみたいと思います。

そもそも始まりは2019年2月

今まで爆裂につらいことが3つあって、「父が突然死んだこと」と「母が歩けなくなったこと」と、最後がこの時「9年勤めてた会社に行けなくなったこと」。

もう何をやってもアカンわで、花屋の店先に並んだいろんな花を見ていても虚無。泣いて寝て壁に手のひらを貼りつけて有給を消化する日々。

自信という自信をなくしたわたしに「こんな素敵な家族がおるやんけ」という自信を取り戻させてくれたのが、弟・良太。

それがすごく嬉しくて、だれかに弟の話を聞いてほしくて、とりあえずFacebookに書いてみました。エッセイのエの字もない、ただの身内に向けた、工夫もなにもない日記です。

そしたら、文学の研究をしている知人が「この話は絶対にオープンな場所で書いた方がいい。もっと多くの人に読んでもらいたい」と言ってくれて。

「アメブロかな〜、はてなかな〜、まだ魔法のiらんどのアカウントも残ってるな〜、おっ、noteってあるやんけ!シンプルでよさそう!」

これがnoteに登録した、はじまりのはじまりでした。

記念すべきデビュー作が、住んでる家にポケモンGOのギャラドスが出た話。

知人に「ちがう、そっちじゃない」と冷静に言われまして。

弟の話も、載せました。

当時は、読んでくれたのはほとんど知ってる人だけ。だけど、たくさん弟を褒めてもらえて、嬉しかったんです。

会社からは戸惑いながら「心身の不調で休んでいたということは、お客さんも見ている場所で公開しない方がいい」と注意されていたので、知人の「もっと多くの人に読んでもらいたい」という言葉がなければ、書くことはなかったです。

書くことが、得意だとは思わない。
書くことは、わたしにとって楽だ。

人を目の前にして縮み上がらなくてもいいし、自分の心と向き合えるし、書き終わったらどこか晴れやかだ。しかも、読んでもらって、良いこともある。

さかのぼれば、7歳のときにiMacを買って、インターネットの世界とわたしをつなげてくれた、それは父のおかげなんです。

あの頃からわたしにとって、誰にも言えないことをタイピングに変え、顔も見えない友人たちに文字で伝えて、わかってもらえることが「このままでいいんだ」と思える唯一のコミュニケーションでした。

押し込めていたそれと、また出会えた。

少しずつ、少しずつ、元気になっていって。あいかわらず自信はなかったけど、会社に復帰して、2020年には新R25のサノさんのすんばらしいインタビューで、吹っ切れたのでした。


2020年1月

会社に退職願を出しました。

調整能力と管理能力が息をしていないわたしのマネージメントをお願いしている、コルクという事務所の代表であり編集者・佐渡島庸平さんは

「えっ、もう辞めるの!?」

と、仰天しました。

「えっ、辞めちゃダメでした!?」

と、わたしも仰天しました。


これを傍から聞いていたコルクの人たちは、どれだけヒヤヒヤしたことだろうと思います。

自分では、犬の散歩をしていても、風呂に入っていても、ずっと辞めることを考えているので長い年月をかけた決断のように思うんですが、実際には1ヶ月もなかったんですよね。浦島太郎状態です。

安定とはほど遠い、3ヶ月先のことすら予測できないし、なんなら隕石級の絶望や事件が降ってくる人生を送ってきたわたしが搭載しているOSは「なんとかなるやろ」でした。

「なんとかなるやろ」で、会社を辞めました。

もちろん、会社員の方がお金の心配はありません。だけど、休職しているとき、お金は生活を助けてくれるけど、心は助けてくれませんでした。心が根腐れしていると、なにを食べる気も、買う気も、起きない。

