グッバイ、祖母の運命の家はウチじゃない(後編)
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グッバイ、祖母の運命の家はウチじゃない(後編)

岸田 奈美

認知症がはじまったばあちゃんと、5年かけて離れる話。

2022年1月末。

うちに何年も出入りしてくれていた唯一の介護ヘルパーさんと、一大抗争が起きた。

というか、まあ、積み重なったあまりのありえん数々に、わたしが怒った。向こうも怒った。ドンパチになった。双方、鉄砲玉のみの出演。

この介護ヘルパーさんから言われ続けたことで、ずーっと、誰より傷ついていたのは母だったけど、母は

「でも、何年もうちの介助をやってくれたし、わたしが我慢すれば、丸く収まるし……」

と言った。まただ。また、これだ。

ばあちゃんには施設に入居してもらおう、とこれまで何度か話はあった。だけどその度に、母は言うのだ。自分が我慢すればいいと。

張り詰めていたわたしの涙腺が、パーンッと弾けた。

「もういやや、わたしはつらい」

一度も言ったことのない言葉が、とめどなくあふれた。

「もう、実家に帰ってくるのがつらい。おばあちゃんからひどいことされるのも、介護ヘルパーさんからひどいこと言われるのも、もう全部、つらい。みんなのこと大好きやのに、実家に帰ってくるのがしんどくなってしまったことが、ほんまにつらい。しんどい。くるしい」

わたしの視線の先には、和室があった。たんすの上に、愛する父の仏壇と写真があった。いつからだろう。お線香を挙げに行く日に落ち込むようになったのは。

「な、奈美ちゃん……そんな……」

「でも、一番イヤなんは」

母は、わたしが泣くのを見て、車いすに乗ったままオロオロしていた。

「お母さんが、おばあちゃんや介護ヘルパーさんのことで、悲しくて、悔しくて、泣いてるのに。なんでもかんでも“自分が我慢する”っていうこと」

「それはな、奈美ちゃんと良太に、迷惑かけたくなくて」

「わかってる!」

わかってる。ばあちゃんが家を出たり、長い付き合いになりすぎた介護ヘルパーさんの変更をお願いしたりすると、家族の生活は一変する。

わたしも弟も、生活を変えないといけない。特に、ダウン症の弟は、変化に馴染むまでとても時間がかかる。

「でもな、それでお母さんは元気になった?幸せになった?なってへんやん。ストレスで体調崩して、食欲なくなって、死にかけたやん。わたしにも“しんどい”ってLINEを送ってくるやん」

黙って、母がうつむいた。

「どうにかしたくても、結局、ばあちゃんや介護ヘルパーさんと、一番関わるのが多いのはお母さんやから。お母さんに“我慢する”って言われたら、もう、わたしではどうにもできん」

なんもできん。母が苦しんでるのに、なんもできんのが、一番つらい。

母が我慢するなら、その前提で、できることを全部やろうと思った。

母が一人になる時間を作れるように、ワンルームのマンションを借りた。健康診断に引っかかった弟のために、障害があっても個人レッスンをしてくれるスイミングスクールを探して申し込んだ。なんでもかんでも食べてしまうばあちゃんへ毎日弁当を宅配してもらった。わたしも共依存しないように、ひとりで家を出て、京都に部屋を借りて住んだ。

