洗濯際の攻防(もうあかんわ日記)
毎日21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
イラストはaynさんが描いてくれました。
ガチャ、ガタガタッ、ガンッ、バコォッ!
そんな音で、朝の7時ごろに目が覚めた。
会社員だったころは目が覚めた瞬間に「あっ、これ寝坊だわ」と時計も見ずに悟ることがあったが、これは「あっ、これあかんわ」と悟った。数秒遅れて、冷や汗がどっと出る。コンタクトをつけていないので、ぼやけた視界がおそろしい。
恐怖の光景を目撃するよりも怖い、得体の知れない恐怖を確認するまでの時間が矢のごとく流れ去る。
ばあちゃんが、力づくでドラム式洗濯機のドアを叩いてこじ開け、洗濯物を臓物のごとくズルリと引き出し、そのへんのカゴに盛りつけて運んでいるところだった。
しゃがむのも面倒くさいのか、床に置いたカゴを足で容赦なく蹴りたおしながら、ズリズリと進んでいる。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょいちょいちょーい!」
叫んだつもりだったが、地獄の夜型でさっき寝落ちしたばかりの貧弱なわたしの喉は、カッスカスにかすれていた。
「な、な、なにをしとるか!」
「洗濯やがな」
「どこに持ってくねん!?」
「干す」
カゴに詰まっているのは、昨日到着したばかりの、最新型のドラム式洗濯機のなかで、フワッフワのヌックヌクに乾燥を終えた洗濯物ばかりだ。
なにを干すというのか。
二度干しか。あじの干物でも作る気か。
「いやいやいや!乾燥までしてくれるやつやから、干さんでええねん」
「はあ?ベチャベチャで腐るわ!」
「どこがベチャベチャやねん!乾いとるがな!」
騒ぎを聞きつけた弟が、カゴの中をのぞきこみ、自分のお気に入りのタオルを引っ張り出した。
頬ずりして、顔に近づけ、くんくんと匂って、にやあと笑う。このまま洗剤会社にプレゼンできそうな、完璧なリアクションだった。
匂いにこだわる母が、ルンルンで奮発して選んだのが、ファーファのちょっといい柔軟剤である。香水の匂いがする。洗剤は無香料を選ぶくらい、徹底している。
そんな弟のリアクションもむなしく、ばあちゃんは
「きたない!やめなさい!アホ!」
と弟からタオルを取り上げた。なにが汚いのだ。
「洗濯物は、外に干さな、気持ち悪いねん!」
理屈はまるでわからないが、想像はわりとできる。ばあちゃんは 60年近い主婦人生で、それが当たり前だったのだ。人間が染みついた習慣を変えるには、身につくまでと同じ時間がかかるとも言われる。上書きというのはそれくらい、大変なわけで。
ばあちゃんの苦労を慮り、わかろうとしたのだけど、
「こんな不衛生で高いもん買ってきて、迷惑やわ」
この一言で慮りが、爆発四散した。
ばあちゃんもばあちゃんで別に言いたくて言ってるわけじゃないだろうし、数分後には言ったことすら忘れてるし、責めても仕方ないんだろうけども。
ばあちゃんの習慣が塗りかわる頃には、もう140歳を越えていることになるので、アップデートは望み薄だ。かといって、洗濯だけにして、干すのはばあちゃんがやるとしても、花粉が飛びまくってたり、そもそもばあちゃんが雨のなか干しっぱなしにしたり、地べたに服を落としまくるので、限界が近づいている。
こうなったらもう、封鎖しかないのだ。
ばあちゃんが起きても、勝手に洗濯物を引きずり出せないようにする。
チャイルドロックの機能があったが、見た目では鍵がかかっているのがわからないので、ばあちゃんがガンガンと扉を叩きはじめた。そんなチャイルドは洗濯機も想定してない。ふつうに壊れる。
見た目でわかりやすいのは、ガムテープで止めること。ベタベタする粘着面を指で確かめながら、美しく白く輝く本体に、こんなものを張りつけることに躊躇した。
