韓国わすれもの反省記
日本に生まれてきてよかった。
なくし物をするたびに思う。子どものころから、ありとあらゆるものを、なくしてきた。リコーダー、弁当箱、キックボード、携帯電話、傘、財布……。
もったいないとか、だらしがないとか、何百万回も叱られてきた。母なんかは早々に「もう絶対に捜索を手伝いません」と放棄宣言をしている。
諦めかけたものが、戻ってきたときは、絶望から絶頂まで逆バンジージャンプ並みの急転直上。
拝んで、拝んで、拝みたおす。神様、仏様、ああ、もう二度とうっかりしませんから!ありがとう!
……なのにどうして、また、なくしてしまうのか。
つい最近、家族で、三泊四日の韓国旅行へ行ってきた。
移動には、アプリのUber(ライドシェア)を使った。
韓国にも慣れはじめた三日目の夜。
漢江という川に浮かぶスターバックスコーヒーへ行ってみることにした。
30分ほど、Uberの車に乗って、
「ほう、ここでBTSが撮影を……」
ここで100億回は言われてきたであろうことを、車から降りて速攻、言った。特にそれ以外、言えることもないのである。
三人でカフェラテを頼み、席に着いたとき。
「あ!」
母が叫んだ。
「リュックがない!」
車いすの後ろにひっかけていたリュックが、なくなっていた。車のトランクに忘れてきたのだ。
「財布は!?パスポートは!?」
それらの貴重品は、母がポシェットへ別に入れて、持っていた。とりあえずホッとした。
「運転手のおっちゃんに連絡しよ」
Uberのアプリを開いたが、運転手の連絡先はどこにも載っていない。Uberは、個人の運転手と、乗客を、マッチングするだけのサービスなのだ。
Uberは運転手に会うこともないし、忘れものを受け取ることもない。
車から降りてしまえば、お互いの身元はわからないようになっていた。
現代的な一期一会に衝撃を受けながらも、Uberのサポートセンターにすがりついた。……とはいえ、手厚いサポートなんてのはなく、
“運転手から電話をかけるように通知しました”
と、チャットであっさり、自動応答が返ってくるだけだった。
わたしのような愚か者は山ほどいるので、塩対応するしかないのだろう。愚か者なので、愚か者のことはよく理解できる。忘れたてホヤホヤの愚か者による連絡ほど、不毛なものはないからだ。焦燥感と悲壮感だけがあふれる、グダグダの連絡。そんなもん、塩対応一択である。
ほんとに電話なんて、かかってくるのかしら……。
冷たくなったカフェラテを飲み干し、スマホをにらみ続けた、20分後。
ブーッ!ブーッ!
電話がかかってきた。
ああ、よかった。
「もしも……ハ、ハロー?」
電話に出る。
運転手からハローは返ってこなかった。
なにか言ってる。
言ってるっていうか、なんだろう。
まくしたててる。
「え……っ?えっ?」
ものすごい剣幕だった。わからない。なにを喋ってるのか、ビタイチわからない。たすけて。
韓国のUberの運転手は、高齢のおじいさんがほとんどで、韓国語しか喋れないという人も多いのだ。
「ア……アイム、リュックサック!ロスト、ロスト!」
スタバに響き渡る声で、とっさに叫ぶ。「わたしはリュックサックです!ないよ!ないない!」と言っていたが、通じればなんでもいい。
通じなかった。
落ち着け。
現代文明があるじゃないか。テレレレッテレー!母のスマホで翻訳アプリを起動し、スピーカーに近づけた。
こうしてる間にも、運転手のどえらい早口は止まらない。頼む。翻訳してくれ。
……うんともすんとも。
生の音声じゃないと、どうやら認識しないようだ。
それからしばらく、運転手は韓国語、わたしは日本語で、とにかく必死に、伝えようとした。
そこに思いやりなどない。傾聴などない。
ただ人間と人間が、己の主張を、火の玉剛速球でぶつけにいくだけである。焼け野原コミュニケーション。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
疲れ果てた息切れが聞こえてきた。
「……」
「……」
にらみあうような沈黙の後、
プツッ。
電話が切れた。
「おいおいおいおい!」
もう一度、リダイヤルする。運転手が出てくれる。
言いたいことを叫び合うだけの地獄劇場、再演!
誰か……誰か、わたしたちを……止めて……!
プツッ。
電話がまた切れた。
バカバカしくなってきた。
忘れ物したわたしが言えることじゃないけども。言葉のわからんもん同士を、電話でつないでどうすんだ。どうしろってんだ。バカッ!
身振り手振りができるなら、まだ望みはあるよ。
電話って。電話って。
手を合わせて祈る石像と化していた母に、言った。
「リュックの中身って?」
「今日お店で買った、服……」
「もうええやん。そんなん、また買ったらええやん」
母が、ヒュッと青ざめた。あきらめのいい母のはずが、この日ばかりは、断固として首を縦に振らない。
聞けば、その服は、ニ年も探し続けた理想の服だという。めったに合うサイズがなく、ラスト一枚を、ようやく韓国の地で探し当てたのだ。
母のリュックには、韓国旅行のすべてが詰まっていた。
とはいえ、このまま不毛な電話をかけ続ければ、運転手に着信拒否されかねない。あっちだって仕事があるのだ。
どうしよう。
オロオロしていると、だれかが韓国語で、わたしたちに話しかけた。
顔をあげる。
「あなたは……」
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