いっぱいお金がかかった。noteのマガジンの読者さんが助けてくれた。本当に、本当にありがたかった。これで大丈夫だと思った。

だけど、お金を使っても、使っても。

束の間の安心のあとに、すぐ、強烈な無力感が押し寄せる。

結局、どんなに安心できても、息抜きをしても、根本のつらさはなにも解決していない。ふとした瞬間、つらい現実に引き戻される。

「ああ……今、こんなに平穏なのに。また、あの実家に帰らないといけないのか」

感情のギャップばかりが、どんどんでかくなっていく。

頑固な誰か一人の我慢でギリギリ成り立っている状態は、その誰かを愛する人たちを「助けたいのに、なんもしてあげれん」無力さでジワジワと傷つけ、苦しめる。

そうすると、どうなるか。

「わたし、お母さんのことは大好きや。せやけど、“我慢する”っていうて、一人でしんどいお母さんを見るのは大嫌いや」

これを言ったらあかん、と思っていた言葉が、ついに暴発した。

「このままやと実家も、お母さんのことも大嫌いになる。それがめっちゃ怖い」

母が、車いすに乗った膝の上で、ギュッと拳を握りしめた。そして、ボタボタと泣いた。

「ごめん」

わたしが謝ると、母が首を横に振る。

「違うねん。ごめん。わたしがアカンかった。奈美ちゃんと良太のためにって思ってやってたことやけど、勘違いしてた。もっと、もっと早く、ほんまはどう思ってるか聞いといたらよかった。情けないわ」

あかん。これ、オカン、もう立ち直れへんくらい傷ついたやろか。かと言って、嘘ではないし。どないしよう。思いつめたら、どないしよう。

わたしの頭の中は、なんてフォローしようかでいっぱいになる。

「わたしな」

母が続けた。

「子どもの頃から、お母さん(祖母)に『他人に迷惑をかけたらあかん』『熱があっても学校休んだらあかん』『しんどいって言うのは恥ずかしい』っていわれて育ってん。いい意味でも悪い意味でも、無関心っていうか」

「うん……」

わたしも良太も、母からそんなことを言われたことはなかった。むしろ真逆だ。だから母はきっと、ばあちゃんのことを反面教師にしたんだろう。

「せやから、今でも、どうやって人に助けを求めたらええかわからへん。娘や息子に助けを求めるのも、よかれと思って接してくれる人を断るのも、悪いことやと思ってた。自分だけニコニコして、我慢するのが正しいんやと思ってた」

それは、ある場面では美徳かもしれない。

でも、助けて、に収束できなかった感情は「悲しい」「しんどい」という、ちょっとした愚痴や態度に、ポロポロと姿を変えただけだった。我慢しても苦しみは減らないのだ。

自分が我慢して、それで済めば、弁慶の最期みたいな美談になるかもだけど、そばにいる人が確実に影響を受ける。我慢してるあなたを見ることで、わたしが病んでしまう。我慢をやめるか、諦めて離れるか、しかないよ。

「わたしは、奈美ちゃんと良太に、幸せになってほしい。ほんまに。そのために、わたしはちゃんと、変わることを選ばないといけなかった。ごめん、ごめんな」

母が、困ったように笑った。わたしと母が泣いてるのにびっくりした弟が、洗面所から、なぜか雑巾を持ってきた。おい、それで拭く気か。

「変えよう。家族が楽なように」

翌週。

介護ヘルパーさんは正式に打ち切り、交代となった。ばあちゃんは検査を受け、認知症対応型グループホームへの入居が決まった。

「今まで、本当に、本当に大変でしたね」

あれこれと事情をすべて知ってくださった介護事業所の人から声をかけられて、わたしと母はようやく、ガクンと肩の力が抜けそうになった。



ばあちゃんがグループホームに入居するまでの検査や手続きについては、ここで書くとかなり長くなるし、人によって事情が全然違うので、省略する。

正しい手順などは、わが誇るべき友人・安藤なつさんの本にくわしく書いてあるので、参考になりそうな人は、ぜひ。

ばあちゃんの行き先として選ぶ施設は、大きくわけて「公的施設」と「民間施設」があった。どちらも介護をしてくれる。

公的施設は特別養護老人ホームといって、月額5万円前後で、初期費用もいらず、とにかくリーズナブルなところだ。

ばあちゃんの年金で、満額払うことができる。

「でも、特養は低コストなので、一番人気なんですよ……」

相談に乗ってくれたケアマネージャーさんが、心苦しそうに言った。

「今だと、順番待ちで3年以上はかかります」

「3年以上!?」

とはいえ、弟が入居を希望していた障害者グループホームは20年待ちと言われたので、高齢者の方が回転が速いんだろうな…とぼんやり思った。順番待ちというのは、つまり、死ぬ人を待つということでもあるわけで。