お金だけを稼いでたって、わたしにとっては仕方がないのだと、気づきました。

わたしは、家族と大切な人を喜ばせるのが好きです。

でもその人たちは、なにかをあげたり、どこかへ連れていくより「わたしが元気で楽しそう」なのが、とびきり喜んでくれるのです。

元気で楽しそうにするためには、わたしが得意で、夢中で、自信を持って、必要とされることを続けないといけない。

それはわたしにとって、人生や視点を言葉にし、作品をつくっていくことでした。コルクや応援してくれる人たちと一緒に。

まあ、当時はそんなちゃんとしたこと考えてなくて、「なんとかなるやろ」というざっくりした決心しかなかったです。ガーッハッハ。


2020年3月

とはいえ、生きていくためにはお金も必要です。

お金を稼ぐ方法って、いろいろあります。メディアでコラムを連載したり、オンラインサロンを運営したり、広告の企画を引き受けたり。

そのなかで不器用なわたしが選んだのは、noteで「キナリ★マガジン」という定期購読マガジンをはじめることでした。

毎月1,000円で、4本以上のエッセイが読めます。決して安くない金額です。

だって、Netflixは月額800円で観れるんやぞ。

あっちはアニメからドラマから邦画洋画、挙句の果てには水曜どうでしょうも観れるんやぞ。

対してこっちは200円高いのに、観れるのは岸田奈美一本槍のみ。せめてミスターくらいゲストになってくれたら。

「誰も登録してくれないですって、辞めましょうよ」と、わたしは怖じ気づいていました。

そんなわたしに、佐渡島さんは言いました。

「お金を払ってでも岸田さんを応援してくれる人たちと、一緒にやっていこうよ。100万人になんとなく知られている作家より、1万人にとことん愛してもらえる作家をまず目指そう」

「でも、1,000円分の価値がある記事を書き続ける自信がないです」

「価値がある記事は、みんなが読めるように無料で公開した方がいい。価値がないと思う記事は、キナリ★マガジンに書いたら?」

「どういうこと!?」

「だって、岸田さんにとって価値がなくても、岸田さんの視点や成長を知りたい人からすれば価値があるんだよ。岸田さんもまだ気づいていない価値を見いだしてくれる人たちがファンになったら、ものすごく良いよね?その人たちのおかげで、価値が輝いて、本になったりするんだよ」

「書きましょうとも」

どんだけ影響されやすんだって話ですが、人を愛し、人に愛されることで生きる力がわいてくるわたしにとって、説得力がありすぎました。

そしておかげさまでいま、キナリ★マガジンを読んでくださっている人たちのおかげで、ホッカホカのご飯(つや姫)を食べられています。

わたしは心のどこかで、自分の人生や家族を使い捨てていくことに、怯えていました。

書いていて楽しいけど、そう何度も書けない大切な言葉や思い出だからこそ「メディアに載せてもらっても、いつかそのメディアが消えちゃったら」「広告だったらクライアントさん優先で、わたしが本当に書きたいことが書けないかも」と思うと、不安になるんです。

それは、書くことを仕事にする上で、仕方がないことだと思っていました。

でも、その常識を覆してくれたのが、キナリ★マガジンでした。ここには好きなことを、好きなだけ書いて、好きな人に読んでもらって、残していくことができます。

この場所があるから、どっしり構えて、いろんなお仕事ができるようになりました。

気仙沼を訪れた日々は特に「あっ、やっぱりわたしはこの目でみたすべてを、できるだけ愛を持って、書いていこう」と確信できた瞬間でした。


2020年4月

緊急事態宣言発令後のことです。

わたしはもともとインドアで、フローリングの上でトドのように丸まっているだけでわりとやっていける人間なので、外出できないことはそこまで苦ではありませんでした。

だけど、ツイッターを見ていると、困っている声がたくさん流れてきます。わたしには、おもしろい文章を書いて、少しでも笑ってもらうことしかできませんでした。

そんなとき、政府から10万円がもらえるという、降ってわいた話がありました。(降ってわいたとか言うな)

