もしも役所がドーミーインなら(もうあかんわ日記)
毎日21時更新(今日は文藝春秋のイベントに島田彩ちゃんと出演してたから遅れた)の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
いやあ、今日は、あかんかった。
ここんところ持ち直してきたかなと思ったけど、あかんかった。ちょっとしたあかんことって、立て続けに起きるよね。
14時から自宅で、ばあちゃんのケアマネさんとの大切な契約があるから、午前中にデイリーミッションを達成する必要があった。ばあちゃんが用意してくれたログインボーナスは、賞味期限の切れたはちみつヨーグルトだった。食べた。
デイリーミッションはこちら!
・梅吉の散歩
・役所の市民課で、じいちゃんの相続に必要な弟の印鑑登録をする
・役所の福祉課で、弟のグループホーム利用の手続きをする
・銀行で、母の入院費の半額(40万円)を支払う
・自宅のトイレのリフォーム工事を予約する
これらを、10時から13時の間にすべて達成するのだ。がんばるぞ。
まず、時間がかかりそうなトイレの予約。マンションの敷地内で梅吉を散歩させながら、電話をした。業者のお兄さんが出た。
すでにメールのやりとりで見積もりをもらっており、トイレの本体と取り付け工事がセットで、10万円程度とのことだった。そんなもんでしょう。
「見積もり確認しました!お願いしたいので、予約します」
「ありがとうございます!」
わたしよりもちょっと若そうな声のお兄ちゃんが、ハキハキと喋った。
「ひとつだけ、お伝えしておきたいことがあるんですが」
「なんでしょう」
「トラブルを避けるために、トイレの本体はお客さまご自身にご用意いただきたいんです」
なんだか話が違うぞ。電話をしながらWEBサイトと見積もりをもう一度見たが、「トイレ本体は見積もり金額に含まれており、取り付け担当者が持参します」と書いてあった。機種も指定したのだ。
「えっ、持ってきていただけるんじゃないんですか?」
「WEBサイトにはそう書いてるんですが、実情は、トラブルを避けるためにご協力をお願いしています」
「どれをどこで買ったらいいかという相談は乗ってくれますか?」
「それも、トラブルを避けるためにお断りしています」
「じゃあわたしが自分でトイレの本体をネットで選んで購入して、工事までに家に用意しておくと?」
機種は決まっているが、排水管の高さやタイプによって、6種類くらいある。それも業者さんに写真と寸法を伝えれば、選んでくれるはずだった。
「はい。トラブルを避けるために」
わたしが自分で選んだほうが、トラブルが起きそうな気がする。
っていうか、指定した新品のトイレ本体を業者さんが持ってくることで、起きたトラブルってなんなんだ。
「うちのトイレちゃんに傷がついてる!」「どこかで取り違えただろう!うちの子じゃない!」とか。いやぜんぜん想像できん。
お兄さんは続ける。
「大丈夫です!トイレの本体がない分、お見積の10万円から、6万円ほどお値引きさせていただくので!」
いや勉強させていただきますさかいに、みたいなやり遂げた声色をしているが、至極当たり前の減少である。トイレ本体分が値引きされてるだけやないか。
「えーと、すみません、他の業者さんと比較させてください」
電話を切った。
なんなんだその不思議な料金体系はと考えていたのだけど、どうやら、できるだけ本体+工事費のコミコミのプランを安い金額に設定しておいた方が、業者の比較サイトで上位に表示されるそうだ。
で、上位に表示させてお客さんを集めて、実際は、トイレ本体が用意できないので見積もり金額を変えると。ダークサイドに落ちた下町の孔明か。そんなことに知恵を絞るな。
駆け出しから、どっと疲れた。
次に、母の入院費を払いに、銀行へ行った。
振込票というのが届いていて、それを銀行のATMで読み取ると、振り込みができるらしい。便利。
三井住友銀行のATMコーナーは、お昼どきだからか、とても混雑していた。一列に並び、10台ほどあるうちのATMで、空いたら先頭の人がそこに入るというルールだけど、わたしはこれが苦手だ。