「今の生活が3年以上は、ちょっと考えられないですね」

「そうですよね」

どう思われるかなとドキドキしたが、ケアマネージャーさんがうなずいてくれたことで、ホッとした。

「まずは民間施設に入っていただいて、数年して介護度が重くなってきたら順番待ちをして、移るのがいいかと思います」

民間施設には、老人ホームと、グループホームがある。老人ホームは入居時に数百万円、月額も30万円ほどかかるところが多いので、あきらめた。

となると、グループホームだ。

「グループホームだと、月20万円弱かかります」

月20万円。


ズシリときた。ばあちゃんの年金を使っても、15万円近くはわたしたちが払うことになる。

母は手術後の体力低下があり、この一年くらいは本格的に仕事を再開できないので、生活費である障害者年金を切り崩す。足りないので、稼ぎ頭であるわたしの財布が頼りだ。

祖母は、父の保険金や母の貯金を1000万円ほど使い込んだことがあり、貯金も皆無だった。

正直、数年前までいくら優しくしてもらったからとはいえ、あのばあちゃんに……月……20万円……!

揺らいでしまった。この道以外、ないっていうのに。

「グループホームでお願いします……」

そう言っても、数日、モヤモヤした。そんな自分のみみっちさが、イヤになった。定例の打ち合わせの時、編集者の佐渡島さんが言った。

「岸田さんが決めたこと、これから決めることに、間違いなんてひとつもない」

いつもとあまり変化のない表情で、水でも飲むかのようにスルッと、佐渡島さんが言った。

「おばあちゃんに20万円、払うんじゃない。岸田さんは、岸田さんの平穏を20万円で買うんだよ」

「……人生で一番、高い買いもんかもしれませんね」

「ボルボ買ったじゃん」

「そうだった」

この先、どうなるかわからないけど。お金がいつまで保つかわからないけど。間違いなんてひとつもない。ダメそうになったらまたそこから始めればいい。そう思った。



グループホーム入居の準備は、岸田家において秘密裏にすすめられた。

ばあちゃんには母から

「来週からグループホームで暮らしてもらうねん」

と話したらしい。

「グループホーム?」

「個室で、テレビもご飯もある。新しくてきれいなとこやで」

「なんでや?」

「わたしも体調悪くて、家事できんくなってきたし。それに、お母さん、ひとりの方が落ち着くって言うてたやん」

正確には言うてた、ではなく、デイサービスの人から聞いたのだが。

「ふうん。そりゃあ、ええわ」

ばあちゃんは笑った。そそくさとおしゃれ着に着替え始めた。早いわ。


だが、ばあちゃんは翌日にはそんなことさっぱり忘れていて、何度も、何度も母が説明するはめになった。ややこしいから、これはもう当日に言おうということが岸田家チャーハン会談(夕食どきに始まったので)で決まった。

ばあちゃんが見ていないところで、黙々と、準備をはじめた。

入居に必要なリストを読み上げる。

夏用の服が上下14着、冬用の服が上下10着。パジャマ5着。タオル20枚。その他、雑貨もろもろ。

「多ない?」


週末にイオンで買い出そうかと思ったが、とても持てる量じゃなかったので、楽天市場やニッセンで取りそろえた。リーズナブルなものを選んだつもりが、これだけで6万円を越えた。

ばあちゃんは日中、ずっとリビングを陣取っている。眠りながら、見てもないテレビを爆音鳴らし、ミカンを一箱分食べる。カビゴンか。

ということで。

ばあちゃんが寝静まった、深夜0時。

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夜な夜な、母と弟とわたしが布団から這い出てきて、ばあちゃんの持っていく服のタグを切ったり、畳んだりしはじめた。

妖怪・グループホーム準備家族である。


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弟は終始「無」の表情で、なにもない虚空を見つめながら作業をしていた。それでも几帳面さは失われないので立派である。

「ばあちゃんいなくなるの、さみしい?」

弟に聞いた。

「あー……」

ごくり、とわたしと母は生唾を飲み込む。

「みんなばいばい、が、ええですわ」

真理をわかっていた。人生とは愛しい人たちと別れゆく修行なのである。ブッダも言ってた。気がする。


グループホーム入居当日。


私と母が付きそうことになっていた。

弟は福祉作業所にいつもどおり、出勤した。

「ばあちゃんとばいばいやけど、行く?」

弟に聞いてみたのだが

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