織田裕二ですらレインボーブリッジを封鎖できなかったのだ。岸田奈美が洗濯機をそう簡単に封鎖できるわけがない。助けてサムバディトゥナイ。
もうね、洗濯機の前に、番人を雇うしかないんちゃうかと。ミノタウロスとかさ。ドラゴンとかさ。家庭のインテリアにも合うように、鳥山明さんのデザインがいい。
こういうすれ違いと言い合いは、しょっちゅうで。
ヘルパーさんや福祉の関係者さんからは
「おばあちゃんには、子どもをあやすようにね」
「もしくは、いっそビビって忘れないくらい怒鳴ってみるといいよ」
と教えてもらうのだが、いつもそんなこと、できるわけがない。そもそもわたしは怒りや苛立ちのエネルギーを人にぶつけるのが嫌いなのだ。良い人だからではない。「そんなこと言ってる自分が嫌い」になるのだ。わたしは自分が大好きなので。
言葉は跳ね返ってくる。しんどい。
つねづね、どっかの窓口とか店で、バリンバリンに怒鳴ってる人見て、逆にすげえなと思う。体力があり余っとんのか。
かといって、子どもをあやすようにするのも、そんなんできるのは余裕のあるときだけ。あやしたところで「やかましい!」「親に向かって!(親ではない)」と言い返されるので、こっちだって心の江戸っ子が腕まくりをはじめてしまう。てやんでえ、てやんでえ。
だから、いまは。
反射的に「もうほっといて!」「大丈夫やから!」と叫んで、やいやい文句を聞き流して、落ち着いてから一人で対処している。
せやけども、そういう言葉ばっかり口にしてくると、顔つきも変わってくるんよ。
洗濯機は洗面所にあるので、言い合いしているとき、ふと鏡を見てみた。わたしのボヤッとした顔が、ボヤッとしたのはそのままに、眉と目尻だけ釣り上がっていた。小鬼だ。小鬼がおる。ボムじいさん!
あーあ。
別々に暮らすのが、いちばんいいと思うのよ。ちょっと離れてね。
でもその福祉サービスをちゃんと受けるには、介護認定が必要で。介護認定は3月31日におりる予定だったけど、お役所と病院の都合で、まだまだ遅れてる。この日記、認定下りんまま終わってまうぞ。マジか。
きみが思い出になる前に。なみが大鬼になる前に。
一進一退で、もうあかんと、もうあかんくないを、行き来する。
さて、さて。
いよいよ週があけて、水曜日は母と弟が走る聖火リレーだ。なんかいい感じに、母の体力も回復しつつある。どういうトレーニングかよくわからんけど、なんか、膝に梅吉を乗せて、あっちこっち無駄に車いすをこいでいる。ルンバかな。
もともと大阪府太子町で走る予定だったけど、例のアレの影響で、万博記念公園で無観客にて走ることになった。太陽の塔はかっこいいので、それはそれで優勝。
ドキュメンタリーのカメラマンさんも、スチールのカメラマンさんも、取材許可をとってついてきてくれるので、映像はなんらかの形で見てもらえると思うから、どうかよろしくね。
↓ここから先は、キナリ★マガジンの読者さんだけ読める、おまけエピソード。マガジンの購読費が岸田家の生活費です。
弟も弟で、母の車いすを押してリレーを走るので、体力づくりが必要なのである。
今日は梅吉をつれて、弟と二人で、マンションの敷地内をぐるりと15分かけて散歩した。この二週間で彼がやった運動らしい運動はこれだけだが、やるのとやらないのとでは雲泥の差があるのだ。
弟は歩くのが遅く、かつ、なぜか距離をとって後ろを歩くのを好むので、今日もそうしていたら。
ドタドタドタッ。
弟が、走ってきた。
「おじさん!しんでる!」
おじさんが!
死んでる!?
ここから先は
岸田奈美のキナリ★マガジン
新作を月4本+過去作400本以上が読み放題。岸田家の収入の9割を占める、生きてゆくための恥さらしマガジン。購読してくださる皆さんは遠い親戚…
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。