直感で「あっ、これはみんなのために使おう」と思いました。

せっかくなので、わたしが救われたものに恩を返す、わたしにしかできない方法で。それが「おもしろい文章」でした。

張り詰めた時に、眠れない夜に、ふっと心が緩まるような文章。それに何度も何度も、助けられてきました。

10万円を使って、おもしろい文章を募る「キナリ杯」を開催しました。

近所の駐車場でやってるフリーマーケットみたいなノリでやってたら、あれよあれよと、いっちょかみしてくれる人が増えて、最終的には賞金が100万円に。

わたしはアホなので、褒められれば褒められるほど楽しいだろうと、賞も50個作りました。4240作を、3日間で、一人で読みました。

めちゃくちゃ楽しかったです。楽しんでもらえたなら、儲けものです。

応募してくれ、受賞した島田彩ちゃんが、すんげえ活躍しはじめて、「ちくしょう」とねたんだ末に、仲良くなったという個人的すぎる後日談もあります。マジでごめん。


2020年5月

「そんなことある?」っていう状況に、おもしろいほど巻き込まれまくった初夏のことでした。

簡単に言うと、ルンバでスズメバチを吸ってしまい、自由が丘でヤバいビジネスに誘われました。

今までこういうことが起きても、せいぜい居酒屋でボソボソ話し、酔っぱらいの思考のかなたへ消えていくのみですが、言葉ってすごいですね。

なんかものすごい勢いで広がって、ショートドラマにもなりました。

わたしの言葉は基本的に愛のある限りフリー素材というか、世界の役に立つなら好きに使ってほしいので、わたしのような悲劇を防ぐためにはよかったんはず。たぶん。

あと書き忘れたけど2月にはこれもありました。



2020年6月

ひたすら、自分の日常に起きたことか、家族との思い出など「野で取れた野菜をそのまま調理する」かのごとく、特に考えもせず書いていくスタイルだったのですが、

このあたりからちょっとずつ、心のなかにあるモヤモヤとか、説明のつかないムニャムニャを、自分に取材していくつもりでなんとか言葉にしていくようになりました。


2020年7月

これはなあ、ちょっとあんまり思い出したくないくらい、わたしが恥ずかしいやつなんだけども。

こういうnoteを書いたところ、はっきり反応が「ほめる」と「おこる」にわかれました。彼へのリスペクトも感動もすべてそのままだけど、使う言葉を間違えてしまったのが、すべての原因です。

身内に使う言葉と、インターネットでみんなが読む言葉を、まぜこぜにしてしまった。それで傷つけてしまう人がいた。失態も失態、想像力の欠如です。

それを踏まえてどうしても伝えたいことがあったので、キナリ★マガジンでは本当のことを書きました。

底抜けにハッピーな彼がどうなったか気になっている人はたくさんいると思うのですが、わたしがちゃんと言葉を学んで、言葉を磨いてきたら、いつか説明しようと思います。

そんなこんなで、29歳になりました。

自分への誕生日プレゼントということで、大好きなブランド・ヘラルボニーと画家の森陽香さんに協力してもらって、はじめてのオリジナルグッズができました。

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サイン会とかで身につけてくれた人を見て、とびあがりました。

調子に乗って、誕生日は一日中ゲストを呼んで配信とかやってました。


2020年8月

講談社「小説現代」という文芸誌で、新連載がはじまりました。

わたしが過去に訪れた地をテーマにして、思ったことを自由に書いていくやつです。

前述した、わたしの意向をくんでくださり、掲載されたコラムはキナリ★マガジンでも読めるようになりました。

担当の山下さんが、とんでもねえ密度と熱量で毎回ポジティブ・フィードバックをくれるので、ホントに楽しいです。

書いたことがない切り口とか、語り口調をちょっと変えて、書き手として成長できるようにじわっと意識しながら原稿を出してます。えらい。


2020年9月

ついに、はじめての本「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」が出ました。

大好きな人たちに愛されまくって、世に送り出すことができた本です。

その見えざる愛を、思いっきり見えるようにすることが、わたしの役目だと勝手に思っているので、存分に書きました。

伝わって、嬉しかったなあ。

ついでに、発売後すぐに重版がかかり、3刷りになって、小学館さんも岸田も大喜びでした。

本になって、よかったなあ。


いろんな新聞、雑誌、WEBメディア、テレビなどでも紹介してもらえて、マフィンをかじりながら一日7件くらい取材を受けたりしていましたが、まったくしんどくないくらい楽しくて、光栄でした。