スーパーなら、レーンが複数あるから、目の前のレジだけ見ていたらいい。パートのおばちゃんも「次のお客さま!」と呼びかけてくれる。
でもこれは「どこのATMが空くかを目で確認し」「即座に空いたATMに、自分で入らないといけない」という、判断力が求められる。先頭になると、途端に冷や汗が出てきた。
やった!空いてる!と思って喜びいさんでATMに入ったら、なんとソーシャルディスタンスを保つために使用禁止のATMだった。列を振り返る。すでに先頭には、次の人が立っている。
「ごめんなさい、間違えました」と謝りながら、また先頭に戻る。みんなが一歩ずつ、後ろに窮屈そうに下がる。ああ恥ずかしい。
かと思いきや「お姉さん!前、空いてるよ!」と、後ろの方にいたおじさんからどやされた。心臓が跳ねそうになる。だめだ、わたしはこの世界に向いてない。
そんな思いまでしたけど、ATMで振り込みはできなかった。10万円以上の振り込みは、窓口でしか受付けられないのだ。なんだと。
ただただ疲弊しただけでATMコーナーを後にし、窓口へ出向いた。
すると
「こちら、10万円以上のお振込には、ご本人さま確認が必要になります」
そう言われて、わたしのマイナンバーカードを出したら「依頼人が岸田ひろ実さまと印字されているので、ひろ実さまのご本人確認が必要となります」
たしかに振込票には、岸田ひろ実と病院側で印字されていた。
「ええと、本人、入院してるんですが」
「申し訳ありませんが、免許証などを借りて、またお越しください。代理人の奈美さまの本人確認も一緒にお持ちください」
うわあ、マジか。
コンビニなら払えるかもとヒントをもらって行ってみたが、コンビニでは30万円以上の振り込みは受け付けてもらえなかった。
長期の入院費って、家族が代わりに払うケースがほとんどじゃないのか。なんで、こんな仕組みなんだ。
母は貴重品を病室で保管しているので、免許証を借りに行かなければならない。往復2時間、約1900円。お金を払うために、お金を払わなければならないとは、これいかに。
入院費を払えないまま、印鑑登録をしに市民課へやってきた。
なにをそんなに手続きをすることがあるんだこの世の中はと思うくらい、混雑していて、受付は30分待ちだった。
この日のためにあわてて作った、良太の実印を書類に押し、記入する。
「ここと、ここに押してください」
担当してくれたのは、わたしと同い年くらいの職員さんだった。
「今日は代理で来られてるので、自宅に照会証という郵便が届きます。それを持って、もう一度来てください」
なるほど、代理で印鑑登録をする場合、二回来所する必要があるらしい。
時計を見ると、ケアマネさんが自宅に到着する時間ギリギリだった。走って、駅へ向かう。
あと2分で電車がくるという時、電話がかかってきた。
「さっき役所で手続きした者です。すぐ戻ってきてください」
「なんで!?」
「予備の印影を押してもらうの、忘れました」
「ええーっ!もう電車来てしまうのと、用事があるので、今日は難しそうです」
「それならまた来られたときに、手続きしなおしてください」
「うそでしょ。最初から?」
「そうなります」
30分間が、万象一切灰燼と為してしまった。
30分間を待つことは、苦ではない。それで失敗したとしても、得られるものはある。人は、成長するものは愛すことができる。
でもこの30分間の消え方は、本当に「虚無」でしかない。あちらのミスなので、わたしは成長しないし、この時間で誰かが救われたということもない。ただ、意味もなく、消えた。
漫画アプリで、次の話を見るために、30秒程度の広告が表示されることがある。何十回も見て内容も覚えた広告(ヒゲづらのおじさんが、ピンを引き抜くパズルでしっちゃかめっちゃかな目にあうウソ広告とか)を、きっちり30秒ずつ見せられるのと同じ感覚。あの30秒は、誰のためにもなっていない。画面の右上で刻まれる秒数が、リアルに「いまお前の時間を食ってるぞ」という現実を突きつけている。
もうあかんわ。
朝からなにも食べていないことに気づいた。ひもじい。唯一目に入った食べ物は、駅ホームの自販機にならぶソイジョイだった。
買おうとしたけど、財布に1万円しかなく、投入できない。電子決済の機能もこの自販機にない。
たった一枚、財布にはオリンピック記念硬貨が入っていた。伊豆温泉の骨董品屋のじいさんに交換してもらったやつだ。
泣く泣く投入したら、普通に自販機からベッと吐き出された。悲しかった。役所で手続きを間違えた彼も、一生懸命やってくれていたのかもしれない。責めてはいけない。
でも、この行き場のない悲しみのやりどころが、わからない。
一年前。鮫洲にある運転免許センターで、わたしと同じく、手続きにミスがあって二度手間になった任侠系のおじさんが、窓口でブチギレしていたのを思い出した。
「俺はなあ!俺にしかできん仕事を断って、ここに来とんじゃ!それをなんや、もういっぺん来いって、その態度は!ぶちのめすぞ!」
それはもうブチギレていた。ただ、運転免許センターの運営は警視庁なので、おじさんはすみやかに両脇を固められ、別室へ消えていった。
窓口の人たちだって事情があるだろうに、なにをそんなに怒ることがあるんだと思ったが、今なら少しわかる。あれはお昼時だった。おじさんは、お腹が減っていたのかもしれない。
腹が減っていると、ありとあらゆる理不尽に打ちのめされ、怒りと悲しみが募る。
これを救うには、ドーミーインの仕組みしかない。
ドーミーインはすごい。どんなに怒っている人でも、ドーミーインで一泊すれば、生まれ変わったように懐が深くなると思う。
まず、夜鳴きそばが無料だ。21時という絶妙な時間帯に、醤油ラーメンを食べさせてくれる。
大人は夜、鳴くのだ。悲しくて。寂しくて。憤って。その鳴きざまをなだめるには、ラーメンしかない。実に合理的だ。腹を満たせば、たいていのことはどうでもよくなる。
指定された時間内に食べられなかった人こそ、さっきのおじさんみたいに「不公平だ!」とブチギレするかもしれない。これは役所でもよくある光景だ。
しかし、ドーミーインはそんな大人の愚かさも熟知している。時間外で食べられなかった人には、同じ味を再現した、カップラーメンを配っているのだ。慈悲の配布と銘打って、ルネサンス期の絵画になるべきだ。
そして、大浴場からあがると、廊下には「ヤクルト(のような飲料)」か、「アイスキャンデー」が置いてある。これらを見ると、どんなヤクザも顔をほころばせてしまう。マカロンや羊羹ではおさまらない大人の怒りも、ヤクルトとアイスキャンデーの前では、ノスタルジックにたたみかけられる。オールウェイズ三丁目の夕日のBGMが流れる。やがて世界は収束に向かう。
結局のところ、必要な書類がないと手続きは進められないのだし、いくら窓口に怒鳴ったって状況は変わらないのだから、せめて、「時間を無駄にしてしまった」「腹が減った」という怒りと悲しみの根源を打ち消す仕組みを、役所の前に設置すべきだと思う。幸せになる人がたくさん現れる。
公費でまかなえないのなら、わたしが屋台をひく。そういうNPO法人を立ち上げる。
そんなことを考えながら、自宅に戻った。
ポストには「おばあさまの介護認定ですが、必要な書類が病院から送られてきませんので、認定を出すのが半月遅れます。ごめんね」という旨のはがきが入っていた。ああ。
夜鳴きそばはどこだ。ヤクルトはどこだ。
↓ここから先は、キナリ★マガジンの読者さんだけ読める、おまけエピソード。
近くにドーミーインがないので、にっちもさっちもいかないことでイライラした時は、わたしは油を摂取する。
ここから先は
岸田奈美のキナリ★マガジン
新作を月4本+過去作400本以上が読み放題。岸田家の収入の9割を占める、生きてゆくための恥さらしマガジン。購読してくださる皆さんは遠い親戚…
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。