なかでもこの取材だけは、トンチンカンすぎて今でも見せられるたびに笑っています。「これを読んで、番組見たよ!」という人たちもたくさんいて、嬉しかったので、これからは取材期間の長いメディアに出るときは、絶対に舞台裏のnoteも書こうと決めたのでした。

noteで視聴率もあがったら、嬉しいよね。


2020年10月

なにを言っているのかわからないと思いますが、Forbesの「30 UNDER 30 JAPAN」で、次代を担う30歳未満のイノベーターとして選出されました。

わたしなんてただ、アホみたいなことを、アホ丸出しで書いてるので、一体このアホがなんの世界を引っ張っていくんや……と、そわそわしていました。

授賞式とか登壇イベントとかぜんぶ終わったあとで「なんで受賞できたんでしょうか」って聞いたら、「文章の力によって、社会問題や生き方などについて考えるきっかけを多くの人々に与えたから」という身に余りすぎて戸惑ってしまう言葉をいただきました。

あんまり、社会問題自体を、ああだこうだと話すのは苦手で、あくまでも手が届く範囲で関わった人とわたしのことしか書けないと思ってたけども。


2020年11月

きっかけは、今年はじめて村上春樹さんの作品を読み(堂々と言えない)エッセイが良すぎたので、読書感想分文を書いたら、ご本人のサイン付ポストカードが送られてきたことでした。

村上春樹さんって、実在したんだ。

それがすんげー嬉しくて、同じ本を読んだ人同士で感想言い合うのも楽しくて、「そうだ読書感想文のお祭りしよう」って思いついて、やりました。

大好きな4冊を課題図書にし、出版社さんにも協力してもらい、しかも著者さんまで飛び入りで参加してくださって、これも楽しきお祭りでした。

ただ、やっぱり読書感想文のハードルの高さを感じたので、来年はもっと読書とそこに関わる人たちがワンダフルにハッピーな仕組みを考えて、もっと盛り上げていこうと思います。


2020年12月

幸いにも本が増刷で印税なるものを手に入れたところ、ボルボを買うことになりました。そしたら、えらいことになりました。

2020年の全部乗せというか、サンデーステーションさんやベストカーさんでも大きく取り上げてもらったし、読者のみなさんからはめちゃくちゃに応援してもらうし、なんかもう、乗るしかねえこの愛の波に!って感じでした。

いただいたお金はぜんぶ、ボルボでどこか行く旅費や、わたしの似たことで困っている人を助けるために使いたいのですが、その一つで「記事の多言語翻訳」を決めました。

エムズラボのみなさんに協力してもらい、なんと、20言語近い翻訳が行われています。プロの翻訳ってすげえ!


ちなみに自分自身の自動車免許はまた試験に落ちて、半年ぶり4回目の仮免許失効になりました。センスがない。


そんなわけで、過去と偶然と応援と愛が一緒くたになって波になり、わたしに全力でサーフィンさせてくれた、楽しい一年でした。

なんと一年で180本もの記事を書き、800万人の人に読んでもらったそうです。夢中だったのであまり記憶にない。でもみんな好きです。

来年はもっと、だれかの愛を世界に広げるために言葉を磨き、物語にしていく力をつけて、自分自身をびっくりさせて楽しませられるようにしていきたいと思います。元気に楽しくやるのを、一番に。

ボルボをブイブイ言わせながら。


※ヘッダーのよき写真はおなじみ幡野広志さん。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。